ブルックナー vs マーラー
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モーツァルト以降の交響曲の集大成、ブルックナー
近代の雄、マーラー マーラーの音楽にはまだ紫外線を感じるがブルックナーのは完全に引き篭もりもこじらせ感が半端ない マーラーには紫外線とともに水蒸気の存在も感じられる
まとわり付く暑苦しさや遠景がかすむところがそうで
つまりこれは地球上の自然の風景を象ったものだ
それに引き換えブルックナーはCGっぽい >>68
逆?
お前は何を言ってるんだ
人をおちょくるのも大概にしろ ブルックナーは後期ロマン派の域を脱せず古臭い
マーラーは響きが現代的だが現代音楽ではない マーラーはあざとい
ブルックナーは自然
この一言に尽きる ブルとかワンパターンだし繰り返し多すぎだし退屈てしょーがないやね >>73
へー
わいはそんなこと感じたことはないから
わからんやね マーラーは自分に自信がないから雑多な旋律を行き来してるような音楽 >>74
ワンパターンで単純な頭の人間にはわからないと思うよ モーツァルト交響曲第1番変ホ長調の完成度に比べれば両方子供の遊びレベル マーラーって指揮者によって主旋律+伴奏みたいに演奏する人もいれば現代音楽みたいに演奏する人もいるよね
なんかシェーンベルクと勘違いしてるのかってくらいに >>76
よかったー単純さが
世の中大事だからね。
複雑に考える奴じゃん、自殺
鬱、嫉妬、ストーカー、
良かった単純で! マーラーは彼の周囲のことを音楽にする
ブルックナーは彼の頭の中のことを音楽にする >>82
マーラーは当たっている
ブルックナーはハズレだね ハズレと書くだけでこうだと言えない低能はレスする資格なし
迷惑だから消えうせやがれねー とりあえず、ほぼ最後の交響曲で 8,9番 限定でCDになっている演奏なら、良い悪いの比較ができるんじゃね? 大地の歌ってどうして交響曲扱いなんだ?
どう考えてもカンタータか管弦楽伴奏の歌曲だろ 交響曲扱いしてるのはほとんど日本だけですね。マーラーは交響曲と記載していないので。
だから欧米でのコンサート・プログラムやCDも交響曲という表記にはなってない。
メータは「連作歌曲」と言ってるし、交響曲全集に入っていないことが問題になっていると聞いたことはないなあ。
交響曲という表記は「第九のジンクス」という話を拡大解釈して利用した日本の商業主義の賜物ですね(^^;
楽譜には Das Lied von der Erde としか書いてありません。 >>86
Wikipediaさんによると、副題に
Eine Symphonie für eine Tenor und Alt (oder Bariton) Stimme und Orchester
とあるらしいよ
なお、英語のWikipediaさんにも
Described as a symphony when published, it comprises six songs for two singers who alternate movements.
とか
Leonard Bernstein described Das Lied von der Erde as Mahler's "greatest symphony".
とかあるので、まあ日本だけってことではない またって言うくらいなら100年前の作曲家の話自体するべきじゃないな スレ見返せば理解できる話を盛り返すなということでね 「話を盛り返す」という用例は珍しいな
普通は「話を蒸し返す」が一般的だが ブルックナーは生理的に受け付けない
なぜかは知らぬ >>2
お前凄い偉大な人なんだな
普段どんなことしてんの? マラ5けっこう好きだけど相手が悪いブル5とは一突き半で土俵下まで吹っ飛ばされるってくらい重量に差がある
5番以降でマーラーに分があるのは6番だけじゃないか
マラ5はアダージェットはホントにいいし第1〜第2楽章も好きだけど第3・第5楽章はまともに聴いていられない
ブル6はほとんど前半楽章しか聴かない特にフィナーレは通して聴いたことが何回あったか? 第2楽章だけなら何百回も聴いてるけど… ないです
そもそもブルックナーとマーラーでは核が違います
マーラーを聞いて時間を無駄にしている人は頭が悪い人です って構わないで放置が吉なんだけど
>>99-102は明らかな自演 競わせる意味はないな
でも多くの作曲家が5番になると特にかなり気合い入れて書いてる感じはする
番号意識してるのかな? 気合の入る勝負の5番だね
棋聖戦とかも五番勝負だし(これは違うか) ベートーヴェンの例のハ短調
チャイコフスキー
ブルックナー
マーラー
シベリウス
ショスタコーヴィチの革命
有名なのはこんなところ?
音響の総合体としてはブルックナーが交響曲として最も緊密だとは思うけど
やっぱりアダージェットの魅力で個人的にはマーラーに軍配 だから何で5番同士で競うんだ?
単に5番目に発表した交響曲ってだけだろ
ちなみにベートーベンは最初田園が5番で運命は6番だったんだぞ 吉松隆の5番がダダダダーン!で始まるのは確信犯だな
マーラーはどうなんだろう? ベートーヴェンじゃなくなりますメンデルスゾーンの結婚行進曲じゃないかって話もあるらしい葬送行進曲だからね 運命動機と呼ばれる例のリズムは他の自作にも登場するし他の人にも当たり前に引用されてんな 5曲書かなきゃまだ一人前じゃないみたいな評価基準なのかね
5番は指慣らしも終わっていよいよ円熟期に入りましたでしょ的な期待を持ってカツモクすべきNo. 某功芳が、ブルックナーは人知を隔絶してる、マーラーはしょせん人間の世界に矮小化された音楽
なんて要らん事言って煽るから反発するんだよな
あの人のああいう対立軸的批評、「ボクの好きなこっちはすごいんだぞー」式の
(中二病とも言う。基本いつもそうだよね、クナには他の指揮者は敵わない、とかさ)
批評スタイル、ハッキリ言って百害あって一利なかったと思うよクラシック音楽にとって
パレスチナとイスラエルの憎悪の連鎖も止まらんわけだわ、ああいう
人間の世界に矮小化された対立思考をたかがクラシックの批評でも捨てられないんだから
ホラ怒れ、ブルックナーファン・功芳ファン さてこう書いたが、俺は決してブルックナー嫌いでも、
マーラーをブルックナーの上位に置いてるわけでもない
伝記を読むとブルックナーの苦労人ぶりはかなり好きだし
彼の交響曲は音響の構築性がすごい、と聴くたびに素直に感心する
俺が嫌いなのはマーラーをブルックナーの下に格付けしようとする一部クラシックファンの風潮 いやー今日はこの後夜にブロムシュテットによる第一番(巨人)だー楽しみだなー マーラーとブルックナーの差は音響の構築≒楽譜の縦方向の組み立てのトコロじゃなく横方向の構築の仕方でしょ
マーラーのそれはマーラー嫌いの人には気まぐれで構築性が弱いように感じられるけどマーラー好きにはその変化の激しさがいい
ブルックナーの場合マーラーやベートーヴェンなら一時間でも二時間でもモーマンタイなクラシックファンでも5分でモゾモゾし始めるって人が少なからずいる
そういう人にとってはブルックナーの横方向の展開は余りにも変化に乏しく退屈なんだがブルックナー好きにはわかってねーなーの一言である
もしマーラー好きの人がブルックナーは縦方向の構築はいいのに横方向がな〜とか思っているんだとしたらやっぱりブルックナー好きとしてはわかってねーなーと言わざるを得ない
付け加えとくと私はマーラーも嫌いじゃないというよりハッキリと好きだけれど
例えば5番の第1楽章〜第2楽章はマーラー的な気まぐれな変化を楽しんでいるしアダージェットは一切文句なしだけど第3楽章とフィナーレはとてもまともに聴いていられない
一番好きなのは大地の歌だけど比較的各楽章が短いから横方向の弱さが見えにくいというのも大きいと思う一番長いフィナーレは加算式で採点するならかなりいいけどトータルだと横方向の構築の弱さというマーラーの弱点が感じられる そもそも本質が違う
ブルックナーは構造
マーラーは生成
哲学史でもそのどちらに重きを置くかは時代や個人によって違った ブルマラ聞いて悦にいってるナルシストには困ったもんだ
駄作に満足している知恵遅れとしかいいようがない ブルックナーもマーラーも緩徐楽章しか印象に残らない
速い楽章は二人ともヘタクソ >>116
>モーマンタイ
言いたい事はわかるがそれをいうなら
メイウェンティ(没問題)だろ、プウトンホワ(普通話)なら >>121
俺もそう思う
ブルックナーこそ突然の総休止(ミクスチャーストップ?)の後に
何事もなかったように別の動機から音楽が再開するようなところとか
まさにそのつどそのつど音楽が生成してるように思えるけどね
あと低弦がグリグリウネウネ動いてる上で金管が鳴り響くのはやっぱり縦の構築(音響)だと思う ブルックナーの交響曲は長距離走というかほとんど歩いてるから登山ってトコか
ダッシュ&ストップまたダッシュを繰り返すマーラーはサッカーかバスケか
同じようにダッシュ&ストップの繰り返しでもベートーヴェンはマーラーより戦術的というかストライカーではなくプレイメイカー的な俯瞰する目線を感じるフットボール系でもサッカーよりラグビーかアメフトって感じか
異論は多そうだけどモーツァルトはマーラー派とブルックナー派に分類するならブルックナー寄りだと思う疾走してる方が例外だろう…というか大ト短調もベートーヴェンやマーラーのようにダッシュはしてないと思う どっちが好きかといったらマーラーだなあ
ブルックナーを聴かずに残りの人生過ごせとなったら、俺はまあ、やってけるけど
マーラーのアダージェットや第六は無いとかなり困る >>126
マーラーの死人臭い音楽なんて私は嫌いです。
ブルックナーは死人の音楽ではないので好き。 ブルックナーの第9番の4楽章完成版と
マーラーの第10番の5楽章完成版の新しい研究者の版のCDが出たとしたら
買いたくなるのはマーラーの方かな 色気のない童貞妄想のブルックナー
色気が毒気に変質した狂気のマーラー 第一印象でマーラー好きにならなかった人が後から好きになるのは珍しいケースだと思うけど
ブルックナーの場合むしろ最初に聴いて「わかる」方がむしろ例外だから第一印象だけでブルックナー嫌いになった人がそのまま食わず嫌いしてるのはモッタイナイと思うよ
この辺もマーラーはベートーヴェン派でブルックナーはモーツァルト派だと思うんだよね モーツァルトはブルックナーと違ってわからないままでも結構聴けちゃうのがちとややこしいトコだけど いやどう見てもブルックナーがベートーベン派でマーラーがモーツァルト派だろ いやどう見てもブルックナーはベートーヴェンとモーツァルト派でマーラーはシューマン派だろ 大学オケで20歳前後の子達がブルックナーやるってのもなぁ。 >>131
いや俺が初めて聞いたマーラーは大地の歌だが
「何て気持ち悪い音楽だろう」だったよ第一印象
それが好きになったからその論法はちょっと違うんじゃないかな >>131
俺はブルックナーからクラシック聴き始めたからそれはおかしい
まあ一番だから後期のとは違うけど 女に縁のない奴らが好むブルックナー
女に辟易した輩が好むマーラー >>138
ブルックナーについてはわからんが、マーラーに関しては当たってる
俺は小中学で女子からいじめられまくって、そんな暗い13歳の時
初めて買ったマーラーのCDが大地(女に厭世気分で自然回帰したかったのさ)だからな マーラーブームを巻き起こした指揮者といえば
ワルター、バーンステイン、ショルテイ
この3人の名があがる
しかもこの3人の共通点は全員ユダヤ人だということ クラシックを聴く習慣がない一般人にはブルックナーもマーラーも似たような雑音でしかない 何が「で?」なの?
くやしくてそれしか言えなくなっちゃったの?(^O^) >>141
ブルヲタのこういうところが嫌い
巣にこもって第8をエンエンと聴いてりゃいいのに 大好きなブルックナーをバカにされて悔しいとはっきり言えば? ブルックナー交響曲全集を最初に完成させたのはヨッフム
1回目はDG、2回目はEMIに全集を残した
2回目が発売されたときレコ芸のヘボ評論家は
ただ録音が新しいというだけの理由で推薦盤にしたが
年月が経つと同時に元の1回目の全集をヨイショし始めた
レコ芸の評論家なんてこんないいかげんな輩ばかり >>150
5ちゃんでは言葉の揚げ足取りをするのは負けを認めたのと同じこと 一般人じゃないのが一般人について決めつけしたり議論したりしても無駄だ マーラーよりブルックナーの方が人気のある国なんてドイツとオーストリアくらいじゃなかろうか
ブーレーズも未だにフランスではブルックナーは受け入れられていないって言ってたし
マーラーフリークの指揮者や作曲家はロシアから南米まで世界各国にいるけどブルックナーフリークは主にドイツ語圏とイギリスや北欧に偏ってる感じだ それはモーツァルトに関しても言える
ベートーヴェンのファンはライト層からコアな層まで満遍なくいるがモーツァルトは指揮者も聴き手もかなり限られてくるマニアックな音楽だ そんなマックのハンバーガーが世界一みたいな理論をクラシック音楽に適用されましても ブルックナーとマーラーを対決させるなんて、間違い
世界の王と白鳳を対決させているようなもの、お門違い まあ正直なところブルヲタから見るとね、マーラーの特に9番終楽章冒頭なんかはブル9アダージョ冒頭の丸パクリなのが見え見えで、どうしても格下臭がするんだよね。
しかもブル9の方はあの短9度の跳躍が楽章中に執拗に繰り返されていてつまりは楽章全体の鍵になる音型なのに対して、マラ9アダージョ冒頭のオクターブの跳躍はその後の音楽にほとんど何も影響してこなくて、本当にただ取って付けただけとしか思えないのが、ちょっとねえ。 んなこと言い出したらブルックナーなんかひたすらベートーヴェンの第九のパクりじゃんw うん、だからブルックナーがベートーヴェンより上だなんて全然思わないし格下で全然かまわないと思ってるよ。 それに、パクリ自体が無条件にダメだとは言わない。まったく模倣の要素のない創造なんてないだろうし、より説得力を増すようならそれはそれでアリだと思う。でも上に挙げた例はとりあえずちょっとあまりにあからさまな割に効果としてはね…という話。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています