指揮者・作曲家としての山本直純
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なってしまいそうなのが残念だ。 きっと、作曲家と指揮者は、オーケストラの譜面をみるだけで
実際には楽器が鳴っていなくても、どのような音が鳴り、
音が混ざり合って聞こえるはずであるかが、まるでいま耳で
聞こえているように頭の中で聴くことができるような職業人なのだろうと
想像する。自分はよく知った人が、その場にいなくても頭の中で
まるでその人が話しているかのような空想の声を聴くことができるが、
オーケストラの作曲家や指揮者はそれを複数の各種楽器が鳴り響く
様子を心の耳で聴くことができるに違いない。そうして作曲家は
自分の頭の中で鳴らしてみてそれを譜面に書き取ることで作曲が
進むのだろうかな。常人にとってはまさに神がかりである。 >>48
本当の音はオケを鳴らしてみないとブラームスでも分からない。
ブラームスは交響曲の初演にあたり、自ら棒を取ってリハをしたとき、所々で中断した。
リハを止めては楽譜を直し、楽員に指示してパート譜を直させた。
そうして実際のオケで音を確かめて初演してから初めて出版し、乃至は改版を出した。 直純先生/東フィルのブラ1がNHKFMでかかってたな >>50
そうなんだ
直純氏、ブラ1好きだったらしいから
どのように振るのか聴きたかったな >>51
芥川也寸志も死の床でブラ1を聴きたがったらしい この時代の音楽家はブラ1好きなの多いのかな
カラヤン日本初演の影響とか? 直純氏の著書を読んでみたら
幼少期以降、本人の節目がブラ1らしく、
それぞれにかなり思入れがある書き方をしていた
その中の一つがカラヤンのN響初演らしい 実は直純氏のパロディーコンサートに入ってる
ベト“変曲”45番「宿命」を聴いた時、
ベートーヴェンは勿論、ブラ1 最終楽章の響きが
解釈の方向性がカラヤンに近いように思えた
パロディーだけど、それぞれの演奏とてもしっかりしていて
それを聴きながら感心してしまった
自分がもう少し早く生まれていたら…
直純氏がN響定期に登壇していたら…ちょっと残念だ https://www.youtube.com/watch?v=HBl2xEsxBtk
20年前、名古屋での第九だが、氏がたどり着いた境地はこれなのかと思うと、
「うーむ」と言うしかない たどりついたと言うより元から。むしろ若い頃と変わらない指揮ぶりに驚いた。 >>56
寧ろ上手くないオケをよくここまで持ってってるな、
と思うけど…w
耳がずば抜けて良い人だったらしいから
この音聴きながらはしんどかったろうに 一度だけオケのトラに紛れ込んで某避暑地の野外コンサートで児童合唱と童謡メドレーを演奏した事がある。
テレビカメラに向かってニコニコしながら、いい加減な調子で、
「歌ってくれるのは、さっき通りかかった村の子供たちで・・・」(これウソ!朝から猛練習していた)
「じゃぁ、やってみようか・・・」と、あくまでもヘラjヘラと気楽な感じでこちらを向いた瞬間・・・
顔が別人に変わっていた! いきなり宮本武蔵みたいな、トスカニーニみたいな殺気。
アヤシゲなオケと未熟なキッズたちを、一瞬にして統率していた。
あの時の眼光だけは決して忘れられない。 >>59
へー作品は知ってるけど、全盛期の活動ぶりは知らなかったから意外、けっこうやるじゃん
血筋と天性の才能だけでヘラヘラ仕事できた人、そしてそれが許される時代だったと思ってた >>62
誰の文章かなw
五味康祐あたりかと思ったが、あの人もヒゲはやしてるし >>63
宇野功芳
「モーツァルトとブルックナー」のクナの項目 >>59
え、あのK避暑地コンサートに演奏側で参加されたんですか?
