かつて黒田恭一氏がカルロス・クライバーを評して、
「真にすぐれた人物にはどこかに無垢なところが」ある、
とお書きになっていました
この評はパーヴォ・ヤルヴィさんにもそのまま当てはまると考えます
ただ気がかりなのが、この「無垢」が時に「無防備」につながる局面も
まま生じ得ることです
周囲がさりげなくガードできる体制を整えておけると良いのですが