ヘルベルト・フォン・カラヤン Nr.65
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1954年によく単独で来日してくれたよな
まだ戦後復興できていなかった時代だったのに 当時のN響のレベルなんてアマチュア並みだっただろうに
カラヤンもよく指揮してくれた >>953
スレチですが
N響は今でも西洋音楽の基礎は◆■ま▼※ この時だっけ
山本直純と岩城宏之が見てやろうじゃないのと言ってカラヤンのいる学屋のドアをいきなり開けたのは。 東京から関西の移動にヘリをチャーターしろと要求したんだよね
NHK側が「それはちょっと・・・・」と言うと
「そんなことができなくてどうするんだ!」と一喝した
すでに帝王の貫禄が備わっていた スレチだけど
受信料って何に使われているのか
その頃既にとんでもない浪費OK
スクランブル掛けろー カラヤンは新婚のエリエッテ夫人をとても大事にしていた。エリエッテ夫人の体調が
すぐれないということで、東京でドイツ人の医師のいる病院に連れていったらオメデタとわかり、
カラヤンが狂喜していたのを思い出す。カラヤンには初めての子供だったので、夫人をいたわり
大事をとってNHKが指定した列車には乗らず、演奏会場にギリギリに到着する列車に
乗り替えたりしたので、カラヤン付きのNHKの福原信夫さんは大変だった。
日本公演が無事に終わり、ウィーン・フィルとカラヤンはアメリカ公演に向かった。
私はウィーン・フィルの全員に、旅行手帳にサインを貰い、羽田空港で別れた。カラヤンにも
「サインして下さい」と言ったら、「私の真似を今後ともよろしく続けて下さい」と書いて、
エリエッテ夫人と一緒にサインをしてくれた。これは、私のベルリンでの新聞評をカラヤンが
読んでくれて、日本の「小カラヤン」に対するジョークだったのだろう。 カラヤンは、その後ウィーン国立オペラの音楽監督の座を降りて、二度とオーストリアでは
指揮しないと声明を出したが、ザルツブルク音楽祭だけは例外とした。これが彼を救ったのである。
ベルリン・フィルとますます緊密に仕事をしたが、終身音楽監督の契約を結びながら、
ベルリン・フィルを辞任した(辞任させられた)。しかし、ベルリン・フィルと縁を
切ってからは、ウィーン・フィルが彼のオーケストラとして、死ぬまで彼を支えた。
カラヤンは一生の間に指揮者として未曾有の財産を遺した。もちろん、これだけのレコード、
CD、LDを制作して巨万の富を築いた指揮者は稀というか、カラヤンが唯一無比であろう。
カラヤンは故郷ザルツブルクの郊外、アニーフの教会内の墓地に葬られている。(完)
大町陽一郎『思い出の名指揮者』 おまえさァ、そんなもの本買って読めばいいんだから
自慢げにコピーして貼りつけるな
スレの無駄づかいするんじゃねえよ スレチでもないし読んで面白い貴重な証言じゃん、ケチ付ける奴何なんだろう >>962
小カラヤンのことオセーテと頼んだのは わ た し
ごめんなさいね、機嫌損ねちゃって
今夜なら空いてるから、うちに来て
お詫びに ◯ ◯ ◯してあげるから
あら恥ずかしいこと言わせないで
========
お前の書きこみとこの書きこみのようなものが無駄遣いと言うもんだ わかったか? ・ ↑
音楽経験もない低能児
新たに知って有り難がってるだけのバカ低能児w 水上の音楽をEMIで止めたのは満足してたのか曲に興味を失ったのか >>966
◯ん◯なめたいの?
正直に言えば良いのに、
はにかんでないでさ。 フィルハーモニア時代のカラヤンはストレートな表現でよかった
福永陽一郎もフィルハーモニアとの録音を高く評価していたし >>970
俺ぐらいしか持ってないと思っていたのに、なんで君も持っているんだ? 晩年はつまらない曲ばかり録音していた
ほどんどの定番曲を録音しつくしたからああいうことやったんだろう カルミナブラーナ録音する予定だったんだよな
聴いてみたかった オルフは日本未発売の曲があった
「時の終わりの劇」という珍品がな
オケがケルン放送交響楽団という初の組み合わせだった
こんな曲、日本では売れないと判断したんで発売されなかったんだ >>979
カラヤン亡き後CD売っていたよね
シベリウスの3番も予定されていたんだけど。 1987年9月に録音した「ディヴェルティメント第15番変ロ長調 K.287」は、
素晴らしい出来で愛聴してるわ。 ブルックナーが最後の録音になろうとは誰が予測していたであろうか 結局、最後のブル7ってライヴなの?スタジオ録音なの? ブルックナーの第7番(カラヤンゴールド盤)の
ライナーノートでは4月18日から23日にかけての録音とされている
最後の演奏会が23日だからライブ録音とも
セッション録音だけとも断定できない 初期のCDはライヴと表記されてないし
聴いていて会場ノイズも気にならなかったけど
ある時期から<ライヴ・レコーディング>って表記されてるんだよね >>977
定番曲と言うけど、ホルストの惑星を定番曲にしたのはカラヤンだよね… カラヤンとチェリビダーケ 大町陽一郎
⚫再認識されたカラヤンの偉大さ
カラヤンとチェリビダーケ。この二人の名前が、再び世間の注目を集める出来事が最近起きた。
一つは、今年(一九九八年)、東京のコンサートホールとしてその地位を不動のものとした
サントリーホールの前の広場が、「カラヤン広場」と命名されたことである。
ウィーンでも、最近になってウィーン国立オペラ劇場の前の広場が「カラヤン広場」と
改名された。ここはカラヤンにとって思い出の場所である。
あれほど音楽界の帝王といわれてきたカラヤンも、一九八九年に亡くなってからは
あまり話題にならず、やはり指揮者は生きているうちが勝負かと思われていたのが、
最近になって古い楽員たち(といってもほとんど定年で残っている人は少なくなったが)が
「カラヤンは偉かった!」と、しきりにカラヤンを懐かしがっていたという話をきく。
やはりカラヤンは不世出の指揮者だったといえよう。 カラヤンの後継者としてベルリン・フィルの音楽監督になったクラウディオ・アバドが、
最近になってベルリン・フィルの音楽監督を二〇〇二年でやめると発表して世間をアッと
驚かせた。そのことは、いかにカラヤンの後継者であることが難しいかの証明であろう。
しかし、イタリア人のアバドに、カラヤンみたいに『ばらの騎士』や『ニーベルングの指環』
を望むのは無理だろう。だからといって、ベルリン・フィルを下りるというのも不可解な話である。
カラヤンの偉大さが再認識されたのである。 カルショウとの仕事は永遠に残る宝
コンマスがボスコフスキーだったことも幸運だった ニーベルングの指環を完成させたことが最後の大仕事だった ぎりぎりで指環を録音しておいてよかったよ
60過ぎてからはきついし年齢的に無理だったから このスレッドは1000を超えました。
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