昔福田進一が奏法のことで自説を繰り広げていたことがある。
その後自説が間違いだったと思ったのか、説を実行した人たちからの有害報告があったのか、奏法について語るのはやめたようだ。
クラシックギターの奏法など、確立したものがあるわけでも根拠があるものでもない。
まして言葉で奏法を解説するなどというのは、百害あって一利なしということだ。
奏法を提案したければ、まず映像と音を記録して例示するのが最低限の礼儀というものだろう。
それではじめて、受け取る側の自分の奏法や何人かのプロの奏法と比べることができる。
どう読んでも、悪い気づきの機会になるのが関の山だというべきだ。