アンドレ・プレヴィン [無断転載禁止]©2ch.net
ようやくプレヴィンもまとめ箱がSONYででるようになりましたね
Andre Previn's complete classical recordings for RCA Red Seal and Columbia Masterworks in a 54 CD edition
https://www.amazon.co.jp/dp/B07D51864Y/
次はEMIをまとめた箱をWarnerからはよ出してもらいたいものですね 日本での録音(録画)もCD化できれば・・・
自作「オーボエ・ファゴット・ピアノの三重奏曲」
モーツァルト ピアノ協奏曲(複数)と室内楽のスタジオ録画(アンティークな電気スタンドの傍らで弾く映像が記憶に残る)
残念ながら、もう来日は叶わないだろうから・・・ たんたんたぬきの天王星だたorz
でも土星も一音一音と迫りくるクレッセンドは圧巻… たんたんたぬきの天王星だたorz
でも土星も一音一音と迫りくるクレッセンドは圧巻… >>179
sonyとプレヴィン?ぴんとこなかったがRCAレコーディングスなんだね
レジェンド:ジョンフレッチャーのRVWチューバ協が
ドロップアウトされないことを祈りたい…
初CD化の際にで米盤では5番にカップリングされていたが
欧盤にはなぜか入ってなかったという。 プレヴィン/LSOのRCA録音って、DECCAのスタッフが録音してる(ウィルキンソンとか)から、素晴らしい音。
ショスタコの5番とか、本当に素晴らしい。 >>179
ほぼオリジナルのカップリングで、初CD化含む全録音収録みたい RCAがまだ米レーベルの時代だけにLSO(ヨーロッパ録音)が少ないのか、
あるいはLSO就任以前の録音が多のくなるのかな?
プレヴィン=LSO・EMI録音のイメージが強いので
LSO勇退後にまたRCAからロイヤルフィルとベトベンを録音していたりするので
古いか中間とばしてデジタル録音があったりするんかな >>187
RCAとDECCAが提携していた時代があったので、その時代、
RCAのヨーロッパ録音はDECCAが担当していたものが多数ある。
提携解消後、製作費をどっちが出したかでRCAとDECCAに
発売が分かれた。
プレヴィン・LSOのRCA録音はプレヴィンがLSOの音楽監督になってから。
で、プレヴィン/LSOはDECCAには協奏曲のバックを務めた録音が
ありますよね。アシュケのラフマニノフとか。 RCAとDECCAの関係はモントゥLSOの録音でもよく出てくる話だよね。
ドイツでDECCA音源を販売していたテレフンケンとの合弁で
テレとデッカでテルデック。という名になったらしいが
プレヴィンのテルデック録音は少なくて
ロイヤルフィルと「ブラームスの独レク」があった。
ロイヤルフィルのシェフ時代にはテラークレーベルに集中して録音を残す
ブラームスの交響曲やウィーンフィルとのリヒャルト管弦楽集などが好評だった。 >>184
>sonyとプレヴィン?ぴんとこなかったが
いや、指揮者のデビューはコロムビアだったんだが
>>185
>ウィルキンソンとか
ほとんどロックじゃなかったっけw >>190
ショスタコ5番とかウィルキンソンだと思ったけど。
まあ、分量的にはロックの方が多いのかも。
全部聞いて調べたわけではないので。 プレヴィンのメンデルスゾーン、真夏の夜の夢。 1977年、キングズウェイホールでの名録音。 ご本人の消息を聞かないからスレが上がってるとドキッとするよ… 「何でも屋のジャック」てことわざがあるけどプレヴィンはずっとそう言われ続けるだろな
なまじ何でも出来るから手を広げ過ぎてね。彼が不器用で愚直に一つのことに力を注いでいれば真に偉大な仕事ができたのに、て評になりそう マリナーに比べたら何でも屋というほどでもないし
マリナーの小品や協奏曲などの伴奏を主としたレパに比べたら
カルミナブラーナとか結構おおがかりな曲もやるし
今日的なレパートリーのマーラーやストラヴィンスキーはほとんど
興味がなかったように見えるけど。 マーラーはピッツバーグで四番を録音してた
ストラヴィンスキーは何かあったかなあ
メシアンはトウランガリーラがある
とにかく読譜力は桁外れらしいから、その気になればリゲティとかクセナキスもやったかも
それこそ興味はなかっただろうが ジャズピアニストの腕前や
現代曲の作曲家としてのイメージから
器用でキレキレな指揮者と思う人もいるかもしれないが
クラシックの指揮者としてはアバドと同世代のフルベンの演奏を直に
聴いて育った世代であって、アバドよりよほどヘビー級な演奏をする。 音楽家になるきっかけが、フルベン指揮ベルリンフィルを聞いたことだからなあ
生まれもベルリン育ちもベルリン スっチョーーん!
ちゃらラりーらりらりらりぃー♪
〽おーれがいたんじゃお嫁ニャいけぬぅ
音楽:山本直純
とベルリンならぬ葛飾柴又と思い出してしまうそのフレーズ・・・
なるほど「オーケストラがやってきた」は
プレヴィンのBBCテレビシリーズ
「ミュージック・ナイト プレヴィン」につながるわけだ。 つながるかなあw
共通の先祖(バーンスタインもやってたYPC)を持ってるだけでは? 生まれも育ちも、なんていうから
その続きには葛飾柴又しかこない(´ω`) プレヴィンのドキュメンタリーを見たら、前の奥さんのミア・ファローが
仲よく出ていて、「LSOの音楽監督になったときは毎日物凄く勉強してた」
と言ってた。スコア見ながらその曲のレコードを聴いてたけど……。
他の指揮者の演奏を聴くと,影響受けちゃったりしないのかな? 誰かしらの演奏を聴き影響を受けて音楽家を志すわけだから
その演奏に納得いかない部分、共感するところ
いろいろあると思う。佐渡氏のようにまるっきり師匠のコピー
のような人だっているが
それにしたってレコードのように毎回まったく同じように演奏をする
ということは生身の人間には不可能だが…
古楽アーチストのフィリップ・ピケットは
自分がバッハの管組を録音するまで他人の演奏は
聴いてなかったというけど
むしろそういうほうが珍しい。 >>205
人による
ショルティは全く他の人の演奏は聞かなかった >>208
マジか!まだ彼が三十代の頃、マッシュルームヘア?してた頃から聴き親しんで来た。
どんどん老けていかれるので心配していたが、
また一つの時代が終わったか。合掌。 >>208
ソースが見つからないんだが、出してくれないか? ツイッターで探せばいくつか出てくるよ。
ロンドン響の公式ツイートとか。 >>211
分かったありがとう。多才な人だった。
私はムターと同年齢なので、実父より年上の人でした。 やっぱり最後はハイティンク、なのかなあ
3日後の3月4日に90歳 ブロムシュテットが元気すぎる件について
プレヴィン鬼籍入りかぁ。。。好きな指揮者だったんだけどね。ご冥福ー。 庭夏@sn_fleck
世界的指揮者 アンドレ・プレヴィン氏死去
NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190301/k10011832301000.html
「半恍惚」状態の晩年のメシアン、ラヴェル、モーツァルトなど、あれはあれで好ましかったです。
でも、若いころのクールでメタリックなショスタコーヴィチ録音の数々を私は忘れません。どうぞ安らかに。
↑よくこういうこと書けるよな。。。 Wikipediaみたら早くも没年2019.2/28と書かれている。 BBCが番組変更して特番組んでた。
NHKでもやってもらいたい。 >>217
悪気はなさそうだけど、「歳とって体が動かなくなって」みたいな書き方にした方がいいわな クルマに入れたipod
なんかの拍子にリセットかかると
次に立ち上がると流れるのが
この人の17番コンチェルト
隅々まで素晴らしい演奏なので
結局、最後まで聴いてしまう
ご冥福を祈ります 2007年、久々にN響に客演したときのモーツァルトが素晴らしかった。
全ての音符に生命が宿ったかのような音楽。
だからモーツァルトは素晴らしく、難しいのだと教わった。
指揮者として、作曲家として、ジャズピアニストとして、
あるいは全盛期の姿、晩年の姿・・・・・・
皆それぞれが思い出の中に各々のプレヴィン像を抱いているのだろう。
そうさせるだけの偉大な音楽家だった。
本当に心からの感謝の念しかない。 ウィーンフィルの連中とやったモツ・ベトのピアノと管楽器のための五重奏に誰も触れないのな
グルダのそれよりイケてると思うんだがな ロス・フィルと来たとき、N響客演のとき
2回ナマで聞きました。
お気に入りCDもあります。
沢山の名演をありがとうございました。 そういえば十数年前、RPOとのマラ5がリリースされるってインフォあったけど、
ミッキーか誰かの音源の間違い、ってことがあったな
レパートリーが広いような狭いような、ユニークな巨匠だった 最近のおじいちゃん状態しか知らなかったから、若いときの写真見てイケメソでびっくりした。
モーツァルト聴いてみるわ。 15歳頃のジャズのレコードが素晴らしい
まさに天才少年現る もうすっかりクラシックの巨匠になってから晩年のエラ・フィッツジェラルドと作ったガーシュイン兄弟の作品集
ピアノのフレーズを全部覚えてしまうほど聴きました渋いアルバムで良かった
ご冥福です 鮮烈でフレッシュな演奏という点ではやはりロンドン響時代のものが一番だな。
惑星やウォルトンの交響曲、チャイコフスキーやプロコフィエフのバレエ音楽、トゥーランガリーラやガーシュウィンなど。 なんとなくアメリカ人だと思っていたんだけどドイツ人だったのか。
眼鏡が世界一似合う人だと思うな。特に若い頃つけてた大きな眼鏡はかっこいい。 NHKは追悼放送するだろう。ムターとの共演ライヴとか幾らでも音源あるから。 プレヴィンもバーンステインも映画音楽作曲家から指揮者になった ピアノ弾くときはスタインウェイじゃなくてベーゼンドルファーだったんだよね
今は結構珍しいんじゃないかな >>232プレビン作曲の映画音楽は何?教えて下さい。 >>232プレビン作曲の映画音楽は何?教えて下さい。 バーンスタインの映画音楽というのも何かあったかな。ウェスト・サイドはミュージカルだし。 「波止場」思いだしました。
エルマーの方は映画やTVの専門でしたな。 >>223
>ウィーンフィルの連中とやったモツ・ベト
最後のほうは、ウィーンフィルと疎遠になったフシがあるんだよな
インタビューでキュッヒルが「よりにもよって、われわれとラフマニノフを
やろうとする指揮者がいる」と批判的な口調で語っていた
あえて名前を名前を出さずに批判していたが、前後の文脈からして、
どうやらプレヴィンで、ちょっと当惑した記憶がある おまえらメシアンの虎刈なんて聴かないか
今の虎刈りの演奏スタイルの礎みたいなものになったのに
若いときのベロフの録音という意味でもよくぞやってくれたって仕事だと思うんだがな
やっぱウィーンフィルでシュトラウスか() >>239
そこでキュッヒルが暗喩しているのは確かにプレヴィンのことなんだろうけど、
ウィーンフィルとラフマニノフといえばゲルギエフとの来日公演でブロンフマンとピアノ協奏曲第3番を演ったのを思い出すな。
交響曲第2番ならまだともかく、ピアノ協奏曲の第3番とはウィーンフィルの内心や如何にと思ったものだ。 >>241
最初に買ったプレヴィン、最初に買ったトゥーランガリラ(LP) 追悼の意でモーツァルトのフリーメイソンの葬送曲を聴いています >>234
ググれば出て来るだろ。
うろ覚えで書くと、アカデミー賞を取ったのは「マイ・フェア・レディ」の編曲賞、「ジーザス・クライスト・スーパースター」他2本。 ヴォーン=ウィリアムズの「南極」のLP。ジャケットが格好よくて欲しかった思い出。 >>247馬鹿なこと書くなよ。「マイフェア レディー」は編曲だし、「ジーザス・・」の方は
作曲はロイド・ウエッバー、映画版はプレビンは指揮だろ、知ったかのアホ。 >>246
プレヴィンのマーラーの5番が出る!って話題になったけど、
それは結局井上RPOの音源の間違いだったってことが十数年前にあった
その後はよく知らないけど、結局マーラーは4番だけじゃなかったっけ
つーか、交響曲全集としてまとまったのはヴォーン=ウィリアムズだけかな
録音量は少なくないのにそれって、この人のレパートリーのユニークさが垣間見える気がする N響とマーラー9番やったのが音楽館で放映されたことがある。
録音はピッツバーグの4番のみだから、あの映像は貴重だな。 プレヴィンが残した唯一のミュージカルで「ココ」てのがある
服飾デザイナーのガブリエル・シャネルの半生を描いたものだとか。相棒はアラン・ジェイ・ラーナー
中ヒット程度で終わったのでこの方面の創作は続けなかったようです
今はSpotifyでいつでも聴けちゃう聴いてみよう クラヲタだけどプレヴィンのCDはジャズしか持ってない アンドレ・ジョージ・プレヴィン。1929年4月6日。ドイツベルリン。
出生証明書が失われ30年の可能性もあり、本人は30年説。
本名アンドリアス・ルトヴィヒ・プリヴィン。
ロシア系ユダヤ人。一家は38年、ナチス迫害を逃れパリへ移住。一年間パリ音楽院に通う。
39年、アメリカに渡り、戦時中の43年、アメリカの市民権を得る。
長兄は監督スティーヴ・プレヴィン。
46年、ビヴァリーヒルズ高校卒業記念に、プレヴィンがピアノ、同級生のリチャード・M・シャーマンがフルートでデュエットを披露演奏。
(19年後の64年、プレヴィンは「マイ・フェア・レディ」でアカデミー賞最優秀編曲賞を受賞し、
65年、リチャード・M・シャーマンは兄弟のロバートと共に「メリー・ポピンズ」で最優秀オリジナル作曲賞を受賞する)
在学中からジャズ・ピアニストとして活動を開始。
マリオ・カステルヌオーヴォ・テデスコとトッホに作曲を師事し、ハリウッドの映画産業で職を得る。
MGM映画に重用され、後年、数々のアカデミー賞を主にMGMミュージカル作品で受賞する。 軍務についていた51年、サンフランシスコでピエール・モントゥに指揮を学び、
クラシックのピアニストとして師トッホの作品を録音する。
63年、セントルイス交響楽団を指揮し指揮者デビュー。
67年、ヒューストン交響楽団音楽監督。
69年、ロンドン交響楽団首席指揮者に招かれ、アメリカ及びヨーロッパでの評価を確立。
自身の音楽的な背景について、「父はドイツで弁護士として名をなしていたが、同時にすばらしいアマチュア・ピアニストでもあった。
amateurというフランス語本来の意味でのアマチュア、つまり音楽を心から愛する者で、年がら年中、夢中になってピアノを弾き、少々音をはずしても頓着しなかった」。
この父親の下で、五歳のアンドリアス少年はピアノの練習を始め、
やがて父と二人でピアノ連弾に編曲した有名なシンフォニーを片っぱしから弾いた。
田園の第二楽章の第一ピアノが四小節ちぎれていて、そこは自分で適当につけなければならなかったことなどよく覚えている」 「十三になると、レコードを買う資金かせぎに、放課後音楽のアルバイトをした。
デパートで電気オルガンの宣伝演奏をしたり、ダンス学校でピアノをひいたり、昔のサイレント映画専門の映画館で、即興で映画の伴奏をつけたり」。
「ときどきわが身を振り返ってみて。少なくとも音楽的には何人分もの人生を堪能したような感じがする。ここ二十年でようやく指揮者として腰を落ち着けたが、
それまでには音楽と名のつくものならありとあらゆる仕事を追いかけて暮してきた。
下稽古のピアノ弾き、映画の作曲、素人ジャズ弾き、編曲者、オーケストラのピアニスト、劇場指揮者。
もっと若いうちに列記とした指揮者になれるように力を傾注できるだけの性格の強さがなかったことを時にくやみはするが、
我がカメレオン的人生のどの部分も時間の浪費だったとは、本心思えない」。
「いちばん長くつづけた仕事は、映画の十年で、それを始めたのには妙ないきさつがあった。
1948年に、私はカリフォルニアで勉強していて、地元のラジオ・ショーのための編曲でなんとか余分の金をかせいでいた。
MGMが当時映画会社の文句なしの最大手で、毎年つくる何本かのミュージカル映画は、
エスター・ウィリアムズが泳ぐプールサイドでホセ・イトゥルビ
(スペイン出身のクラシック音楽家で指揮ピアノ、戦時体制下のミュージカル映画で活躍)が白いピアノを弾くというような趣向だった。
あるときイトゥルビが何かジャズ風の即興をやらされることになったが、ピアニストとしては優れていても、こういう分野には縁がない。
スタジオの誰かが私のことを伝え聞き、あの男なら必要なことを安く早くあげてくれるだろうと見事な勘を働かせたらしく、
早速私と連絡をとって契約した。私は必要なピアノ・パートを書いてから、おずおずと、オーケストラの伴奏も必要なら書いてみたいのですがといってみた。
向こうが切りだした作曲料は、売店で昼飯が買えるくらいのものでしかなかったが、私は喜んで引き受けた」。
「(ここから始まる映画界での経験について)われわれの仕事にまつわる逸話の数々は、それだけで一冊の本をみたすに足りる」 よく知られている初期作品は49年『山荘物語』“The Sun Comes Up”監督リチャード・ソープによる名犬ラッシーの映画で、初めてプレヴィンが音楽担当者としてクレジットされている。
プレヴィンの初期キャリアで最も古い作品として記載されているのは、46年『底流』“Undercurrent”監督ヴィンセント・ミネリ。
