■■■フルトヴェングラー35■■■
ワーグナーの物真似だったフルトヴェングラーのベートーヴェンも悪くはないけど、 結局一番まともなベートーヴェンの名演はワーグナーの脚色を排したワインガルトナーでした。 高貴で品位に満ちたワインガルトナー チンドン屋のフルトヴェングラー 世間ではチンドン屋の方が遥かに人気が有ります。 世の中には音楽がわかる人がいないのですね。 まともな指揮者 ワインガルトナー、シャルク、ブルーノ・ワルター、シューリヒト、ムラヴィンスキー チンドン屋 フルトヴェングラー、ストコフスキー、トスカニーニ、メンゲルベルク 本物の天才 ニキッシュ、マーラー、クナッパーツブッシュ ワインガルトナー・シャルク・シューリヒトはメンデルスゾーン、シューマン、ブラームス派 フルトヴェングラー・クナッパーツブッシュはワーグナー・ブルックナー派 20世紀の指揮者ランキング 1.ニキッシュ 2.マーラー 3.クナッパーツブッシュ 4.ワインガルトナー 5.ムラヴィンスキー 6.フルトヴェングラー 7.ブルーノ・ワルター 8.メンゲルベルク 9.トスカニーニ 10.ストコフスキー 10.シャルク 11.シューリヒト 12.アーベントロート 13.カール・べーム 14.カラヤン 異論も出るだろうけど人選はまあ妥当だと俺は思う でも7と13だけファーストネーム付けたのか不可解 >>3 >10.ストコフスキー >10.シャルク なにこの中途半端な同順位 ベームの下にカラヤンはなるほど。 クレンペラーはその下? クレメンス・クラウス フリッツ・ライナーも入ってない 歴史的な重要性なら、 20世紀には、古楽器ムーヴメントは始まっている それを反映させなきゃ、偏っているよ オペラは極めて重要なジャンルな筈だ この視点も反映させるべきでしょ カール・ムックとか知らんの? フランス系の指揮者が皆無なのもどうなのか ストラヴィンスキーの初演をしたり、現代音楽を 手掛けたり、多士済々な指揮者がいる筈だが なんなら、ブーランジェ入れてもいい でも、知らんでしょ? カール・ムックは1859年生まれの独逸の大指揮者で、バイロイトの主でもあった。クナパーツブッシュが登場する以前、1901年から30年連続で「パルジファル」を振ったのはムックである。 トスカニーニの台頭によりバイロイトから追放され、米國に活躍の場を得たと思へばスパイ容疑で逮捕され、波乱に富む人生を歩んだ指揮者のやうである。 米國ではボストン響で長年活躍したが、1917年にボストン響とやった録音が8曲残されてゐる。中でも、チャイコフスキーの第4交響曲は圧巻だ。機械吹き込みなので音が貧相であるのは仕方がない。僕はこういった録音は多少補正を行って聴くことにしてゐる。つまり、PCをいじって少々残響を施して聴くと、聴きなれた現代の響きに近づき、その本来の素晴らしさが明らかになってくるのだ。ニキッシュの運命などでも試してみればお分かりいただけるはずだ。 マーラーより1歳年上のムックだが、その演奏ぶりは非常に真面目で、ローエングリーン前奏曲ではオーソリティーとしての堂々たる演奏が聴ける。ボストン響のアンサンブルもこの時代としては考えられないほどハイレベルで、当時の紐育フィルより断然いい。 カール・ムックはハンス・フォン・ビューローとかハンス・リヒターの時代の指揮者だよね カール・ムック<<<トスカニーニ <<クナッパーツブッシュ というのが当時の評価だね。 フランスのピエール・モントゥーとかアンセルメとかクリュイタンスとかミュンシュとかピエール・ブーレーズとか二流だよ アンゲルブレシュトが一番評価が高いかな。 バロック指揮者のカール・リヒターとかミュンヒンガーとかアーノンクールとかパイヤールとかガーディナーとかみんな二流だよね カール・リヒターのマタイ受難曲なんかメンゲルベルクと比べると色褪せて聴こえるしね。 古楽器では René Jacobs が一番才能が有ってセンスがいいよね。 むしろヴァイオリニストのアドルフ・ブッシュの指揮の方が遥かに素晴らしい。 ヤーコプスはポッペアの戴冠の最初のCDが世紀の名盤だった。 でもそれ以外はすべてNG L'Incoronazione di Poppea. Claudio Monteverdi (1567 - 1643) https://www.youtube.com/watch?v=5uPCSwdlp80 Poppea: Danielle Borst Nerone: Guillemette Laurens Ottavia: Jennifer Larmore Ottone: Axel Köhler Seneca: Michael Schopper Drusilla: Lena Lootens Nutrice: Dominique Visse Arnalta: Christoph Homberger Lucano: Guy de Mey Amore: Martina Bovet Concerto Vocale René Jacobs ちなみに「指揮者のすべて」1996年音友発行のムックから 20世紀の大指揮者 1.フルベン 2.トスカニーニ 3.カラヤン 4.バンスタ 5.ワルター 6.クレンペラー 6.ミュンシュ 6.ムラヴィ 9.クナ 9.セル プフィッツナー(Hans Erich Pfitzner 1869年5月5日 – 1949年5月22日)は作曲家としてはマーラーやR.シュトラウスより上だし、大指揮者だね プフィッツナーが指揮したベートーヴェン エロイカ交響曲の伝説の名盤 https://www.youtube.com/watch?v=PgMDzUQa6P8 プフィッツナーが指揮したベートーヴェン 田園交響曲の伝説の名盤 https://www.youtube.com/watch?v=ZUxuv3i-5IY Hans Pfitzner conducts... https://www.youtube.com/watch?v=HEoFLPBdFAY >>3 19世紀の指揮者ランキング 1.ビューロー 2.マーラー 3.メンデルスゾーン 4.ワーグナー 5.