ある楽団員だったか、
直純氏の目が笑っているところを見た事が無い
と言っていたそうだ
そういや小沢征爾も振る時は殺気立った眼光だったな >>65
昭和のK町ではレッスン受講者の学生やアマチュアも軽いコンサートには乗せてもらえたと聞いたことがある。
だから縦の線がガタガタになったりしていた。
もちろん妃殿下(当時)がお越しになる正式の場ではアマNG。 編曲パロデイー物
イケてない部分もあるが、1960年代の聴衆の笑いを聞くと意識が高いと思う 最近「山本直純と小澤征爾」という本を読んだ
世間の評価とは、時代の受容も含め難しいね
自分は団塊ジュニアなので全盛期の60〜70年代を余り知らず、
また所謂「普通のテレビっ子」だったので
小澤征爾の名前は知っていてもあまり視聴する機会は無く、
指揮者というと直純氏の印象の方が大きかった
音楽家というよりタレント性が強く、本人もそれを演じてたけど、
テレビの彼の指揮は素人(子供)にもわかりやすく振ってくれてたから
子供心に、結構凄い指揮者=プロなんだなぁ、と思っていたよ >>66
へえ、アマチュアに経験させてあげる機会を設けてたのかな
この頃の音楽祭とか行ってみたかったよ
https://youtu.be/7uF_UBqln3o Wikipediaより
酷いなこれ
↓
門下生だった山本直純によると、斎藤は喫煙中毒者であり、ニコチンが切れると苛立って教え子に当たり散らし、譜面台を蹴り倒して楽譜を散乱させることもあったという 門下生の小澤征爾は高校時代、斎藤から指揮棒で叩かれたりスコアを投げつけられたりするなどの体罰を日常的に受けていたため、あまりのストレスから自宅の本箱のガラス扉を拳で殴りつけ、大怪我をしたこともある 斎藤みずからは極端な上がり症であり、本番の演奏会で指揮する時は練習の時と全く異なり「先入」という指揮法をやたらに多用した。意識的にやっていたのかと思った小澤征爾から「先生、今日は『先入』ばかりでしたね」と言われると、斎藤は逆上して「そんなこと言うな! 俺は先入なんかやるつもりはないけど、そうなるんだ!」と怒鳴った 直純がポップスに走った時、斎藤秀雄は何と言って叱責したのだろうか?
又は赦したのだろうか? 森永エールチョコレートのCMを見て、TVを叩き割ったかもな ボストン・ポップスを振った音源+映像は残っていないのかな?
アメリカのオケは権利関係が複雑で、なかなか日の目を見ないようだが
(ついでにスレチだが、若杉弘指揮ボストン交響楽団もどうしても見つからない) >ボストン・ポップス
観たい(聴きたい)ねぇ
YouTubeにはN響のが一部上がってるけど
東フィルとかは映像は撮ってないのかね
せめて音源をiTunesでもいいから販売して
くんないかな >>75
セルのライブが次々に出てるから、あと十年待たれ そういうのは、日本人が一生懸命企画なり立てて遂行するものだが、
今の日本(人)にそこまで奇特な人はいるのだろうか? 男はつらいよ
の中の挿入で
リリーと渡り鳥 って曲あるけど
昭和の哀しみに満ちたいい曲だなぁ。
寅さんがイケメンに見えてさえくる この人は、音楽家の父親の稼ぎが少なく、兄弟を食わす為に藝大在学中から
ジャズ喫茶だったり芸能関係で働いてたらしい
20代半ばくらいにはすでに口髭を生やしていたようなのだが
やっぱり舐められないように貫禄付けたかったのかな
若い頃から顔も体も丸々して、その頃から酒も随分呑んでたろうね 父・直忠の宗教的DNAは確かに継いでいるようだ。
謝肉祭で馬鹿騒ぎ、その後一転して四旬節でしんみりして、復活節で再び派手に飛び出す。
ヨハネ・パウロ二世来日の時の式典で音楽監督だったし・・・。 常に心のどこかでは純クラシック指揮者への嫉妬と想いを持ちつつも、
家族を養うことを最初の目的として、マスコミ活動と大衆へのクラシック
啓蒙活動に専念することに決めたのだろうか。
音楽についてはホントに天才だった人だから、大衆に向けて
クラシックを分かりやすく伝えられるのは自分くらいしか居ない、
という理解と自負は持ってたようにも思うんだけどね。 この前、天皇陛下御在位30年記念式典で
天皇が作詞、皇后が作曲した曲「歌声の響」の件で
山本直純の名前が出てましたね 今日は小説家の有島武郎141回目の誕生日
有島武郎の妹の夫は軽井沢に三笠ホテルを建てた実業家の山本直良
その子供が山本直忠
そのまた子供が山本直純 >>84
直純は、有島の甥の子供
直純からしたら、有島は大叔父になるんか ドキュメンタリー「山本直純〜音楽の底辺を広げた男〜」
がBS朝日で3月16日放送
http://amass.jp/117800/
BS朝日 ザ・ドキュメンタリー』
「山本直純〜音楽の底辺を広げた男〜」
BS朝日 2019年3月16日(土)よる7:00〜8:54
映画「男はつらいよ」のテーマソングで、今なお人気を誇る作曲家・山本直純。
69年のその生涯で作曲した数は、なんと4000曲以上。
クラシックは言うに及ばず、映画、ドラマ、CM、バラエティー、童謡と
その活躍は多岐にわたっています。
クラシック音楽を分かりやすく一般大衆に伝え広げる活動に
人生を懸けた山本直純の功績を振り返ると共に、
親交の深かった歌手・さだまさしや山田洋次監督など、
山本直純を知る人々の声を丹念に積み重ね、
豪快、そして奔放にして寂しがり屋、まるでフーテンの寅さんを
地でいくような愛すべき人柄を浮き彫りにしていきます。
番組ページ:
https://www.bs-asahi.co.jp/documentary/lineup/prg_089/ たまたまテレビつけたら
BS朝日の番組やっててちらっとみた
さだまさしが無免許運転のくだりの話しててて
ほんとは運転してたのは奥さんだったけど
奥さんをかばって自分が運転してましたっていって
出頭したっていってた
荘だったのか? BS朝日の特番観た
直純氏の関連書籍を読んでれば6〜7割は知っている話だったが
幼少期、特に継母の連れ子の扱いについてや
世界進出を諦めた目を悪くした原因について
を具体的に聞き知ったのは初めてだったな
歌声の響も直純氏アレンジの原曲伴奏がとても美しく良かった >>33
学生時代から娯楽映画の音楽を数多く手がけ、
芸能界に幅広い交友関係を持つというキャリアからすれば、
むしろ日本のプレヴィンというべきか NHKにもかなりの映像+音源が残っているはず。
「音楽の花開く」(・・・だったかな?)
オケは実質日本フィルだが契約で文化放送=フジしか出られないので、
個人契約の任意団体「東京ロイヤルフィル」の名前だった記憶が。 >>93
音楽の花開く…はまだ60年代なので
日本フィル分裂前だよ
また分裂後も直純氏は日フィルを気に掛けていて
録音の時は日フィルとも一緒にやっていたらしい ちゃんと降ってる映像が少ないというものあるし
こういう曲も悪くないんだけど、
やっぱり純クラシック振ったやつも視聴したい
https://youtu.be/bXbzVIMYNT4 >>97
解説もしながらだから直純さんらしくていいよね
star wars の演奏と一緒につべで観たからこれは知ってたんだ
ありがとう
他にベトでもモツでもチャイコやブラでもいいから、
真面目に通しで降ってる映像があったらなあ 最近、再評価の動きがあるのは本当に嬉しいな。
氏の天才ぶりは以前から言われているし、純音楽でも通俗音楽でも、一見 道化のフリをしているけど絶対に手を抜いていない。音楽の全てを知り尽くしている=スコアのパートに至るまで暗譜できていた…こんな才能で音楽をやられたら、有無を言わさぬというものだろう。
鼻歌感覚で作曲もできていたのも凄いが、だからこそか、有名な歌を聴いてみればすぐわかるけど、詞の抑揚とメロディーがピッタリと合っている!(例、マグマ大使、いちねんせいになったら)これは何でもない事のように見えて、実はとても難しい。本当に凄い人だった。 >>59
遅レススマソ。
ヤマカズ先生なんかも飄々と入ってきて、指揮台に立つ頃まではただの爺さんに見えたのが、楽団員の方を向いた途端に豹変。身震いした。
直純さんもやはりというか…奇しくも「男ならはつらいよ」繋がりだけど、渥美清さんも「寅さん」のイメージで接してかかると、とんでもない、怖い一面を見せたらしいからね。
ストイックな人に共通する現象なんだろうか。 >>55
N響の定期に出ていたと思うよ。たしかブルックナーのプログラムだった。
N響のサイトの過去のデータで調べてみ。 >>101
見てみた
定期っていうか、N響「夏」とか地方公演に出てたようだね
モーツァルトとかサンサーンスの名前は見たけど
ブルックナーあったかなあ
