サン・サーンスと伊藤博文って何で似てるの?
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名前が似てる人のスレになったのか
パウムガルトナーとバウムガルトナー IOCのバッハ会長はヨハン・セバスティヤン・バッハに似ている よく眼にするクラシック系の作曲家で「良い顔」している人は
一人もいない。 良い顔というより「明るい顔」をしている人がいません。
それと髭を生やした人が多いんですが、不潔な感じ。 >>300
良い顔っていうのは健康そうな顔?性格良さそうな顔?端正な顔? 日本の総理大臣で性格が悪そうな人は、
菅直人、森喜朗、三木武夫、麻生太郎、 村山富市、中曽根康弘、 性格悪そうな政治家は、
USAのF・ルーズベルト、ニクソン、キッシンジャー、
仏のサルコジ、ロシアのプチン、 江沢民、 政治家で性格悪そうな人って誰か?
福島瑞穂は悪そうな。
現在の安倍内閣では高市総務相は。 >>308
米国大統領じゃぁ、ジャクソンとリンカーンが性格悪い。
この二人に比べれば、他は善人。 >>310
女性政治家か。
辻本と福島みずほだろう サン・サーンスはアルジェリアで死んだ。
伊藤博文は満洲で死んだ。 客死ですな
アルゼリア亡くなったサン・サーンスは彼の最も好きだった土地だから
本望でしょうが、伊藤博文は気の毒しました
彼を殺ったのは明治天皇崇拝者だったのも意外です >>313
社民党は福島瑞穂とあと一人だけだな。
福島は まだ議員でいるのか、という感じ。 伊藤博文はお雇い外国人の音楽取調掛教師(+鹿鳴館のダンス音楽指揮)の候補に、
リストとヨハン・シュトラウスを考えていたらしいが、もちろんギャラが折り合わず断念。
もっと小粒なエッケルトが来日して君が代の和声付をした。
もしサン・サーンスが日本に来ていたら、オペラ「忠臣蔵」を書いていたかも… リストを西洋音楽の教授にしようとしたって言っても、もう、年をとっていたからな
サン・サーンスなら、まだ年令的にはよかった。
日本に来て、「日本組曲」とか、ピアノ協奏曲「京都」とか書いたら。 マスカーニの「イリス」は京都、大阪という名前の日本人が登場する。
ジャポニズムに染まった作曲家はかなり居たようね。 確かにプッチーニは「日本」を研究していた。チャイナと日本は違うことを
十分に認識できていた 異国趣味は19世紀後半のフランスに蔓延していた。
作曲家は特に影響を受けた。
そのあたりはプッチーニもサン・サーンスも同じだ ロマの影響とかトルコの影響とか受けた時代もあったしな 高齢のサン・サーンスはジャズだけは全く影響受けなかったようね、 若い頃のモンテヴェルディと河童
年を取った頃のモンテヴェルディとミケランジェロ 死刑があったので連想したが、
八木茂と森友の籠池理事長 Saint-Saens = ito hirohumi
さいざんすか? 朝鮮統治に反対した伊藤博文は朝鮮人に殺された
日本の暗い歴史の始まりであった >>342
伊藤博文が生きていたら、もっと違う方向へ朝鮮統治が向かったのだろうか、
いずれにせよ朝鮮併合は大失策だった。誰が決めたんだ? >>340
フランス西部にサン・サーンスという名の町があってそこ出身じゃないか?
よく分からないからもっと調査。 サン=サーンスは性格の悪さが顔に滲み出ている
伊藤博文は人格の高潔さが顔に現れている
つまり全く似ていない >>348
高潔な人がどうしてい嫌われて殺されたんか?
どっか、欠陥があったんじゃないのか? 伊藤博文はお札にもなった偉人だよ
キング牧師だって偉人だったけど殺された
国や社会のために尽力した人が逆恨みされるのは珍しいことではない ガンジー、リンカーン、ケネディ、
インディラ・ガンジー、 日本ではテロで殺られた首相は多くない、二人か三人な 旧千円札の伊藤博文は世界中でリスペクトされるような偉人たちと同列に語らるような大層な人物だったんかいな? >>354
日本国内だけの評価ですよ、
明治時代の政治家たちのなかでは、有能で業績があったです。 >>352
暗殺されたから「 偉い政治家だった 」ということはない。
殺された人に対する大衆の哀惜の念で、持ち上げられている面もある。
リンカーンは北部の新興勢力の政治勢力に乗っかって南部地域の旧保守
勢力に戦争を仕掛けた。
要は、野蛮な戦争屋だった。
『 人種平等主義をイデオロギーに掲げて北部の大衆を扇動したが、芯から平等主義者
ではない。インディアンに対しては過酷な弾圧を実行した。 』 >>352
ケネディー大統領も一触即発の窮地にまで行った米ソ対立の危機を、知恵と
勇気で回避した、と歴史的にはプラス評価をされています。
でも 実際には「 キューバ危機 」は随分、迷いや判断ミスもあったようですね。 >>352
インディラ・ガンジーさんは、初代のガンジーやネール首相の寛容、
忍耐力、指導力に欠けていました >>359
サン=サーンスも公共の場で堂々とマンガ読むような人だったの? サン・サーンスはデッサンが上手でね、アニメ的なものは書いていますよ。
作曲も絵画も学術論文も詩作も評論も、すべてが速筆でした。
才能が溢れた人だったんですね。
恐らく、絵も沢山描いたと思いますよ。 > 作曲も絵画も学術論文も詩作も評論も、すべてが速筆でした。
> 才能が溢れた人だったんですね。
> 恐らく、絵も沢山描いたと思いますよ。
うーん、そのような人が麻生太郎さんと似ているところはどこなんでしょうか。
私にはわかりません。 >>364
以前にネットで見たことはあります。
グーグルで探せば出てくるでしょう。
>>365
背丈が低い方という点は似ていますね。
麻生太郎さんの御趣味はフェンシングだったか弓道だったか・・・・・
麻生さんがカラオケで歌ったという話は聞きません。
サン・サーンスは卓越したピアニスト で オルガニストでしたから運動能力は
そこそこあったでしょう。
性格はどうか。少し「上から目線」で話すという点が似ていますね。
結論すれば、両者は殆ど似ていないということでしょうか。 >>365
サン・サーンスは多方面に才能がを発揮して、才能を持て余した人。
麻生太郎氏は才能を持て余すことはなかった人。 麻生太郎副総理、大勝で当選。
来年は総理を狙うとか?