シューマン ヴァイオリニストのアドルフ・ブッシュの指揮するバッハやヘンデルは史上最高の名盤と言われていたね、 カール・リヒターなんかより遥かに名演だった: Busch Chamber Players - Bach : Brandenburg Concerto No.6 B-Dur (1935) https://www.youtube.com/watch?v=tKmAKYDvuJE Busch Chamber Players "Concerto grosso op. 6 No 3" Händel https://www.youtube.com/watch?v=KBqoLJVm5C4 リヒターのマタイはすごい ブッシュなら フリッツ・ブッシュだろ 兄さんだっけ しかしフルトヴェングラー以前の19世紀的な指揮者ばかり挙げるなあ >>17 プフィッツナーが指揮したエロイカ初めて聴いたが、とりあえずこの第1楽章、 テンポの動かし方がフルトヴェングラーに似ているね。特に提示部。 展開部以降は違う所も結構あるが、やはり類似点も多く、興味深い。 チェリダッケが、カラヤンのことを 「音は美しいが中身がない」 と言って、インタビューアーが 「でもカラヤンは世界中で知られていますよ」 と言ったら 「コカ・コーラだって世界中で知られているさ」 と言った話は有名です。 チェリビダッケは他にも 「トスカニーニは一流の演奏家だが音楽家として二流だ」 「オーマンディのような凡庸な指揮者がよくストコフスキーの後を継いでフィラデルフィア管の常任指揮者になれたものだ」 「人は水だけでもしばらくは生きていけるが、アバドの退屈な演奏を2時間聴いたら心筋梗塞を起こすだろう」 「ムーティは素晴らしい才能の持ち主だが、トスカニーニと同じで無学だ」 「ベームは音楽の解らないジャガイモ袋」 等、マスコミが喜びそうなことを言ってました クナッパーツブッシュ 「(私がカラヤンみたいに暗譜で指揮をしないのはカラヤンと違って)楽譜が読めるからだ」 カラヤンがモーツァルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」を演奏していたときのこと。その上演になぜか立ち会っていたクレンペラーが突然大音声を発した。 「いいぞ カラヤン、いいぞ、決して皆が言うほど悪くない!」 カラヤンは、それ以後決してクレンペラーを許さなかった、という。 チェリビダッケ語録 「(マゼールは)カントについて語る二歳児」 「(クナッパーツブッシュは)スキャンダルそのもの」 「(ムーティは)才能はある、おそろしく無知だが」 「(アドルノは)世界史のなかでいちばんの大言壮語野郎」 「(ムターは)彼女は自分の弾き方に自信を持っている。だが彼女のやること全てには真に偉大な音楽性はない。彼女には視野がない」 「シェーンベルクはまったくどうしようもない愚鈍な作曲家である」 「イーゴリ・ストラヴィンスキーはディレッタントの天才に過ぎない。彼は生まれつき忍耐力に欠けていた。そしてこの欠陥をいつも、 新しい様式で補った。だから彼の音楽は様式感に欠けるところもあるわけだ」 「私の見るところ、サヴァリッシュは高校の校長といったところ。彼は音楽家ではない。メゾフォルテの男だ」 「リズムが機械的なものと理解すれば、それがブーレーズだ」 「(ムターに対して)さてと、あなたがヘルベルト・フォン・カラヤン氏のところで学んだことをすべて忘れなさい」 (とあるマスタークラスにて、若き日のインバルに向って) 「ちゃんと勉強しないと、バーンスタインみたいな指揮者になってしまうぞ!」 「ハイフェッツは哀れな楽譜運搬業者だ」 「人間は何も食わずとも3週間くらいは生きられる。だがアバドのコンサートを3時間聴いたら心筋梗塞を起こす」 「ベートーヴェンの交響曲第5番は失敗作、特に終楽章は」 「(カルロス・クライバーは)あんな常軌を逸したテンポでは何も分からない。 彼は音楽がなんであるか、 経験したことがない」 私が独裁者だって?モーツァルトこそ独裁者だ!」 評論家など寄生虫だ」 「フランス人くらいドビュッシーやラヴェルを下手糞に演奏する連中はいない」 「(ショルティは)ピアニストとしては傑出している。指揮者としては凡庸な耳しかない。テクニックはお粗末」 「チャイコフスキーは、真の交響曲作曲家であり、ドイツでは未知の偉大な男である」 「ベートーヴェンの《第九》の終楽章の合唱もサラダ以外のなにものでもない。ぞっとするサラダだ」 「(カラヤン時代の)ベルリンフィルには、世界最高のコントラバス奏者がいます。だから、ベルリンフィルのコンサートは、今、すべてがオーケストラ伴奏付きのコントラバス協奏曲なのです」 「(ハスキルは)すばらしいコンサート・ピアニスト。機知に富み、魅力的で、徹頭徹尾、音楽的。 ユーモアと生きる歓びに充ちている」 指揮者チェリビダッケの音楽語録〜 2008年04月15日 https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/c2454e666c6de0a509d1ca7dcd889015 先日(4月5日)、我が家での試聴にjmc音楽研究所長のO君が持ってきたCD盤の「シェラザード」がすっかり気に入って、いまのところ愛聴盤として活躍中。(4月8日付けのブログで紹介) オーケストラの音の響かせ方やテンポ、調和のとれたハーモニー、独奏ヴァイオリンの歌わせ方などによく練りこまれた独特の味わいが感じられる。 こうなると自然にその指揮者に関心が向く。 セルジュ・チェリビダッケ(1912〜1996:ルーマニア) 「私が独裁者?モーツァルトこそ!〜チェリビダッケ音楽語録〜」(シュテファン・ピーンドルほか著、音楽の友社刊)に略歴や人となり、音楽の考え方などが詳しく記載されている。 哲学と数学を専攻する中、音楽に目覚め24歳のときにベルリンに移住して作曲、指揮、音楽学を修めた。1945年にはベルリン放送交響楽団の指揮者コンクールに入賞。 当時、ベルリン・フィルハーモニーの常任指揮者だったフルトヴェングラーが非ナチ化裁判のため指揮を許されなかった1945年から1947年にかけてベルリン・フィルを任されたほどの逸材。 フルトヴェングラー死去後、誰もが世界の名門オーケストラのベルリン・フィル常任指揮者に就任するものと思ったが、楽団員達が択んだのはなんとヘルベルト・フォン・カラヤンだった。 以後、チェリビダッケは国際的な指揮活動に集中せざるを得なくなり、イタリア、デンマーク、スウェーデン、フランスなどで指揮棒を振るが、晩年はミュンヘン・フィルハーモニーの音楽総監督として12年間に亘り蜜月時代が続く。 彼がとくに関心を抱いていたのが、若い指揮者を育てることで、自由になる時間のほとんどすべてを後輩の育成に捧げた。 彼がカラヤンに代わって当時のベルリン・フィルの常任指揮者に納まっていたら、その後、世界のクラシック音楽の動向も変わっていただろうといわれるほどの超大物指揮者だ。 チェリビダッケは言う。 