何回か見直してみたのだが、探し方が悪かったんだろうか
NHKさんの事だから、幾つかは録画残ってるよね
放送してくれないかなー N響の演奏会記録を見てみましたが、ブルックナーの記載はなかったですね。
当時、N響の演奏会チラシやポスターを見て「直純さんのブルックナーって
珍しいよね」と友人と話した記憶がありましたが、そのあと亡くなったので、
未公演だったかもしれません。最後に大きい曲を振りたかったのかな?と
いう記憶です。確かCプロでブルックナーの8番という記憶です。
当時の音楽の友とかN響演奏会予定が載っていれば、そういうことです。
すみません。 指揮法が一番上手いのが直純さん。
たまに交響曲とか振っても
スコアに忠実で新古典主義みたいな演奏をするので好きだ。 >>103
なんか亡くなる少し前に立ったスレで
ブルックナーを振って欲しい、みたいな話題になってたような覚えが、、
それとは別で実際にどっかの地方オケとかで降る予定があったのかな
>>104
ベタな曲でも、氏のベト5なんかもベーシックながら格式高い演奏を
してたようだから、天才的な耳だけでなく論理的な裏付けがあっての
指揮だったんだろうね
直純さんのベト5、聴いた事ある人が良かったと言ってたし 古いテープを探していたら、N響を指揮した大学祝典序曲とサン・サーンスの「オルガン」の
テープが出てきたよ。エアチェックですが、残念ながら途中切れてしまってました…。
(1983年11月22日の収録) ↑割と正統的な演奏ですね。
小学生の頃、日比谷公会堂で直純さんのコンサートに行って楽屋にサインを貰いに
行った。ふんずりかえって座っていて、「おぅ、サインか?」といって、似顔絵付きの
サインを書いて下さったのは良い思い出です。
それから20年たって、日本指揮者協会のパーティに行った時に、指揮者オケに
直純さんがトランペットで乱入し音を外していたのも、ある意味でエンターテイナー
だな、と思いました(笑)。 「オーケストラがやってきた」の公開収録を7〜8回観に行っている世代としては
本当に一番身近なプロの音楽家でしたよ
2本録りの最後にアンコールで小品を聞かせてくれたです 直純指揮N響の武田信玄
あれは良かった
残ってるのならまた放送してほしい >>106
おお!
途中まででもいいからYouTubeとかにあげてくれないかなー >>108
懐かしいです。小澤さんも頻繁に出ていたし、
関西収録の時は朝比奈さんも出ていらっしゃった。他の地方の時は地元のオケがでてましたかねえ? >>109
ヒストリーチャンネル(650)で毎日昼1時から放映中 その「信玄」のテーマも
「マグマ大使」も「寅さん」も
曲の最後が「9度の和音」なんだよね
直純さんカラー全開 「オーケストラがやってきた」ってDVD化されたよね。 >>112
大河ドラマの本編じゃなくて
確かサマーコンサートかなんかで直純がN響指揮して
その時に武田信玄のテーマも演奏したを見たのを覚えてる
あれの映像は残っているのかな >>113
9度→属9?
直純さんの好きな終止形だったのかな。他にもドラマ「太陽の丘」のテーマとか(記憶の限りでごめん)。例外は「ハレンチ学園ソング」ぐらいではないかな(→レコードではフェードアウトなので…w)
>>91 >>106
FMからエアチェックした古いテープで、「パリのアメリカ人」を振ったのを持っている。オーソドックスな演奏だけど、「日本のプレヴィン」って形容はアリかもな。 >>115
探せばあるかも。
スレチスレスレかもしれないけど、芥川也寸志さんが「武蔵坊弁慶」を振った新響のCDがあるからね。自作自演ってのも案外録音が残っていると思いたい。 信玄は馬の疾走の場面に3(×3連譜゚)拍子を持ってきたところが天才的。
ただ、モトネタはあるようで、ダンディの「シャンソンとダンス」のダンス部分がほとんど同じムード。
ダンディの曲は昭和13年に斎藤秀雄指揮で初演されているので、レッスンの教材に使ったのかもしれない。
中間部は尾高尚忠のフルート協奏曲第2楽章の中間主題に似ている。直純は林光に連れられて晩年の尾高を訪問している。
何だか信玄の郷・甲州から信州(軽井沢)に至る小海線でのんびり旅して見える白い雲が思い浮かぶ楽想・・・ >>116
エアチェックはいろいろと当時のことを思い出すのでいいですよね。
「パリアメ」ですが、知っているかもしれませんが、キングから、
N響創立90周年記念シリーズで、山本直純集として2枚組CDに収録されてます。
他には、直純氏のナレーションによるブリテンの管弦楽入門、あとはアンダーソンや
ビートルズの編曲、スター・ウォーズなどです。 >>119
「題名のない音楽会」で、『寅さん世界音楽の旅』と題して、「男はつらいよ」のテーマをヴィヴァルディ風とかベートーベン風(第9とのミックス!)とかにアレンジして演奏する企画があったけど、あれも直純さんの真骨頂だった! 昭和天皇崩御の際、フジテレビの特番で
深夜にもかかわらず、新日本フィルを指揮して
モーツァルトの40番の生演奏をやっていたな
当たり前だが笑顔を全く見せず、演奏も超シリアスだった 没後一部CDになったのはあるにせよ、
音源はもっと残ってるはずなので
入手する手段が無いのが残念だな 作曲家としての山本直純は
個人的には
童謡の「一年生になったら」と「小沢昭一の小沢昭一的こころ」の
お囃子かな >>124
>>99 参照。
いつのまにか日常の中にあるさりげない音楽を、実はものすごく高い次元で作っていたのが直純さん。 前にBSで直純さんの特番やった時、
歌声の響を純ノ介さん指揮、奥様ピアノ伴奏で披露してたけど、
1番は普通のアレンジ、2番で直純さん原曲伴奏になった途端、
音の響きが一気に変わってその美しさに鳥肌が立ったのを覚えてる 交通違反の件でN響定期出演がパーになって
その時のプログラムが
R・シュトラウスの「ドン・キホーテ」だったらしい >>127
(当時の直純氏のイメージから)
N響振る、ってだけでも驚きだったのに、
プログラムも結構本気モードで
皆さん更にビックリだったらしいね 当時のプログラム見つけた
◆リスト:交響詩「レ・プレリュード」
◆ハイドン:交響曲第45番「告別」
◆R.シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」
(チェロ/堤剛 ヴィオラ/菅沼準二) ハイドンが実現していたら、エンディングで直純ならではの面白い演出があったかも・・・
ドン・キホーテは戦前の新響での日本初演の時から何かとケチの付くジンクスがあった ニュース <仏コルシカ島で「キツネネコ」捕獲?当局は新種と主張>
→きつねねこ
→こぶた たぬき きつね ねこ
→このスレにきました 現代にあの頃の直純氏が生き返ったとして、
当時から危惧していた今のクラシックの衰退ぶりを見たら、
「ああ、やっぱり」と思うのだろうか
まあ啓蒙活動を頑張っている若手もいるけどさ >>133
コンプライアンスやら何やらうるさい時代になってるから、直純氏には生きにくいだろよ
案外冗談音楽をつべに上げたり、ネット配信やってたりしてな 「和楽器とオーケストラ(とジャズドラム)のためのカプリチオ」の音源入手できますか?
オリジナルはドラムをフランキー堺が叩いていたはず。 >>134
>現代は直純氏には生きにくい時代
まあ、晩年の頃も既に時代とのズレに苦しんだようだからね
でもそこを掻い潜って、何かを始める、行動を起こす人だから、
YouTubeとかも興味を持ったんじゃないかなーと思うよ
あ、でも観客と同じ空間を共有するライブ演奏会を大事にしてたっけ >>136
ニコ動で生配信してそう >>ライヴ演奏会
インスタに不適切画像w上げて炎上してたりな >>137
Twitterの呟きで炎上しそうなイメージかなw
ニコ動は確かにやってそう
ベルリンフィルの動画配信みたいなヤツを
カラヤンと争うようにやってたかもしれないw
(もちろん直純流に面白い仕掛けで) その昔、小澤が日本に帰って来た時は、
直純は事ある毎にとにかく小澤のこと立てていたけど、
そのことも含めて直純に感謝を感じてたんだろうか
もうそろそろ小澤も… 最近、日本のクラシックに基礎を於いた作曲家が絶滅危惧種になっている気がする。 指揮をしている時も、ここで言ってる事自体も
いつだって真剣なのに、おちゃらけた表現をするんだよね
それと、この人はもの凄い才能なのに
いつも自己肯定感が低いような感じがするんだよな
https://youtu.be/YLy4tsJm6Bk 新オバQのテーマ、作・編曲ともに山本直純になってるけど、
編曲に関しては弟子のたかしまあきひこなんじゃないかな?
