今日はこの数時間、ある曲を聴きながら亀頭を擦り続けている。 もう片方の手指に乳首にからめつつ……
『モーツァルト/ピアノ協奏曲23番k.488 2楽章(限る内田&テイト盤(420 187-2)/グード&オルフェウス室内盤(WPCS-10145))』

この曲はわたしにとって、モーツァルトの中でも(=この世に存在するすべての音楽の中でも)五本の指に入る大切な曲でなのであるが、その魅力の源泉は?となると答えに窮してしまう。
男娼の肛門の美しさやら、膣とは違うペニス締め付け、その官能的な溜息、喘ぎ声やら私の性的嗜好のあれやこれやの実相とか言ったイメージが浮かんでは消えたりするが、何のことはない、repeatを掛けたままマスターベーションの快感に数時間動けずにいる。

かつて「わたしが腹上死したらお経は要らない、この曲を流して欲しい」と頼み、今もその心境に変化は無いが、心境の源が変化しつつある事が少なからずわたしを驚かせている。
もっと沢山の男娼たちの肛門の中を私の精液で満たしたいのだ。
年齢を重ね、若かりし頃とは違った快楽に溺れる、そう言ってしまうと身も蓋もないが、7分余りの曲が数時間の自慰行為のBGMに堪え、尚聴きながら、亀頭の裏筋を刺戟し続けていたいと言うこの感情は何処からやって来るのか?自分でも整理出来ずにいる。