「わたしがベルリン・フィルをさらに指揮し続けたら、このオーケストラは別の道を歩んだことだろう。カラヤンはアメリカ流に艶っぽく磨きぬかれたオーケストラに変えてしまった。わたしならそれをドイツ的なひびきを持つオーケストラに育て、その結果フルトヴェングラーの伝統を受け継いだことだろう。」 彼には指揮者から演奏者までさまざまな「歯に衣をきせない」発言がなかなか面白い。ここでは指揮者に限定して抜粋してみよう。 ☆フルトヴェングラー 師として仰いだので次のように賞賛の言葉が続く。 「私はフルトヴェングラーの後継者になることを望まなかった。彼の後継者になれるものなどいない」 『私は彼にこう訊ねたことがある。「先生、ここのテンポはどうすればよいのでしょう。」答えは「そうだね、それがどんなひびきを出すかによるね」。まさに啓示だった。テンポとはメトロノームで測れるような物理的なものではない。結局、テンポが豊かなひびきを出し、多様性を十分に得るのに私はかなりの期間を必要とした。』 ※通常、作曲家は楽譜にいかなるテンポで演奏するかを指定していないという。つまり、これは完全に指揮者任せということで、テンポ次第で音楽から受ける印象がすっかり変わる。しかし、速いテンポでも遅いテンポでも違和感がなく自然に聴ける唯一の音楽がベートーヴェンの作品! ☆クラウディオ・アバド 「まったく才能のない男。災厄だね。私は3週間何も食べなくても生きていける。だが演奏会に3時間もいれば〜心臓発作を起こしかねない。その相手が彼なら怒り心頭」 ☆カール・ベーム 「彼の演奏を聴けば聴くほど、彼が心の中で音楽と思い込んでいるものと、彼という人間のあいだの距離が目に見えてどんどん開いてゆくばかりだ。」 「ベーム・・・・・、これまでのキャリアのなかで、まだ一小節たりとも音楽というものを指揮したことのない男」 ☆ヘルベルト・フォン・カラヤン 「彼は天才ではない。すべての若い音楽家にとってひどい毒となる実例である」 「彼は大衆を夢中にさせるやり方を知っている。コカ・コーラもしかり。」 ☆ユージン・オーマンディ 「あんな凡庸な楽長がどうしてストコフスキーの後継者になることができたのか」 ☆ヴォルフガング・サバリッシュ 「私の見るところ、彼は高校の校長といったところ。彼は音楽家ではない。メゾフォルテの男だ。イタリアでは長距離専門アスリートをメゾフォルテと呼ぶ」 ☆ゲオルグ・ショルティ 「ピアニストとしては傑出している。指揮者としては凡庸な耳しかない。テクニックはお粗末。」 ☆アルトゥーロ・トスカニーニ 「トスカニーニは楽譜どおりに演奏した唯一の指揮者だといわれてきた。といっても彼はそもそも音楽などまったくひびかせず、音符だけを鳴らした唯一の指揮者だった。彼は純粋な音符工場だった。」 以上、かっての名指揮者たちもチェリビダッケにかかってはかたなしというところ。 最後に、最近HMVから取り寄せた3枚のチェリブダッケが指揮するCD盤を試聴してみた。 ☆ベートーヴェン交響曲第6番「田園」 以前、このブログで田園の11枚の試聴を行って、およその演奏レベルを把握しているつもりだが、これは、ベストだったマリナー、ワルター指揮と十分比肩しうる名盤。 嵐のあとの感謝の歌の神々しいまでの荘厳さといい、全体的に細かいところに手を抜かず、重厚かつ深々としたひびきに”チェリビダッケは凄い”と感心した。 ☆ベートーヴェン交響曲「第九番」 何だかフルトヴェングラーの最新ステレオ録音を聴いている思いがした。第一楽章から第四楽章まで時を忘れて聴き耽った。 ☆シューマン交響曲「第2番」 仲間のMさんによるとチェリビダッケはシューマンとかブルックナーといったあまり陽のあたらない作品に光を当てて、見直させるのが得意な指揮者だという。たしかにこのひびきは人を飽きさせず作品に没入させる何かを持っている。 以上3曲(ライブ録音)についてとにかく重厚なひびきに圧倒された。これがドイツ的なひびきというものだろうか。ミュンヘン・フィルでこのくらいだから、彼がベルリン・フィルを引き継いでいたらもの凄かっただろう。本人が言うようにフルトヴェングラーの伝統を引き継ぐ資格に太鼓判を押したい。 ただし、自分が思うところフルトヴェングラー、チェリビダッケともにひびきを重視していることに変わりはないが、前者はいったん演奏に入るとひびきを忘れて演奏に深く没入するが、後者は常にひびきを念頭において(そのひびきを)冷静に第三者の目で観察しているところに違いがある。 チェリビダッケがどんな言葉を放ったか?価値観をよく表しているものとして、例えば、 あなたが音楽で美しいものを体験しようとしても無理なのである。音楽では真実が問題なのだ。美は疑似餌にすぎない テンポについては、 音楽に接して長すぎるとか、短すぎるといった感じを抱けば、その人は音楽のなかに入っていない。音楽はその意味で長い短いの問題ではない フルトヴェングラーはどんなテンポでも、間違ったテンポでさえ、納得させることのできた唯一の指揮者である 他にも、テンポについては幾つも言葉が出て来ます。 同僚に対しては、褒め言葉もあるのですが、概して口が悪いのです!! (ピエール・ブーレーズについて)リズムが機械的なものの作動と理解すれば、それがブーレーズだ (カラヤンについて)わたしは彼のなしたことの全部は評価しない。彼にはエゴがありすぎる。そんなエゴが働くときには彼の自由な精神はひどく濁ったものになりやすい。 (カルロス・クライバーについて)彼はわたしにとって我慢のならない指揮者だ。彼の気違いじみたテンポでは音楽的な体験などできはしない。 もっとひどいものもあって、これが笑ってしまうのですが、ぜひ本書でお確かめを。。。 この最後にやり玉に挙げられているカルロス・クライバーが実はチェリビダッケのファンだったそうで、あまりに暴言が多いのをこらしめ半分、ふざけ半分になした投書が嬉しいことに全文載っております。 チェリビダッケ語録 7月25日(月) „Hugendubel“(書店)で、チェリビダッケの『語録集』を買った。(Hg. von S. Piendl u. Th. Otto; „Stenographische Umarmung − Sergiu Celibidache beim Wort genommen“, ConBrio, 2002 )。 ちょっとした一言に、音楽に対する考えかたが現れていて、とても興味深い。 私は、この指揮者の日本公演にいくことができた。最初に聴いたのは、たしか、東京文化会館。このとき、ミュンヘン・フィルというオーケストラも知った。合計で、3回か4回の実演に接することができたが、いずれも、私の音楽観を根本から揺るがすものだった。 「藝術とはなにか?」と聴かれると、多くの人は、おそらく、「美をもとめる行為」と答えるだろう。古来、藝術と美は密接に結びついている。だが、チェリビダッケにとって、藝術は単に美しさに奉仕するものではない。もし、藝術が美だけを追究するなら、「美しければなんでもよい」ということにもなりかねない。極端なことをいえば、「嘘で固めた世界であっても、美しければかまわない」という人だって出てくる。美しいけれど倫理的には最悪、ということだってありうるのだ。 「Musik ist nicht schön, Musik ist wahr. (S. 20) 音楽は美しいのではない。音楽は真理なのだ」(以下、原文に適当訳をそえる。カッコ内 S. = Seite はページ数) チェリビダッケの音楽は真理をめざす。単に美しいだけでは不充分。美に甘んじていてはいけない。感覚的に心地よいだけなら、藝術とはいえないのだ。 「Der Klang bringt die Schönheit zur Wahrheit(S. 79) 響きは美を真理へともたらす」 真理という言葉で、チェリビダッケがなにを考えていたのか、いまひとつはっきりしないが、真理は、ふつう、「なにかほんとうのこと」を意味する。真理と嘘は相容れない。さらに、嘘が「実際にはないこと」であるのに対し、真理のほうは、「現実にあること」だろう。つまり、チェリビダッケのめざしていた藝術というのは、「『これこそ現実』といえるなにか」ということになる。 「Ich bin sehr gegen diese Idee, daß Kunst Genuß sei. Kunst ist auch Genuß, sonst würden die Menschen das gar nicht machen. Aber das Wesen der Kunst ist nicht der Genuß. Es ist das Erleben(S. 21) 私は、藝術が享楽であるという考えに断固反対する。たしかに藝術は享楽でもある。そうでなければ、人間は藝術活動などしないだろう。しかし、藝術の本質は享楽ではない。藝術の本質は体験することである」 これ以外にはありえないなにかを「体験すること」。いいかえると、真理にふれること、人生や世界、あるいは宇宙の真相を垣間見ること、これこそが、藝術なのだ。私は、チェリビダッケの演奏に接したとき、ある種、宗教的な催しに参加したような錯覚を覚えたが、あの経験は、こうした考えと無縁ではあるまい。 そんなチェリビダッケが他の音楽家を観る目はきびしい。 たとえば、カラヤンについてはこう。 「Ich weiß, er begeistert die Massen. Coca Cola auch(S. 40) かれが大衆を興奮させることは知っている。コカ・コーラのように」 そういわれてみると、カラヤンの音楽はたしかにコカ・コーラに似ている。レガートを多用し、オーケストラの心地よい響きで、多くの人に歓迎された。まるで喉ごしのよいコーラのよう。クラシック音楽をひとつの産業としたのもかれ。世界企業となったコカ・コーラと、カラヤン・ブランドは似ている。カラヤンがクラシック音楽の大衆化にはたした功績はみとめられなければならない。だが、その音楽に、はたして真理を開示する力があったかどうか・・・。「響きの流麗さ、かっこよさ以上のなにかがあるのか? 」と、チェリビダッケはいっている。 マゼールについてはこう。 「Ein zweijähriges Kind, das von Kant redet.(S.42) カントについて語る二歳児」 難しいことを器用にこなすが、まだまだ子どもだといいたいのだろうか。わかるようでわからない。でも、マゼールの本質をいいあてているような気がする。 おなじ時期にミュンヘンで人気を二分したクライバーに対しても手厳しい。 「Er ist für mich ein unmöglicher Dirigent. Kein Mensch kann bei seinem wahnsinnigen Tempo etwas erfahren. Kleiber geht vorbei am heiligen Klang. Das finde ich tragisch. Er hat niemals erfahren, was Musik sei(S. 41) クライバーは私にとってはとんでもない指揮者だ。あんな常軌を逸したテンポでなにかを経験できる人なんていない。クライバーは聖なる響きのかたわらを通りすぎている。これは悲劇だ。かれは、音楽がなんであるか、経験したことがない」 毒舌だが、これもまたクライバーの性格にせまっている。というか、私には、クライバー評よりも、チェリビダッケにとって、「響き」がいかに重要なものだったかがわかって、興味深かった。音楽をどのように響かせるかということこそが、この指揮者にとっては、いちばん大事だったのだ。 「後年チェリビダッケはフルトヴェングラーから音楽の深遠な洞察のすべてを学んだと語っている。 あるとき指揮者がフルトヴェングラーにある曲のテンポ設定について質問したところ、フルトヴェングラーは「それは音がどう響くかによる」と答え、ホールなどの音響を無視してメトロノームの数字だけを元に決められたようなテンポ設定は無意味だということを悟ったという」。 はたして、フルトヴェングラーの回答が、彼の思った通りの回答だったかは、少々疑問が残るものだ。 フルトヴェングラーの音楽に対する根本的な関心は、即興の法則なるものの獲得に集中(だからいつも即興の源泉であろう作曲家の精神の話ばかりしているのである)していて、音について詳しい話は稀であるから、この回答はむしろ、チェリビダッケの頭の中で勝手に噴出した思想だったのかもしれないのである。 曖昧な回答をしたところ、チェリビダッケの合点の言った顔があらわれて、フルトヴェングラーは心ひそかに驚いていたのかも知れない。 天才は、天才らしく間違えるものである。テンポに対する疑問は、音がどう響くかという問題にすり替わり、彼の生涯の問題となった。 天才は問題を解決するのではない、むしろ問題を創造するのである。 セルジュ・チェリビダッケ(1912〜1996) 晩年の彼はもはや伝説の指揮者などではなかったことが白日の下に晒された。 自分のために大金を積んでくれる日本へ毎年のように演奏旅行へ出かけ、自らの恍惚とした表情をせっせと映像に残す様は、彼がカラヤンを軽蔑する際に使う「金の亡者」そのものの姿であった。