たかしまの後年のドリフ物のテイストそのまんま。
勿論、編曲も山本直純で、そのエッセンスをたかしまが
引き継いだと言われれば、それまでなんだが、聞く度に何かこう
たかしまあきひこを感じるんだよな。 やっぱり、正統?なクラシック界では
直純氏は邪道扱いなのかねぇ オーケストラがやってきた、は一部分だがDVDで観られるけど、
自分は 題名のない音楽会 に出てた直純氏を観たいんだよな
まだ子供だったけど、彼が出てた時は本当に面白かった
黛敏郎も嬉しそうに楽しそうにしていたのを覚えてる >>135
遅レスだが日フィル盤がある
山本直純:和楽器と管弦楽のためのカプリチオ、戸田邦雄:合奏協奏曲『シ・ファ・ド』 下野竜也&日本フィル| https://www.hmv.co.jp/product/detail/5445291 学生時代、デパート等で試し弾き出来る電子ピアノを弾いて遊ぶ事が多かった。
ある日弾いてると、音楽家?らしき男性達に突然声を掛けられ色々質問に答えると
「直純さんっぽい」「耳が良いね、指揮をやらないか」等と言う。
いきなりで何か胡散臭い、と思い適当な事言ってその場を逃げたけど…
今だにありゃ何だったんだ?と…20年以上前の話。詐欺だったりしてww
ビビってたので相手の顔もロクに見て無かったからどんな人かも覚えてないw
変な思い出。 >>146
その「題名のない音楽会」も、黛敏郎時代が一番良かった。
クラシック音楽を、あくまでもクラシックの視点を崩さずに、わかりやすく語っていた黛さん。(直純さんもそうだったように。)
以後はクラシックのただのポップス化路線に成り下がった。
(佐渡裕さん時代が、かつての良かった時代になんとか近かったかなぁ…。) >>149
でも、黛時代もクラシックとはほぼ無関係の回も多かったでしょ?
歌謡曲の解剖とか、国会議員歌合戦とか >>150
ナチス党歌のホルストヴェッセルには驚いた >>146
子供の頃に見たのでほとんど記憶がないが、
次々出てくる人物の画像に合わせて、ナオズミ氏が即興でピアノを弾くって遊びをやってたのは覚えてる
ピアノも軽くパラパラ弾いてて、なんかすごい人だなと思った 55年前の東京オリンピックには服部克久と共に、女子体操・床運動の伴奏ピアニストとして参加
開会式には選手団の一員として入場行進にも出た >>153
へっー生演奏で演技してたの?試合で?エキシビションとか?
再生機器が劣っていた昔だから?今でも? >>153
当時はまだその程度のランクの人だったのかな
その8年後の札幌オリンピックでは入場行進曲作曲したくらいだから、もう大物中の大物の扱いですよね >>154
勿論、競技で
演技に合わせた曲を作って演奏する必要から、
当時の若手作曲家達が起用された 直純氏って音楽の事なら何でも分かってしまう人であったわけだけど、
そのせいなのか、客観的と言ったら聞こえのいい表現だが、
いつも何処か一歩引いてるというか冷めてる感じがあったよなぁ
凄過ぎる事で却ってその先の高みが見えてしまって自己評価が低くなってた感じ
我が道を突き進んだ小澤征爾や岩城宏之らの方が指揮者として評価されたのは、
直純氏より能力は劣っていたとしても、自己評価が高かったからかもしれない
つまり自分の音楽に対する説得力の強さとアピールがあった 山本直純はキダタローと並び称される名曲くださいコマーシャル作曲家であると同時に、
日本人指揮者として最高の指揮法を編み出した。 再放送
12月31日(火) 12:00〜14:00 BS朝日 ザ・ドキュメンタリー 「山本直純〜音楽の底辺を広げた男〜」 高度な作曲技法に精通しながら、
あえてシンプルなメロディーにこだわったのが凄い
正月に「男はつらいよ」を観に行ってから、
主題歌が頭の中でエンドレスで鳴っている あくまでシンプルでありながら、その実、脳内では「瞬間的に」(←ここが重要!)物凄い計算をしている。
類型的なペンタトニックのピョンコ・リズム(寮歌調)で始まりながらド演歌にならないように、秘かにさすらいのウェスタン風のワサビを添加。
更に渥美清の広い音域をフルに使った16度のレンジ。多分、一緒に飲んで話している間に、使える音域を聴き取ってしまったのだろう。
それらを彩る副属七の連続(ドミナント・モーション)の細やかさ(←この点は玉木宏樹の手が入っているが…)。
そんな芸当を短時間のうちにやり遂げてしまうのが恐ろしい所だ。 あくまでシンプルでありながら、その実、脳内では「瞬間的に」(←ここが重要!)物凄い計算をしている。
類型的なペンタトニックのピョンコ・リズム(寮歌調)で始まりながらド演歌にならないように、秘かにさすらいのウェスタン風のワサビを添加。
更に渥美清の広い音域をフルに使った16度のレンジ。多分、一緒に飲んで話している間に、使える音域を聴き取ってしまったのだろう。
それらを彩る副属七の連続(ドミナント・モーション)の細やかさ(←この点は玉木宏樹の手が入っているが…)。
そんな芸当を短時間のうちにやり遂げてしまうのが恐ろしい所だ。 >>162
大学生の頃、廃品回収(ちり交)のバイトをして軽トラで回っている時、「寅さん」の歌なしバージョンを流して回っていた。その時点では「寅さん」のテーマソングだとは知らなかったので、うっとり「いい曲だな」と思っていた。
後年それが直純さんの「寅さん」の曲だと知って愕然とした。名作曲家だよな。美しいよ。 https://www.youtube.com/watch?v=6JMIQOmxBKA
この曲もいい
ジャニーズ・アイドルの新曲として書き下ろした訳ではなく、
映画の主題歌として作ったもの
トリオの部分のメロディーがジンと来る プレミアムドラマ「贋作、男はつらいよ」でも直純さんの音楽使ってるのが嬉しかった。
特に挿入曲で綺麗でクラシックの演奏会で取り上げてもいいのあるでしょ。
直純さんって天才なんだな。 >>157
著書の中で、「置屋育ちのでくの坊が女の魅力を知らないようなもの」と、
音楽家の家庭に育ったことで音楽に対する欲望や情熱が足りないことを語っている
甘美なメロディーやカラフルなサウンドも、鋭い耳と豊富な知識を持つ氏には、
ただの音の組み合わせにしか感じられないのだろう これほどの曲を一番組のOPってだけで片付けていいワケない
実際、コメントに"音源として、しっかり遺すべき偉業"的なモノも…
https://youtu.be/Qk9McXNpSDw この人は、こういう仕事(作曲者としては当然だけどCM自体にも出てた)
もこなす気風のよさが好印象だったな
https://youtu.be/xViRnw9rELI >>170
ドソドソ、ドミレ〜、レソレソ、レファミ〜・・・(以上、移動ド唱法)
子供が歌うための素朴な歌だが、見事に西洋音楽の(例えばドイツ民謡の)旋律線や和声(TとX)が貫徹されている。
日本旋法によるわらべ歌には無い「ゼクエンツ」(模続)もほとんど教科書的に用いられている。
生まれながらに自然に、西洋クラシックの音感がDNAベースで染み込んでいたのだろう。
だが、それらを法被(はっぴ)と纏(まとい)と共にやってしまう所が、何とも痛快ではある。 >>168
確かにどんなに複雑で美しい旋律でも、
最終的には「音の組み合わせ」という捉え方で
あったのは氏の著書から読み取れるね
ただ、何となくなんだが、本人の能力や技術ではなく、
感情面として「何処かいつも後ろめたい」的な感じを
直純氏の雰囲気から受けるんだよね
いつも陽気に見せてる姿も、常に何処かに「負」を感じる、
色で例えると“少しくすんでいる”みたいな 一度聞いた曲を譜面を見ずにピアノで弾けるというショスコ並みの能力の持ち主で
作曲家としても指揮者としてもありあまる才能の持ち主だったが
なぜか歌を歌わせると見事に音程をはずしてしまったらしい 寅さんの音楽と床屋でヒゲを剃られたエピソードしか知らない 直純さんの曲はキダタローとは本質的に違うクラシックの技法を駆使したもので、浪速のモーツァルトならぬ「世界の直純」と言われても過言ではない。 氏の名前を広く知らしめたNHKの「音楽の花開く」を放送か配信してくれないかな
50年以上前の番組だから、どの程度残っているか分からないが >>176
俺もそれ観てみたいんだよな
団塊ジュニアだからギリ記憶があるのが「オーケストラがやって来た」だし
(どっちかと言うと題名のない音楽会の方が氏を観た印象が強いくらい)
