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1973年、38歳のとき、前出のニューヨーク・フィルおよびシカゴ響と共に
アメリカ5大オーケストラの一つに数えられる
ボストン交響楽団の音楽監督(第13代)に就任。

当初はドイツグラモフォンとの契約でラヴェルのオーケストラ曲集、ベルリオーズのオーケストラ曲集など、
ミュンシュの衣鉢を継ぐフランス音楽の録音を続けた。
その後グスタフ・マーラーの交響曲全集(『大地の歌』を除く)など、フィリップスへの録音を行った。

日本のクラシックファンにとっては、日本人指揮者の演奏をアメリカから逆輸入する形で聴くこととなり、
また日本人指揮者の演奏が国際的に有名なレーベルから発売されるのは初めてであった。

またボストンでの活動が進むにつれウィーン・フィル、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめとするヨーロッパのオーケストラへの出演も多くなる。

ボストン交響楽団の音楽監督は2002年まで務めたが、一人の指揮者が30年近くにわたり同じオーケストラの音楽監督を務めたのは極めて珍しいことといわれる。

その30年近くに及ぶ音楽監督期間中、少なくとも1978年3月、1981年秋、1986年、1989年にはボストン響を率いて来日し、日本公演を実施したほか、1979年3月には中国でも同楽団を率いての公演を行っている。

タングルウッドには、小澤征爾の功績を記念して日本の電気メーカーNEC、ソニー元社長の大賀典雄などの援助により
“SEIJI OZAWA HALL”が建設された。

なお、アメリカを本拠にしての音楽活動が長かったため、アメリカ国内及び海外のマスコミでは、小澤征爾を日系アメリカ人(Japanese-American)とするケースも見受けられる。