ショスタコーヴィチの交響曲 [無断転載禁止]©2ch.net
>>1
ぷにぷにしつづけることだけがむにすけのきょうじでありあいでんてぃてぃであると
そうなげき
うたい
ともにかたらい
ししそんそんにいたるまでかたりつぐことこそがきゅうむであると
そう
そういえようにゃ 15番の3楽章あたりに出てくるのって
ワーグナーのジークフリート」の動機の真似だろ? >>4
そうじゃね。てか15は全体的に引用が多い。 >>4
運命の動機だな。
真似じゃなくて引用だね。
ハイドンのロンドンの引用なんて「最後の交響曲」という意味だろうし。
晩年の傑作群13〜15のうち15が時々演奏されるだけと言うのが残念だ。
編成やロシア語ということもあるが、13と14をもっと演奏してほしいものだ。 ラフマニノフの交響的舞曲らしきモティーフも出てくる ブルックナーも結構差し込んでるよな
6番に5番
3番に2番とか 革命を題材に扱った2番や12番ではなく5番が>>8と呼ばれる悲劇 ショスタコーヴィチは5番や7番が名曲という風潮はどう思う?俺的には別に他の交響曲と比べて突出していい訳ではないと思うんだけど。
9番や15番の方が個人的には好み。1番や2番もなかなか面白い。 その辺はシベリウスが2番ばかり持て囃される事情とだいたい一緒だな >>13
あれは楽譜がブライトコップから出ていて楽譜が入りやすいからだと思う
5や7もいい曲 11〜14番は各楽章にタイトルがつけられてるので、輸入盤だとなんて書いてあるのかさっぱりわからん
特に13番と14番は声楽入りだから歌詞の訳が付いてないとダメ ウィキーでは13番は歌詞と訳が載ってるんだが、14番は歌詞も訳も載っていない そのCDに英訳は最低あるじゃろ?
英語も読めないの? ショスタコーヴィチは10番が一番の傑作だという意見についてどう思いますか 今の反安倍政権のデモを見てると
交響曲第11番の再現か?とも思える。 14番はYou Tubeで聴いたが、なんて歌ってるのかわからないうえに聴いてて非常に退屈になったんで、もう飽きた 1986年6月3日NHK-FMで聴いた、NDRとの15番がそもそもの始まりでした...
「何れ、この指揮者の実演による15番を聴きたい」と思い続け14年...
彼の振る15番のシンフォニー聴きたさに、2000年2月にハンブルクまで出掛けて行きました。
まさか、放送で聴いた同じ場所.同じオケ.同じ月に聴く事が出来るとは想っても見ませんでした...
放送された演奏会は1985年2月25日ハンブルク.ムジークハレ。私の聴いた演奏会は2000年2月13日~15日、そうです15年後。
ショスタコーヴィチの作品を聴いて泣いたのは、後にも先にもこの3日間の演奏会での15番だけでした。
人には、一生に一度出会うべき演奏があると思っていましたが、真さにそうでした。
終演後、楽屋で御会いしたマエストロに「これだけ素晴らしい演奏でしたから、天国にいるショスタコーヴィチも
きっと喜んで下さっているでしょうね」と天井呼び差して話したら...
マエストロ、天井をじっーと見上げて何か感慨深そうに...
そして、私の顔を見て「さぁ〜どうかね」と言う顔をして再び天井を見上げて居られました。
きっと、ショスタコーヴィチとの思い出を思い返して居られたのでしょう。
私は忘れません、マエストロがあの時、私だけに見せたあの御顔を...本来ならば御悔やみなのですが99歳白寿おめでとう。
そして、素晴らしい演奏と思い出に多謝。 これってどっかからのコピペなんかな
ザンデルリンクのことだろうか ショスタコーヴィチ・コンプレックス
略して、ショタコン >>36
終演後、楽屋で御会いしたマエストロに「これだけ素晴らしい演奏でしたから、天国にいるショスタコーヴィチも
きっと喜んで下さっているでしょうね」と天井呼び差して話したら...
マエストロ、天井をじっーと見上げて何か感慨深そうに...
そして、私の顔を見て「さぁ〜どうかね」と言う顔をして再び天井を見上げて居られました。
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眞鍋圭子『カール・ベーム ― 心より心へ』にまんまクリソツのエピソードが出てきますが、何か?w 交響曲第9番
スターリンのほうが正しいんじゃないかと思う。
死刑至極だと思います。 どうしてもわからないし、解ろうとする時間も気力もないのが、9番です。
他の交響曲は聴けば聴くほど面白味が増してくるのだが、
9番は聴いて直ぐにストップしちまう。
タコ9の魅力を、諸氏に伺いたい。 近代的書法を使った普通の佳曲だと思えばおk
プロコフィエフの1番とかストラヴィンスキーのバレエ音楽とかそういう感覚で聴けば、
十分楽しめると思う
というかスターリンや第九がらみのエピソードでバイアスかかってない?
12番や5番の方がよほどつまらない、個人的にはね。 コメント、ありがとうございます。
スターリンや伝統的第9のイメージというよりは、8と10という両脇の傑作交響曲に比べて
なんだこれは‼というイメージが強いと思う。
(トロンボーンの後の)テッテッテテッ テッテッテテッ♪
とかユーモラス過ぎ。作曲者としては
ほんの小休止だったのかも知れないとか
思っている。 あれは初期の劇音楽と同じく不真面目さとか滑稽さを追求する方向に振り切っているので
交響曲第9番を聴いたときのような戸惑いは少ないんじゃないか 新しい今の録音技術でセッション録音された全集ってペトレンコのものだけ? 1986年6月3日NHK-FMで聴いた、NDRとの15番がそもそもの始まりでした...
「何れ、この指揮者の実演による15番を聴きたい」と思い続け14年...
彼の振る15番のシンフォニー聴きたさに、2000年2月にハンブルクまで出掛けて行きました。
まさか、放送で聴いた同じ場所.同じオケ.同じ月に聴く事が出来るとは想っても見ませんでした...
放送された演奏会は1985年2月25日ハンブルク.ムジークハレ。私の聴いた演奏会は2000年2月13日~15日、そうです15年後。
ショスタコーヴィチの作品を聴いて泣いたのは、後にも先にもこの3日間の演奏会での15番だけでした。
人には、一生に一度出会うべき演奏があると思っていましたが、真さにそうでした。
終演後、楽屋で御会いしたマエストロに「これだけ素晴らしい演奏でしたから、天国にいるショスタコーヴィチも
きっと喜んで下さっているでしょうね」と天井呼び差して話したら...
マエストロ、天井をじっーと見上げて何か感慨深そうに...
そして、私の顔を見て「さぁ〜どうかね」と言う顔をして再び天井を見上げて居られました。
きっと、ショスタコーヴィチとの思い出を思い返して居られたのでしょう。
私は忘れません、マエストロがあの時、私だけに見せたあの御顔を...本来ならば御悔やみなのですが99歳白寿おめでとう。
そして、素晴らしい演奏と思い出に多謝。