確か赤ジャケの元祖となった番組だったけ? >>176
横浜の放送ライブラリーならあるかと思って検索したがなかった
あそこはなかなか興味深い音楽番組があるんだけどね
「私の履歴書、安川加壽子」とか、見入ってしまった ドラマの企画会議に音楽担当として出席しているとき、
議論が抽象的(観念的)な方向になって来ると、いつの間にか姿が見えなくなる。
会議が終って、議長が「あ、そろそろ直純さん、いいんじゃないの?」と言うと、
下っ端社員が会社から最も近いパチンコ屋に探しに行く。
軍艦マーチの轟音の中、当てた玉も放置したまま夢中で鉛筆の走り書きした譜面が散乱。
それを後からつなげると、見事にドラマの場面に合致した作品が出来上がっているという次第。
・・・これ当事者から聞いた本当の話。 「音楽の花ひらく」
ここの8分頃にほんの少しだけあるけど、フルバージョンは本当にないのかなあ
https://www.youtube.com/watch?v=FFMXg5fRSCI 今、新型コロナウイルス騒動で国内ほぼパニック状態だけど、
こんな時、直純さんだったらどんな事をするだろうか >>181
自粛関係なく、いつもの寿司屋へ呑みに行く >>181
演奏会が中止になって仕事のなくなった音楽家を救済する為の組織を立ち上げ、
各党に陳情して回っていそう 寝ていても
飲んでいても
社会活動していても
世界が元に戻った時には、すぐに使える譜面が大量に出来ている。 新型コロナウイルスによる各方面への甚大な影響の為、来週からの『オーケストラがやって来た』の収録、放送は無期限中止とさせていただきます。
ご了承下さいませ。 >>184
おー、新日フィル騒動の時みたいにかw
でもホントにそうするだろうなと思う
>>185
もしくは壮大な大作を書くとか
(交響曲とか交響詩とか) 童謡もすごいと思う
もっと山本直純さん作曲の童謡を子供に聴かせるべき >>188
こぶたぬきつねこ、や、いちねんせいになったら、は立派に現役ですよね バンカラ風を気取っていたが
ほんとは外門から玄関まで
車でいかないといけないような
豪邸に住んでいた
シャイなお坊ちゃま >>190
山本直純の出自からして、それって本当なの? カネがあったかどうかは別として・・・
高校まで自由学園、礼拝堂でオルガンのアルバイト
縁日で駄菓子を買って帰ると親が「汚いからやめなさい」と言って、代わりに洋菓子を作ってくれた
・・・とう環境だったことだけは確か。 私が在籍していた大学オケの指揮者は元芸大で、直純さんやや岩城さんの指揮勝負の時に弾いてたらしい
弁当で釣られたと言ってた
弁当は出なかったという説もあるが、その先生は弁当もらったと言ってる
あと、あの二人はつるんでいろいろなイタズラしてたらしい
警察官の前で突然逃げ出してわざと追いかけられたりしたとか
先生はたまたま一緒にいたから職務質問されたとか
あの二人についてとても懐かしそうに語っていた
先生ももうご高齢なので今のうちにもっと思い出話し聞いておこうかな 恐怖の町
マグマ大使
新オバケのQ太郎
どれもベースラインがカッコいいのは偶然か 小学生の時に歌った合唱組曲「遠足」からの「城跡」は忘れられない 久石譲あたりが寅さんで4曲の組曲を作ってくれないかなあ >>173
それでいて、藝大時代、渡邉暁雄の指揮副科の履修試験で、
ピアノで弾かれた不協和音の下から三つ目の音を歌えとか
その五度上を歌えとか言われた時は、きちんと聴き取り正確な音程で歌ったという
他にもTuttiでオケが鳴っている中、ヴァイオリンの方を向いて指揮をしながら、
「コンバスの○○さん、もっとビブラートつけてよ」と指示したとか、
ブーレーズ並みの驚異的な耳を持っていたという伝説は多い >>201
昔、南山大学のオケで振ってもらった人も山本先生は耳がすごく良いと言ってたな
凄い緊張したって言ってた >>179
大阪だか京都で仕事を終えた後、帰りの新幹線の車内で「男はつらいよ」の
新作の台本を広げて作曲を始め、東京に着く頃には全てできていたと、
作曲の弟子だったトロンボーン奏者の故・榊原栄氏が証言している ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています