時代考証的に正しいけれどもつまらない演奏よりは
考証的に正しくなくてもより音楽的ならそれでいいってこと?
古楽をやっている人間がそんな考えを持ってるなら
古楽派は現代楽器派とお互い否定し合うこともないじゃん
そもそも老人が古楽を否定するのは今まで自分が聴いてきた演奏が正しくないと先に否定されたからだし
否定されるのはガチガチの古楽原理主義者だけということになる。
そしてその原理主義者も真に正しいその当時の音楽を演奏するのはまず不可能なら
古楽という概念は現代クラシックにおける肥やし程度の意味しかない