音楽担当者としてクレジットされたのはハーバート・ストザード一人だが、
ノークレジットでプレヴィンの師マリオ・カステルヌオーヴォ・テデスコが協力し、それを手伝う形でプレヴィンも参加している。
47年『下町天国』“It Happened in Brooklyn”監督リチャード・ウォーフ。音楽はジョニー・グリーンのクレジットだが、ピアノソロとして参加。
同じく47年『闘牛の女王』“Fiesta”監督リチャード・ソープ。これも同様に音楽ジョニー・グリーンだが、
主演がエスター・ウィリアムズで、楽曲「ファンタジア・メキシカーナ」を作曲し提供。
48年『三人の大胆な娘たち』“Three Daring Daughters”監督フレッド・M・ウィルコックス。「ハンガリー幻想曲」等のアドリブ演奏。
音楽担当でクレジットされたのはジョージ・ストール。プレヴィンは記載されず。
同じく48年(エスター・ウィリアムズの『闘牛の女王』に続く主演作)『島で貴方と』“On an Island with You”監督リチャード・ソープ。やはりジョージ・ストールの音楽で、プレヴィンは「異教徒の仮面」“The Pagan Mask”と「全員乗船」“All Aboard”の二曲を楽曲提供。 48年にはこれら以外に四本の映画にノークレジットで協力し、それらはやはり音楽がジョージ・ストールだけのクレジットの場合が多い。
またルドルフ・G・コップが音楽担当のものでも二本あり。
『山荘物語』で初クレジットを得るまでに九本の映画を様々な形(タイトル音楽、付加音楽、編曲指揮など原則ノークレジット)で担当する。
『三人の大胆な娘たち』のように現在でも公式には関与を認めていない作品もある。
プレヴィンは46年からアシスタント的にハリウッドに関わり始め、遅くとも48年までにMGMと契約を交わしたと考えられる。
本人は「映画の十年」と記しているが、客観的には六十年代半ばまでの二十年間くらいを映画音楽家として過ごした勘定になる。
46年と言うのはプレヴィン17歳(ひょっとしたら16歳)で、MGMと契約したのも未成年だったわけで、記録としては名犬ラッシーの次くらいに若かったのではないか。 フィルモグラフィーをほんの一部だけ紹介すると、
50年『土曜は貴方と』“Three Little Words”監督リチャード・ソープ。
53年『キス・ミー・ケイト』“Kiss Me Kate”監督ジョージ・シドニー。
55年『いつも上天気』“It’s Always Fair Weather”監督スタンリー・ドーネン。
57年『絹の靴下』“Silk Stocking”監督ルーベン・マムーリアン。
58年『恋の手ほどき』“Gigi”監督ヴィンセント・ミネリ。
59年『ポギーとベス』“Porgy & Bess”監督オットー・プレミンジャー。
60年『ベルズ・アー・リンギング』“Bells Are Ringing”監督ヴィンセント・ミネリ。
66年『マイ・フェア・レディ』監督ジョージ・キューカー。
67年『モダン・ミリー』“Thoroughly Modern Millie”監督ジョージ・ロイ・ヒル。 ミュージカル映画以外では、
54年(西部劇)『日本人の勲章』“Bad Day at Black Rock”監督ジョン・スタージェス。
67年『大西部への道』“The Way West”監督アンドリュー・V・マクラグレン。
(戯曲映画化)『夜への長い旅路』“Long Day’s Journey into Night”監督シドニー・ルメット。
62年(モダンホラー)『誰が私を殺したのか』“Dead Ringer”監督ポール・ヘンリード。
64年(文芸映画)『エルマー・ガントリー 魅せられた男』“Elmer Gantry”監督リチャード・ブルックス。
68年、ロンドン交響楽団の首席指揮者となり、英国に拠点を移して後も、大作に参加する機会はあり、
70年『恋人たちの曲 悲愴』“The Music Lovers”監督ケン・ラッセル。
72年『ジーザス・クライスト・スーパースター』“Jesus Christ Superstar”監督ノーマン・ジュイソン。
