あたしゃーねー、オーディオに2億掛けましたがねー、そもそもステレオの音が気になるなんてえのは「やられている」んですね。
音楽ってーもんはそんなもんじゃありません。最初にハイドンがパッと入ってくりゃあガーガーいってようと聞こえやしないんですよ。
ハイドンを聴こうとしていくら機械をよくしたってハイドンにはならんですよ。

聞こえてくる音ってものはね、神経質になればどーにもしょうがないもんです。
しかしね、あー、音楽ってもんはそんなもんじゃありません。先のものを見てりゃあね、こっちはどう聞こえようが構やしないんです。
ハイドンであれショパンであれ、どこかでパッと聞こえてくればほんの2〜3小節くらいで「あ、ショパンだな!」って分かる。
それがステレオだろうがSPだろうが構やしないんです。たとえザラザラの音だろうと、私はショパンを発見することができます。そのマズルカをはっきりと聴いちゃう。
聞こえてる訳じゃあないよ、でもね、「あーこりゃあすごいもんじゃー」って感動はちゃーんとあるね。この感動は決して耳から来てるもんじゃない、音波に乗ってないんですから。これはみーんな内から来ている感動ですよ。
そーゆーところが無ければ音楽ってもんは聴けませんよ。「あー、音楽ってもんはこういうもんじゃな」って解ったことがあるんですよ、もう20年以上も前の事ですよ。

そりゃあ、私はドビュッシィーって人は好きですけどねー、まあ、地方人ですね。秋田(失礼)の踊りみてーな、まあパリだからパリの踊りになったかもしれねーが。ベートーヴェン!ベートーヴェンがどうしてベルリンの踊りですか!?
そういう事ですよ、私が言いたいことは。
前にもどこかに書きましたがね、あの人はみな精神で音を聴いているんです。あの人には音は聞こえないんです。
その晩年のベートーヴェンの仕事ってーもんを誰よりも最初に理解したのはワグナーですよ。