御当人は自信満々。
これに対して、小泉進次郎は、
「 政界は何が起きるかわからない 来年のことなど
今は全くわかりませんよ。 」と牽制。 麻生太郎氏は漫画本を愛読し、それがためか大衆にも親しまれ 、また
友達も多く、議員仲間とも良い関係を保っているw
サン・サーンスは周囲の関係者とは親しくならず、特に晩年は孤高の人だった。 副総理の麻生太郎さんは話し出すと口がひん曲がり、「ひょっとこ」
そっくりになるが、性格はツラほど曲がっていないらしい。
サン・サーンスは顔がガチョウに似ていたので、陰では「ガチョウ」
とアダ名されていた。
性格はガチョウのような可愛さはなく、ひん曲がっていたらしい。 また、麻生太郎副総理が得意の「ジョークらしき言葉」を放った。
自民党の党内講演会で、
「衆議院選挙の自民党の大勝は北朝鮮もおかげ 」と演説。
話しの内容の稚拙さは健在だ 麻生太郎さんはクレー射撃で皿を狙い撃つのが得意です。
サン・サーンスは、寸鉄人を刺す辛辣な言葉で他人の弱点を狙い打ちする
のが上手かったそうです。 >>372
麻生太郎副総理の冗談は常にレベルが低いが、その低さゆえに若者の
人気がある。
気の効いたジョークを言おうとしないからいいのだ フランス近代音楽の勃興は 普仏戦争でフランスが大敗したおかげ、
とサン・サーンスは言ってないか、、、、 麻生太郎副総理は「 麻生服総理 」と言われるくらい仕立ての良い
スーツをお召しになっていますわ 漫画党ではなくてマンガ党、
なるべく難しそうな漢字は使わない 伊藤博文は4回も総理大臣になった。
すごい人だね。 サン・サーンスはユダヤ人に偏見を持たなかったが、
麻生太郎氏はユダヤ系に◎◎◎◎◎ 麻生太郎元総理は自国語より英語が得意。
サン・サーンスは英語より自国語で読み書き話した。 伊藤博文は紙幣に印刷された
サン・サーンスの肖像は紙幣に採用されていない サン・サーンスは切手にも採用されてないのでは?
フランスの切手で、ベルリオーズ、グノー、ドビュッシー、
ビゼー、ラヴェル、デユカス、マスネーは見たことあった。 日本で発行された日本人音楽家の切手というと、
宮城道雄、古賀政男、
藤原義江、美空ひばり、 >>385
フランスで発行されたフランス人音楽家は、
・エリック・サティー、
・ジョルジュ・オーリック、
・フローラン・シュミット、
・アルトゥール・オネゲル、
・マルグリット・ロン、
変わった切手で、「ラ・ヴァルス」の切手がある、名曲だから出たんだろう。 滝廉太郎とかないのか、、、と探したら
あるにはあるが本人の肖像じゃないのか 郵政省とか、( 最近は省名が変わったのか? )、、、どうでもいいが、
役人はクラシックがわからない連中だから。
彼らのイメージして選ぶ『日本の文化人』は、学校の教科書に載っている
人物ばかりだ。 伊藤博文は本籍を神奈川県の大磯に移し、そこに邸宅を建てて住まった。
伊藤の移住とともに大磯は政治の中心舞台になったそうだ。
大磯には政治関係の有力者が続々と別荘を建築する。
西園寺公望も明治32年に伊藤博文の住まいの隣りに邸宅を建てている。
その後に実業家たちも邸宅を建て始める、明治31年に三井高棟(三井財閥),
明治34年に古河市兵衛(古河財閥)が別邸を建てている。
最近、大磯で何軒か残っている邸宅を整備して「歴史的建造物」として
保存するそうだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています