まあ そんなに厳密な交渉ではなく大きな流れの把握としてでしょう。

バロックギターももちろんプンテアードでの多声表現を前提・目標にしていたがかなり部分は弾きならしがあり そうした傾向を嫌って
ポリフォニー音楽に特化しようとしたのがスペインのビウエラだったりするし 最近古い時代の弦楽合奏には当然のような顔をしてリュート族(テオルボとか
を含む広義)が入ったりしているがその場合の主な役割はジャカジャカも含む通奏低音だし。
このもっと前の時点で 片手で弾く弦楽器としてヴィウエラ・デ・アルコ(弓のヴィウエラ)やヴィウエラ・デ・プレクトロ(撥のヴィウエラ)
も並行してあった時代もあると思いますが それがどの時点かわからず歴史的には既に別々に発展して行ってあまり交わっていなかったのでしょう。(ヴァイオリン・ガンバ族や
ウード・マンドリン族など)

リュートはポリフォニックな表現の方向に進化したと思うけど 結局旋律楽器として歌う表現はあまり進展せず 低音を拡大して独奏楽器方面に進化しようとして破綻したということだと思うし。

伴奏ジャカジャカの方向からは旋律的・ホモフォニックな多声表現を目指すソルなどの6単弦ギターに進化したけど やはりまだ旋律と伴奏が明確に
引き分けが出来ない状態でベートーヴェンなどの古典派の巨匠の真の興味を引くまでには至らなかったようです。

その後タレガの時代でようやく多声を前提として旋律部分を大きく歌わせて他の伴奏部分と対比できる奏法(形式面からアポやンドと表現されましたが)
が確立されて 益々ジャカジャカは下衆なものとして避けられるようになってしまったのだと思います。

一方で激しいリズムと和声の表現の分野や電気音量増幅・電気ビブラート・電気音色極彩色化での激しくほとんど持続音的表現まで出来るようになったエレキギーの台頭で
ヴィウエラ・デ・プレクトロ(撥のヴィウエラ)は復活且つ異端的特化的進化を遂げてしまい素朴なクラシックギターでは満足できない薬物依存的音楽が主流になってしまったのでは
ないでしょうか