75年『ローラーボール』“Rollerball”監督ノーマン・ジュイソン。 関わった作品タイトルは約50本。その職種も多岐にわたり、必ずしも音楽(責任担当者)としてクレジットされたわけではない。
例えば舞台ミュージカルを映画化する場合ならば、一番大きくクレジットされるのはオリジナル楽曲の作詞・作曲者であることが多く、
プレヴィンは音楽監督(ミュージカル・ディレクター)や監修者(スーパーヴァイザー)
或いは編曲者(アレンジャー、オーケストレーター)というカテゴリーでのクレジットになり、
楽曲(IMDbでは「サウンドトラック」という分類)のみの提供ということも。
プレヴィンの「カメレオン的人生」とは、狭く彼の映画音楽人生だけに限っても当てはまるものだ。
『マイ・フェア・レディ』のオスカーは四つ目のもので、それ以前に『恋の手ほどき』と『ポギーとベス』で「最優秀ミュージカル音楽賞」、
そして63年『あなただけ今晩は』“Ilma la Douce”監督ビリー・ワイルダー、で「最優秀編曲賞」を受賞している。
言及するまでもなく華々しいキャリアであり、50年代晩期から60年代初期が彼の映画音楽家としての質量共にピークであったのは疑いを容れないが、
その一方で、60年『地下街の住人』“The Subterraneans”監督ラナルド・マクドゥーガル、という映画史上に名高い(悪名高い)ドラマの音楽も担当している。
悪名と言っても要するに大失敗作という程度のことだが、MGMがどれほどこの映画を忘れたがっているかと言えば、
未だに正規のビデオ、DVDがリリースされないことで察しがつくだろう。
ただし大変ゴージャスなサントラ盤CDは出ており、このギャップが作品の存在理由ともなっている。このCDに関しては後述したい。
「全国の何百人の人々は1953年のアカデミー賞のMGMのテレビ放送を見たときに、
そのショーの中で、白いネクタイに燕尾服のアンドレ・プレヴィンという若い指揮者を目にしたことでしょう(訳、大西正則)」。 >>242
>交響曲第2番ならまだともかく、ピアノ協奏曲の第3番とはウィーンフィルの内心や如何にと思ったものだ。
逆だろ。コンチェルトの伴奏だから、まあつきあってやってもいいかだよ N響との共演なら2002年か2003年くらいに
ラフマニノフの交響曲第2番をやったんだけど
あれはN響の演奏の中でもかなりの名演だった。
あの時既に車椅子だったからむしろ長生きされた印象に思えます。
ご冥福をお祈りします。 何かのインタビューでブルックナーをやりたいって言ってたんだよな
結局一度も振ることはなかったけど、プレヴィンのブルックナー聴いてみたかった >>265
2007年の確か9月のB定期でラフマニノフの2番聴いたけど別に車椅子でも何でもなかったんだけど… >>249
だ〜か〜ら〜、うろ覚えで書くと、と書いたろ。
お前もwikiで見たクチだろ。
偉そうな口を利くな、このスカタン野郎が。 スカタンってなに??
なにかの略?漢字は?
どこの方言?? ジャズだが「ダブル・プレイ」という2台ピアノのアルバムが好きだった
野球に関係する曲で集めたセンスも良くて
50年前の録音だってのに音も良くて何度も聴いた 映画のこともあって「マイ・フェア・レディー」をプレビンの作曲と思っている人は多い。
自称クラシック愛好家の百田ナントカもそう書いていたよ。それこそスカタンですな。 庭夏@sn_fleck
今朝もプレヴィンのジャズを聴いてる。一見するとくたびれたジャケットの写真が、
彼らのくつろいだアンサンブルと同期しているのだということをやがて知る。静かな音楽。
↑馬鹿にしてんのか? ドリス・デイとのデュエット。2曲目のFools rush in、からのYes、お願いだから聴いて!!! 純クラシック作品でピアノ、オーボエ、ファゴットの三重奏曲がある。
日本でも模擬さんと演奏していたはずだが録音はないかな? >>275
茂木さんてN響の茂木さん??
この前友達になったから本人にきいてくる >>258
「カメレオン」てのは自嘲なんだろね
バーンスタインの伝記に友人のネッド・ローレムて歌曲作曲家が、バンスタが「何でも屋」て批判されることについて
「何でも屋であることがレニーのアイデンティティなんだ」て言ってたけどプレヴィンの場合もそうなんだろな