グスタフ・マーラーPart22
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>>603
日本のオケや合唱団でも普通にやれる実力が付いたのが大きいのだろう。
ホーレンシュタインのCDの解説にあったが彼がロンドンでマラ8をやった時は本番まで全然上手く会わなくて絶望のあまり泣き出したらしい。
ただCDを聴く限りそんなにミスもないので火事場の馬鹿力で上手く行ったのか。 にしても8番ほどマーレリアンのあいだで評価の分かれる交響曲もないわな
アドルノとか村井翔とかは明らかに嫌ってるし >>608
若しくはシロートのくせに俺でも歌えるんじゃね?とか勘違いしちゃったヤツが増えただけかも
ソースは俺 >>611
合唱は譜面みると技術的だけでなく素質?も問われる曲だよね
ベース:低音〜テナーだろ音域まで幅広く
テナー:高音域余裕
アルト:アルト不要。ソプラノ低音域
ソプラノ:高音域余裕
大規模合唱団になるから出る人にお任せ☆してしまうのは否めない >>608
泣いたのはミトプー
「たとえば翌年ザルツブルク音楽祭で同曲を演奏したミトロプーロスは、
練習のとき音響が把握できず、ついに指揮台ですすり泣いたという。」
ホーレンシュタインのマーラー千人の交響曲の輸国盤の解説より
ホーレンシュタインの演奏が1959年、ミトロプーロスは1960年
以上、余計なお節介でした >>613
あ、泣いたのミトプーだっけ?そりゃ失敬。
俺は図書館でCD借りて聴いただけで手元にないからうろ覚えだった。 >>603
ゲーテ生誕200年
都響創立20周年
今更じゃないって事だ マーラーほどつまらない作曲はいない
ただ長いだけで内容がまったくないはったり屋の音楽だもの
あんなもん聞いて悦に入ってるバカはアタマおかしい アタマおかしいはマーラー好きには賛辞な気がするわw マーラー好きだけど同じマーラー好きにネトウヨがいると気持ち悪いんだが
スルースキルもねえし スルースキルって「俺が好き勝手なこと書くの邪魔すんな」という勢力が使う方便 ロンドン響の来日公演マーラー9番堪能した。やはり素晴らしい曲だ。 マーラーを聞くならバーンステインにかぎる
ただNYフィルとの全集で8番だけをLSOにしたのが惜しまれる
なぜこのようなことをしたんだろう >>628
実際、リンカーンセンターのオープニング・コンサート(1962年)、
で演奏され、録音もされたんだが、前半だけだった
当時、8番はコスト等の問題で、おいそれと録音できなかった
今もそういう面がある とかく後回しにされる
バンスタ本人もNYで録音できなかったことを気にしていたようで
晩年、DGとの全集ではNYフィルを予定していた。ところが、
実現前に逝去されたため、DGは急遽、放送録音を転用した
めぐりあわせとはいえ、これは残念だった レヴァインのRCAへの録音も2と8は結局なされなかったしね マーラー九番(の一部分)とラフマ交響曲二番との違いは何処に? ハイティンクもBPhとマーラーを系統的に演奏してきたが、8番だけまだ演奏していない ハイティンク/ベルリン・フィルの録音も8番が原因で止まったらしいしな
せめて先に9番録音しといてほしかったが マーラー入門曲はたいてい巨人と4番が推されるが6番あたりもいいと思うよ。 すべての音楽は千人の交響曲の前にひれ伏すしかない
マラ8の前にも後にも音楽無し
天体の運行であり人類最大の偉大な芸術(*´Д`)ハァハァ 俺は小六の時、兄貴のcdをこっそり聞いた7番が初体験だわ。 マーラーの作品には作品番号がないのはなぜ?
それと大地の歌以外の交響曲の「巨人」「復活」などの副題は作曲者本人がつけたもの?(大地の歌が交響曲かどうかは別として)
交響曲10番は「クック版」以外のはありますか? ジャン・パウルの「巨人」は読んだことあるけど、特に面白くなかったぞ。
マーラーはどこに惚れ込んだのだろう? >>645
そんなことはない
長ったらしいけど曲はキャッチーだし >>639 あれこそ交響曲じゃなく別の名前を付けてほしかったね。 >>639 あれこそ交響曲じゃなく別の名前を付けてほしかったね。 あれを交響曲として作曲したというのが当時のウィーンのアートシーンを象徴してるだろ 徐行してても驚くよ
時速2kmくらいでブラブラ真ん中歩いてる横最徐行で抜けようとしたら驚かれて文句言われたことある
結局横とおる前に相手に気づかせなきゃダメなんだよ >>655
なるほどカーペンター補筆完成版にそんな理由が! どうも第6番の逆転版は合わないな。
今聴いてるラトル/バーミンガムもそうだわ
ヤングな諸君は違和感ないのかな? マーラー自身が最終的にそれで是としたのだからその順番しか有り得ない ラトルは10番の大太鼓の数もそうだが、奇をてらいたかっただけ だけではないだろうがな
他にもあったよな2-3入れ替え演奏 1955年のミトロプーロスはアンダンテ→スケルツォ
1965年のスタインバーグはスケルツォ→アンダンテ
1966年のバルビローリはアンダンテ→スケルツォ
スケルツォ→アンダンテが増えていったのは1963年出版のラッツ校訂版からと言われている ブルーノ・ワルターの手紙には、マーラーがAndante → Scherzoの順序について後年に否定したことはない、と書いてあるそうだ
ラッツの後継の校訂責任者であるクビックは最初はラッツの考えを支持していたがだんだんおかしいと思うようになったという
クビックは、「ラッツはだんだんScherzo - Andanteの順序が正しいという妄想にとりつかれ、事実に対して盲目になっていった」と述べた
2003年には「楽章順はAndante - Scherzoとする」と国際マーラー協会が宣言した 後の世代には
1963年〜2003年の40年間だけスケルツォ→アンダンテが正しいとされた特殊な期間があった
と語られてるかもしれないな… ミトロプーロスは
1955年ニューヨークフィルのライブがアンダンテ→スケルツォ
1959年ケルン放送響のライブがスケルツォ→アンダンテ アンダンテ→スケルツォの順が良いと俺は思う
より古典的な楽章配置に近づくし、全体として変化がある おれはスケルツォ→アンダンテ派
アンダンテが終わって終楽章の序奏が始まると
アンダンテは逃避でしかなかったという気持ちになる
否応なしに現実の闘争に戻される感じ >>664
1965年はスタインバーグじゃなくて、ラインスドルフだろ
因に1963年のドラティはスケルツォ→アンダンテ バルビローリは初出のLPではスケルツォ→アンダンテだった >>672
それは、レコード会社の都合でスケルツォ→アンダンテに差し替えられた。
CDでもアンダンテ→スケルツォにした物と2種類出ていた。
サー・ジョンは実演では、アンダンテ→スケルツォの順番でしか演奏していなかったようです。
ハロルド・ファーバマン/LSO盤も、LP盤ではアンダンテ→スケルツォで発売され、
CDでは、スケルツォ→アンダンテにして出していた。 まあ結局、最初の刷り込みで楽章配置は決まると思う
俺はラトルで6番に入ったからアンダンテ→スケルツォだなぁ 1番の標題:
1稿(ブダペスト稿)・・・二部から成る交響詩
2稿(ハンブルク稿)・・・交響曲『巨人』
第1印刷版・・・無題の交響曲第1番
第2印刷版(改訂版)・・・無題の交響曲第1番
マーラー死後のいくつかの校訂版・・・無題の交響曲第1番
これでOKですか? >>674
昭和生まれ:スケルツォ→アンダンテ
平成生まれ:アンダンテ→スケルツォ 大正生まれならバルビローリの実演聴いてアンダンテ→スケルツォが刷り込まれてる可能性ある? >>676
前島の本を読め
>>678
柴田南雄は、プリングスハイムの演奏でアンダンテ→スケルツォで聴いたと著書で書いてある ショルティのLP全集(フィリップ)ゲット、これの評価どうなん?マーラー初心者です >>679
具体的に、書名と著者を教えてください。 >>680
ショルティがフィリップから出していたとは知らなかった。 >>681
前島 良雄 著 「マーラーを識る」
後はググレ >>676 1稿の時点では全5楽章だったのですね?
「大地の歌」は別として、マーラーが交響曲に標題をつけたのはどれですか? Wikipediaより
交響曲第1番ニ長調(1884-88)
ジャン・パウルの小説に由来する副題『巨人』は、最終的にマーラー自身により削除されている。
交響曲第2番ハ短調(1888-94)
広く知られる副題『復活』は、マーラーによって付けられたものではない。
交響曲第6番イ短調(1903-04)
広く知られる副題『悲劇的』は、マーラーによって付けられたものか不明。
交響曲第7番ホ短調(1904-05)
第2、第4楽章『夜曲(Nachtmusik)』に由来する『夜の歌(Lied der Nacht)』という通称は、後世のものであり、マーラーおよび作品には無関係である。
交響曲第8番変ホ長調(1906)
『千人の交響曲』という名でも知られるが、これは初演時の興行主であるエミール・グートマンが話題づくりのために付けたものであり、マーラー自身はこの呼び名を認めていない。 Mahlerの交響曲に声楽が含まれるものが多いのは、彼自身がオペラを指揮していたことと密接に関係しているのでしょうか? 「密接な関係」があると主張するだけの根拠は無いと思う。
2番や8番のように、書きたい内容が明確にあるのでそれに声楽が必要だったという理由が第一。 他スレでも、質問ばっかだな
/7hYq0Mm は、新手の構ってチャンか?
少しは、自分で調べたり考えろよ 荒らしだと思ってれば間違いない
他板にもいる
恐らく同一人物 質問をすることが問題提起だとでも思ってるんじゃないかな? >>684
前島 良雄 著 「マーラーを識る」
ありがとうございました。
ネットで見ています。
https://www.youtube.com/watch?v=cjh2pucllRQ
↑この人ならなんかネタを持っていそうですね。 >>695
その動画に気付いたか?
ならば、交響曲ニ長調と交響詩「巨人」の違いは解る筈だ
但し、ヘンゲルブロック/NDR盤は1893年ハンブルク版とは謳っているが、
殆ど交響曲ニ長調+「花の章」の版に近い、校訂版にヘンゲルブロックが手を入れているから
ヴァージョンの違いは、前島氏よりも先に金子建志先生が80年代のレコ芸に既に書いている マーラーはつまらない作品しか残さなかったな
これはブルックナーにもいえることだ レス乞食ってのは哀れなもんだということ
ソイツはとりあえず自覚はあるようだがな 要するに、問題はブタペスト稿がなぜ伏せられていたかということ。 >>700
伏せられた、と言うのではなく破棄した筈の物が何故残っていたのか?
それに1888年ブダペスト稿は無い筈、在るのは1893年ハンブルク稿だろ >>701
お前はアフォか?
ピント外れのことを書くな。
アマオケにでもおればわかるやろけど
1回演奏したら、どんだけの五線紙が要るか!
筆写スコアがあればおんのじや。
それらを発掘する学者が過去にはおらんかったの
かってことをゆうとるんじゃ。
ネコ本読んだことないんか?
「マーラーの交響曲」金子建志著音友社1994
p22以降にちゃんと説明されとるやろ。
ハンブルク稿の8割以上はブタペスト稿やと
いうことや。p28・29には繋ぎの個所のコピー
まで載せてくれている!
そこに1994年時点でネコケン先生が想定した
ようなものが演奏された。
その真贋や演奏に至った経緯が知りたいとゆうことや。
前島さんという方を紹介してくれたのは
有り難かったけど、ワシの力ではネットをいくら
見てもようわからんかった。なんせ上のヨツベは
2011年のものやからね。彼のツイッターには
そんな古いもんは出てこんかった。 マーラーはただ長いだけで中身がまったくない
心を動かされるものがないんだよな
はったり屋の三流作曲家だった
大指揮者のトスカニーニ、フルトヴェングラーもマーラーなど完全に無視した ディートリッヒ君とたしか一緒に吹き込んだはずなんだが。
(フルトヴェングラー) そしてディートリッヒ君にマーラーの素晴らしを気付かせて貰ったとも言ったはずなんだが。
(フルトヴェングラー) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています