ショパンのノクターンと言えば、第2番が極端に有名で、そのほかに有名なのは8番、13番とか遺作のノクターンとかであろうか。
だが、個人的には17番、18番が飛びぬけて素晴らしい作品であると思っている。

この2曲は、晩年のショパンの心の中をあまりにも良く投影している。
いや、されすぎている。そのため、両曲からは激しさや強さというものからは無縁であるものの、身を切るような切なさが感じられる。

17番はショパンの極度の神経質さ、晩年の悲しみが出ている。
ロ長調というのが、非常に神経質な響き方をする調でもある。また、短調に転調した部分の持つ悲劇性は涙を誘う。
そして、この曲のラストの部分、ロ長調に戻ってくる部分ではショパンの天才性が爆発している。
これ以上に繊細な音楽が書けるのであろうか。はっきり言ってこの世の音楽には聴こえない。

一方、18番は非常に穏やかで静かで、ショパンの晩年の落ち着いた優しさが表出している。
非常にあたたかく、包まれているような音楽である。弾きながら優しく穏やかな気持ちになることができる。
しかし、その優しさの中には「死」というものが見え隠れしていて、強い寂しさも内包しているのだ。
孫を見守るおじいちゃんの視線とでも言おうか。たとえ死期が近いとはいえ、30歳代中盤でこのような境地に至れるというのはいったいどういうことなのか。

この2つのノクターンは、ショパンの内面性の投影と言う意味では、バラードやスケルツォと言ったショパンの一級の傑作群をも凌駕するのではないだろうか。

盛り上がりが少なく、曲の表現も難しいため、それほど取り上げられる機会の多くない曲である。
しかし、こんなにショパン自身の内面性がさらけ出された曲は、人目に触れることなくそっとしまっておきたい、自分の気持ちに素直になりたいときだけに取り出したい、そんな曲でもある。