当時の日本の聴衆は愚かだった。 それでもこの老巨匠が他の指揮者を罵れば歓喜し、その極端に遅いテンポからは忘れられたドイツ・ロマン派の香りがする本物だと広言した。 かなり毒のある書き方をしたが、チェリビダッケが雄弁に物事を語るときは常にこのような感じである。 そもそもフルトヴェングラーは自らの後継者にはルーマニア出身のセルジュ・チェリビダッケをと考え、非ナチ化の影響により多くの指揮者がその演奏機会を失ってる中、四百を超えるベルリン・フィルの公演を任されていた。 彼はカラヤンと違いフルトヴェングラーのために汗を流し、そしてまたその恩恵を受けていた。一方のカラヤンは録音や演奏旅行等を通じてウィ−ン、ロンドン、ミラノ、ルツェルン、バイロイト等で高い評価を得ていた。 この間ベルリン・フィルはフルトヴェングラーの妨害によりわずか10回の公演程度であったが、聴衆や批評家には高い評価を得ていた。この頃のベルリンにとってはむしろカラヤンの方が伝説の人物だったのである。 そしてカラヤンは、−彼は後に事ある度に巧みにそれを利用するのであるが、ベルリンの人間にとってスカラ座や楽友協会に取られるのは耐え難い存在であった。 両者の違いはそのプローベからも明らかである。 カラヤンは効率を求め、特に難しいと思われる箇所を各パートに別け練習するのに対し、チェリビダッケは指揮台で激高し楽団員を無能と罵り、解雇を匂わせ脅した。 (しかし何もこれはチェリビダッケだけに言えたことではなく、一昔前の指揮者は殆ど皆がそうであった。) こうしてチェリビダッケは楽団員と聴衆の支持を失った。 彼はここで大きく見誤っていた。確かにチェリビダッケの後ろには絶対なるフルトヴェングラーが存在したが、彼がオーケストラと決定的に対立した数日後にフルトヴェングラーは深い眠りについたのである。 その後、ハイデルベルクにあるフルトヴェングラーの墓のそばに寄り添ったチェリビダッケは次のように述べた。 「フルトヴェングラーはよい時に死んだ、耳が聞こえなくなっていたのだから」 彼はそれでも連邦功労大十字勲章を授与したこともあり、呼び出しが掛かるのを待っていた。しかし呼び出しが掛かったのはカラヤンの方でありチェリビダッケを多いに失望させた。その後チェリビダッケは再三に渡りカラヤンとベルリン・フィルを口撃することになる。 チェリビダッケ「カラヤン?身の毛がよだつ。彼は才能ある商売人、でなければ耳が聞こえないんだ。」「ハンス・クナッパーツブッシュ?スキャンダルだ。非音楽か、それ以下だ。」「アルトゥーロ・トスカニーニ?あれはただの楽譜工場。」「カール・ベーム?あれはただのジャガイモ袋。生きている間に、ただの一小節も音楽を指揮なんかしていない。」「レナード・バーンスタイン?ズビン・メータ?私の世界ではそんな名は聞いたことない。」「リッカルド・ムーティ?才能はあるが、途方もなく無知なやつ。」「クラウディオ・アバド?全く才能のないやつだ。三週間くらい何も食べなくても私は生きのびられるが、彼のコンサートに三時間でも付き合わされた日にゃ、心筋梗塞だ。」 天国のトスカニーニ(クライバー)「ジャガイモ袋のカーリはぶつぶつ文句をいってました。 でもクナと私が、あの批難は間違っている。おまえさんが音楽的だったのは事実だ、といったのでやっと文句をいうのをやめました。 ヴィルヘルムが突然言い出すには、あなたの名前はこれまで聞いたこともないそうです。 またヨーゼフ、ヴィルフガング、ルートヴィッヒ、ヨハネス、それにアントンがいうには、第二ヴァイオリンは右側のほうがよいそうです。 また、あなたのテンポは全て間違っているそうです…。 私の住まいの隣には禅の老師が住んでいますが、彼がいうには、あなたは禅を全く間違って理解しているそうです。 ブルーノはあなたの私たちのこきおろし記事を読んで、死ぬほど笑い転げていました。 私は、私とカーリにたいするあなたの批判の出所はブルーノではないかと疑っています。 …こんなことをお伝えするのは、お言葉を返すようですが、実はここ天国に住むもの皆がヘルベルトに首ったけなのです。 指揮者だったものには、嫉妬心もおぼえる程の存在です。 でも彼があと15年か20年後にここに来て、私達が歓迎の挨拶ができるなど、殆ど誰も信じていません。 あなたがその場に居合わせられないのは残念です。 でも聞くところによりますと、あなたの行くところでは煮炊きもずっとうまくできると言いますし、オーケストラは永遠にリハーサルに付き合ってくれるといいます。 それどころかオーケストラは小さなミスを故意にしてくれて、あなたに永遠にやり直しをさせてくれるそうです。 ここ天国ではエンジェルが直接作曲者の眼から読み取って演奏してくれ、私達指揮者は、ただそれを聴いていればよいのです。 どうやって私がここへ来られたのか、それは神様だけが知っていることです…」 という事で、日本のクラシックファンが大指揮者だと信じていたた二流指揮者のリスト 1.カール・ベーム 2.カラヤン 3.バーンスタイン 4.ヴァント 5.マタチッチ 6.朝比奈隆 特にヴァントと朝比奈隆とバーンスタインは酷かった 指揮者というより宇野功芳に騙されたんだね このもの凄い長文の連続投稿はコピペ? 一体、なんなのこれ 長文キチガイはmixiで誰もみてくれない長文ブログをやってるジジイ フルトヴェングラーの振った現代曲なんて メニューヒンとのバルトークVn協を聞く限りダメだと思ってたら RIAS録音集のフォルトナー、ブラッハー、ヒンデミットなど聴くと しっかりザッハリッヒに決めている。 同じ日の演目が、ブラ3、ベト3といずれも名演ぞろいなので フルヴェンらしくないなんて断じるのは間違ってる。 R.シュトラウスも当時の現代曲だよ ブルックナーやブラームスやシベリウスも若い時は現代曲だよ 無調音楽や十二音階に馴染めなかっただけだろ、頭が古いから ベルクやウェーベルンは今でも現代音楽だからね フルトヴェングラーには現代音楽は理解できなかったんだ 21世紀の聴衆からしたら20世紀の一部楽派の曲がレパートリーにあったかどうかなんてどうでもいい チャップリンと撮ったフルトヴェングラーの写真(1929) すごいね。 55CDのリマスター箱に入ってる本に出ている写真。イギリスからオランダまで旅行したとあります。(フェースブックの同じ写真の記事より) チャップリンとルーズベルトは共産主義者で反ウォール街、反ファシズム、反ヒトラーでスターリンや毛沢東の支援者 フルトヴェングラーはゲルマン主義、反共、親ナチス、反ユダヤだからロマ(ジプシー)出身の共産主義者のチャップリンと合う訳ないんだよ ドイツ人は全員 反ユダヤ、反共、親ナチス ウォール街は反共、親ファシズム、でヒトラーを支援していたんだ ロックフェラーやフォードはヒトラーに多額の援助をしていた。 ナチスの優生思想はロックフェラーの優生思想をそのまま実行しただけだ。 ナチス残党を南米に亡命させて支援したのもウォール街だよ ウォール街はなんとかチャップリンとルーズベルトを潰そうと画策していたんだ ルーズベルトのニューディール政策はスターリンの五か年計画を真似した共産主義計画経済だよ。 フルトヴェングラーはチャップリンと敵対する人間なんだ >ドイツ人は全員 反ユダヤ、反共、親ナチス ブログでやれ >>42 >R.シュトラウスも当時の現代曲だよ ご指摘の通り シュトラウスに「アラベラ」というオペラがあるが、 フルトヴェングラーの演奏記録が残っている 1933年10月12日、ベルリン国立歌劇場 (Fritz Krenn, Ruth Berglund, Viorica Ursuleac) この「アラベラ」という作品は、1933年7月1日、 クレメンス・クラウスの初演だから、その直後だよ 当時のゴリゴリの新作なんだよ 時系列を理解してない人、けっこういる 同じ1933年にヴァレーズのイオニザシオンの録音が残っていたりして… シェーンベルクの「管弦楽のための変奏曲」など、 手掛けた初演は多い 客観的に見て、おそらく 後任のカラヤンよりも同時代の音楽を手掛けていた 当時の新進作曲家であったヒンデミットに肩入れして、 代表作の一つ交響曲『画家マティス』も初演している ただ、ナチスの覚えがめでたくない作曲家だったので、 オペラ上演が禁止され、憤ったフルトヴェングラーは ベルリンフィル辞任もちらつかせ、実際に辞任する その後、ナチが譲歩して、マエストロは復帰するのだが、 「ヒンデミット事件」と言われるのはご承知の通り > シェーンベルク『管弦楽のための変奏曲』 > 管弦楽のための変奏曲(Variationen für Orchester )作品31 > シェーンベルクが1926年から1928年にかけて作曲した管弦楽曲。 > 十二音技法を用いて書かれた最初の大規模な作品 > > 初演は1928年12月2日、ベルリンにおいてフルトヴェングラー指揮、 > ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によって行われ、 > 一大スキャンダルを巻き起こした。 十二音技法を用いて書かれた、最初の大規模な作品は、 フルトヴェングラーが初演したという事実と功績 その初演が『春の祭典』のそれに匹敵するような、 スキャンダルになったエピソード こうした事実はもっと知られて良い ドイツ帝国の国宝である「神才能リスト」 かけがえない天才芸術家であるとされリストは総統が自ら決定し 最も有名なのはカラヤンだが、ハンス・クナパートブッシュ、カールベームもリストにはいってる。 指揮者としてのランク付けでは 「帝国の指揮者であり金の指揮棒をもつ」フルトヴェングラーが別格で 第三帝国の2位の指揮者カール・ベーム 第三帝国の7位の指揮者カラヤン 第三帝国の8位の指揮者クナパートブッシュ となって、フルトヴェングラーは後に除名されたためベームは第三帝国では最上位だ >>61 >クナパートブッシュ ↑ バカ丸出しww Knappertsbuschをどう読んでもドイツ語ではパートにはならない 二回も入党したカラヤンが7位ですか。 ヒトラーもちゃんとみてるな。 本当ならクナッパーツブッシュの… まあ「奇蹟の人 カラヤン」のプロパガンダだからね。 昔は「クナッペルツブッシュ」とか「カルル・ベーム」とかもあったな >>64 ドイツ語でそういう読み方が出来るスペルだからね Karl Bohm カルル・ベーム Knappertsbusch クナッペルツブッシュ しかし>>61 が書いてるクナパートブッシュという読み方は絶対あり得ない 最高の音楽判らない悔しさで あんなに醜態さらしてたのに なんで戦後はベルリン・フィルとのレコード録音が少ないんだろ。 ラジオ放送用はあるけど。フィルハーモニアとの録音は全部ベルリン・フィルでやればよかったのに。 もちろん、あのプールじゃなくていつもの教会 イエス=キリスト=教会 (ダーレム) Jesus Christus Kirche, Berlin-Dahlem ベルリン・フィルとの関係はそんなに良好ではないね 第九の録音数0 かたやウィーン・フィルとの録音数5 わかりやすい ベルリンの壁を東ドイツが作ったのは1961年だから、フルヴェン時代はまだ壁が無かったんだな 1947年にベルリンフィルに復帰した年に、ベルリン国立歌劇場も振ってるな 1947/10/3 のベルリン国立歌劇場とのトリスタンとイゾルデは完全版あるの? Memoriesは2,3幕のCD2枚分なのだが。 で、Memories の帯見たら、同曲の録音に関して 「イギリスのオケ、スタジオ録音というハンデはやはり明確であります」 って書いてあるから、やっぱりレッグのバカーなんたけど。 >>76 もちろん、残念ながらそんなものはない。 完全版なんてものがあったらレッグ盤の地位は地に墜ちるよ。 ようやくDG疑似ステ盤の運命を聴いた 昨今のppからffまでオーディオ的に再現しようとする音作りとは別方向の、とても聴きやすい音作りですな まるでストコフスキーのファンタジアのサントラを聴いているみたい(笑) でもファンタジアのように音を左右に散らかしているわけではない。念のため 47年の運命は初期CD盤やOBIP盤を聴いても世評ほどのすばらしさが実感できず ミソス盤でようやくああ熱演だなとフワッと理解したが 今回のDG疑似ステ盤でようやく演奏に感動した こういう音で感動するということは、なんてお安いお子ちゃま耳なんだろうと、われながら笑った(笑) ああOIBPでしたね SBMもSMBとよく間違える こちらはSMBC日興証券にひっぱられるから(笑) まっ、大体で書いても伝わるだろうから気にはしていない ステレオじゃないとだめって人がいるからなあ 第九も第4楽章はステレオがいいな ライナーで感動した シューリヒトのICON箱のベト全が、音がカラフルで当初驚いた 聴きこむうちにどうもこの不自然さはART処理してるっぽいなと思い 改めて初期盤のベト全を入手したら至極自然だった でも初期盤の第九はモノラルなのでものたりなく 改めてARTじゃないステレオ盤をポチッた やっぱり第九はステレオ盤ですよねー ちなみにヨッフムのICON箱のベト全もARTっぽいのでポイした こちらはDISKY盤箱と比較してDISKYの方がちょっと薄音だけど 音に広がりがあるような気がしていた ベト交スレが今はアレなのがアレしているので、こちらにスレチさせてもらいました ワルター・バリリが2月亡くなられたそうです フルトヴェvングラーとバリリの写真 https://furtwangler.fr/photo/avec-walter-barilly-salzbourg-20-7-54/ http://jishu2637.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2015/11/15/05hallconcertmasterbarylli.jpg バリリといえば、ウィーンフィルの名コンサートマスター 10代でのコンマス就任は、1939年のできごとでした。 シュナイダーハンやボスコフスキーが同僚です フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、ベーム、 クレメンス・クラウスなど、往年の名指揮者の全盛期に、 コンマスとして支えた、偉大な音楽家でした BISのバイロイト1回聴いたら2度と聴かなくていい音質だな 21年ワーナーリマスターのバイロイトの方が100倍いい バイロイト51 も、本番の方がキチッとしていて気もちがいいな。 EMI のは乱れている方の演奏に後から細工している変な演奏だわ。 BIS のバイロイト、やっと聴いたけど、前半は良くて後半は息切れして大人しくなっていくような演奏に感じた。 >>87 バイロイトは寄せ集めのオーケストラだからなあ レッグにも「今日のはあまりいい演奏ではなかった」と言われたらしいし 当初、フルトヴェングラーが音源化を認めなかったのもわかる気がする >>86 EMI版のバイロイトは、フルトヴェングラーという素材を使った「レッグ監修の第九」だから >>91 放送局のテープは今となってはテープ折れ等の痛みが激しく、第1楽章冒頭など、既にまともに聴ける状態ではない。 エルミタージュ盤など、放送局のテープから復刻した(と自称する)ディスクを聴けば分かる。 >>92 じゃあこの前発売になったSACDの方がまともか。 ありがとでした。 近年、ワーナーから、 フルトヴェングラー55枚組CDが出てたでしょ? ふと気になって確認したんだけど、 オイラの大好きなブルックナー8番(1949年)が、 収録されていないみたい あの演奏こそ、リマスタして出しほしかった ちょっと納得がいかない まさか、あの録音は2日分をチャンポンにして 編集してるから? なんでボックスに収録しなかったんだろ? おしえてエロイ人 フルヴェン信者じゃないがバイロイト第九は持ってるが、音が痩せてバランスが悪い たまに現代の録音を聞くと、ああ第九ってこうなんだなと気づかされる; >>96 あれはレコード用録音ではないから。 3/14のテープは放送用録音にすぎない。(3/15はそもそもライブ。放送用とライブをチャンポンにしてもレコード用の演奏にはならない。) あのボックスは、放送用録音は収録しない方針で作られている。 戦中のウィーンフィルとの英雄(ウラニアのエロイカ)、同じく戦中のベルリンフィルとの運命、いずれもオミットされている。 しかし、なぜかマタイ受難曲は収録されてるんよ そこが不思議なんだわ 最近、シンフォニーの2番をちょくちょく聞いているんだが、 妙に味わいがあるんだなあ。 そりゃ、しょっちゅう聞くような曲ではないが、 一年に一度とか、メモリアルで取り上げたら今でも結構受けると思うんだが。 フルヴェンの後任がカラヤンだから、 そりゃカラヤンがやるわけはないが、 しかし、当初は客演でたまに取り上げていたらしい。 しかし、カラヤンが君臨していき客演でもやらなくなった。 アウリスとイフィゲニア序曲とかロザムンデとか、そういう小品がそろった CDがあれば1枚欲しいのだが 結局はそういうのが一番聴きやすい; 1951年のバイロイトのマイク設置は上からぶら下がっていたのか? テインパニの音が大きすぎるから 憶測で言うとEMI標準の3点吊りで収録したいところを 舞台演出に権限のあるワーグナー家から正面マイク2本を取れと言われたかも。 http://cent20audio.html.xdomain.jp/image591.jpg ブルックナー 交響曲第8番 ●1949年3月14日 ダーレムゲマインデ SFB収録 聴衆なし放送録音 ※Testamentにて復刻 ●1949年3月15日 ティタニア RIAS収録 聴衆あり放送録音 ※ブルックナー歴史的録音集 EMI 566210-2に収録 ●国内盤:TOCE14045 ※65年度レコード・アカデミー賞 ※3月14日・15日の録音を編集 巨匠のブル8(1949年)は、ややこしい 好きな演奏だけど フルトヴェングラーって戦前はストラヴィンスキーとか近代曲も良く振っていたんだよな 戦後はベートーヴェン・ブラームス・ワーグナーといったドイツ音楽一辺倒になっていったが フルトヴェングラー・アチェレランドの効いた「春の祭典」とか聴いてみたかったわ 火の鳥はCD化されているが春祭はなかったはず 新聞では「春のぶっこわし」 でも聴いてみたかったね… 1953年のRAIローマ交響楽団とのリングは、Membran の107枚Box のものと比較してワーナー/EMI から今でも発売中のものは音がいいんでしょうか? >>116 かなりキャラが違うので両方持ってても良いのでは >>120 一方は、そのまんまという感じ、解体直後の生肉。 もう一方は、商品として調整しましたという感じ。血抜きしたり、洗ったりしたタルタルステーキ。 リングってワーグナーの中じゃ駄作の部類だろ 冗長なだけで退屈この上ない トリスタンやパルジファルのほうが全然いい 上の神々の黄昏の録画のコメントに書いてあるけどリヒテルはローマの1953年の録音があらゆる録音で最高と発言しているらしい。 フルトヴェングラーのオーケストラは、歌唱にからみつく鬼火のような演奏を指環全体を通して実行している。その様々な歌唱をも管理しているし、君臨している。全体で、妖気に満ちた十数時間の世界が出来ている。 この妖気は、ほかの演奏では、見られない。ほかの演奏では、スコア再現。フルトヴェングラーのローマの指環は、妖気は再現。という風に、演奏の目的が全然異なっている。 俺もミラノも凄いがローマはもっと凄いと思ってる 最初に通して聴いたときの興奮が半端なかった フラグスタートとメードルの圧倒的な違いにより: ミラノ>ローマ それにミラノは実際の舞台上演だが、ローマは演奏会形式、熱気が違うがな 1953年頃のフラグスタートは全盛期を過ぎて高域が出なくなっているのをオケがカバーしながらの演奏、と批評家に言われていたな。 圧倒的な歌手は、生の舞台ではいきるが、というか、生の舞台でも全体のバランスを崩してしまう傾向がある。 圧倒的な歌手は、役立たずな時がある。 一番わかりやすい例で言うと、グルーヴェローヴァ。全盛期のひとり舞台で、グルーヴェローヴァひとりに目がいって、何観たか、記憶にないとかなる。グルーヴェローヴァ以外の歌手がボンクラにみえて作品の理解にはつながらない。演出の意図をぶち壊してしまう。そういう傾向は、フラグスタートにはある。 だから、フルヴェンは、EMIとのトリスタンは、フラグスタート以外の歌手を指名。フラグスタートは、ワルターレッグのごり押し人選。 フルヴェンは、舞台でのパフォーマンスはそれほどでもなくても、メードルとか全体を崩さない歌手を選んだ。 1947年5月25日、フルトヴェングラーは 前後復帰しました。 2022年5月25日は75周年の記念すべき日です 各人が自分のオーディオで聞いて自分の心の中で盛り上がっておれば、それでよろしい 1947~1953年のいずれかで5~10周年が毎年訪れるわけで そのうちフルトヴェングラー暦なるものが考案されそうな気がする。 日付け変わって26日。 明日の27日にまた話そうではないか >>139 51年バイロイトの第九の実況放送録音はもの凄い発見だと思うが、あまり話題にならなかったな 単純にアセテート録音をまともに再生できるオーディオ環境をもつ人が希少。 SACDだからと、BISから針音注意を公式にする様子もなし。 さらにEMI側もノーコメントで事の経緯を調査するような気配なし。 実のところレコードの記録の正確性がすごくボンヤリしているのだ。 一番判りやすいのは、EMIがリハ収録の全てを公開することだが ベト7のように見つかる可能性は薄いかも。 楽章間の拍手は出てくるという... あれも、本番なのか違うのか。 結局のところ、日本版にしか存在しない「足音」は、どこから持ってきた音源なんだろうな 日本盤にしか無いとかいつの話やねん 去年本家から出たやろ なんかEMIが悪事を行なっていたような論調ってほんと理解不能 EMIというよりレッグの投げやりな態度かな バイロイトであれほど大口叩いておきながら 自分勝手な行動で混乱させている EMIへの愚痴は ユニコーン音源でお布施を集めたこととか ターラ、アウディーテが意趣返しを果たしたが その後にスタジオ全集でドヤ顔で登場するとか EMIは戦後、PO と録音して BPO とは録音してないのがな。 グラモフォンは残してくれたけど。 どう見てもプロデューサーさんの都合。 EMIが契約していたのはフルトヴェングラーであってBPOではない DGが契約していたのはBPOであってフルトヴェングラーではない 神々の黄昏 クナッパーツブッシュ、バイロイト (1951) が、長い間お蔵入りしてたのは、EMI のせい? レッグはバイロイトの録音占有権を結んどきながら カラヤンが去ったら興味なしと契約をそのままに放置。 多くの演奏が半世紀お蔵入りとなった。 バイエルン放送版の第九もその被害を被っている。 レッグの功績のほうを見る以外に その反対も考えてみることも可能だ。 例えば、戦後の指揮者の多くは中流以下が多く 結局、自分の意見の通る人材を求めていた。 ベーム、カイルベルト、ケンペなどの 優秀なオーケストラビルダー、オペラ監督は レッグにとって意見を通し切れない人物といえる。 むしろ、フルトヴェングラー、クレンペラーは 普通のレコード会社では気難しくて扱いにくい部類になる。 カラヤンがバイロイトを去った理由に ヴィーラント・ワーグナーの抽象的な舞台演出への不満が挙げられるが 残されたカラヤンの演奏を聴くと、オルガン曲のように恰幅の良さを重視し 重戦車で歌手を引きまわしているような感じで 周囲の評価もイマイチだったのかもしれない。 これはクレメンス・クラウスやクリュイタンスのような明晰なアプローチとは逆で 演出がどうのこうのというのは、屁理屈だったとも思える。 レッグ自身もカラヤンでのワーグナー録音は諦め フルトヴェングラーに切り替えたのは正解だったといえる。 一方のレッグにもバイロイトを去った理由があったと思われ その理由がデッカの録音技術に負けたということにありそうだ。 というのも、EMIは事前に歌手陣と個別に専属契約を進めており カラヤンだけがバイロイト進出の理由ではなかったのだ。 バイロイトの独特の音響と演出方法にレッグが口を挟む余地はなかった。 もっともクナッパーツブッシュという、もっと厄介な変人を 自分の懐に入れることは無理だったという理由もあるだろう。 フルトヴェングラーのライブ録音は音質も様々で悩ましいが かつてはジーメンス14gとかSABAグリーンコーンのような 平面バッフルに付けてパリパリと反応するドイツ製フルレンジがあった。 長らくこれに代わるものを捜していたところ 独Visaton社のFR6.5という16cmフルレンジが見つかった。 https://www.visaton.de/en/products/drivers/fullrange-systems/fr-65-8-ohm 肝はQts=1.96というガチガチのコンプラで、平面バッフルでもOKな所。 ドイツ製フルレンジ特有の少し辛目の中高域もかなり有効だ。 価格は3,000円程度なのでお財布にもやさしい。 自分は40×45cmのパイン集積材を縁取るような後面解放箱に入れた。 DIYショップで切り板を寄せ集め4,000円くらい。そのまま接着して完成。 http://cent20audio.html.xdomain.jp/image828.jpg http://cent20audio.html.xdomain.jp/image830.jpg 周波数特性は斜め45°からなのでカマボコ型で 4~5kHzの強いリンギングがアクセントになっている。 http://cent20audio.html.xdomain.jp/image4111.jpg ステップ応答でみたタイムコヒレントは正確無比で ガッシリとした歯ごたえとキレの良さが共存している。 http://cent20audio.html.xdomain.jp/image5105.jpg 低音は不足している感じはなく、むしろ躍動感があって ベルリンフィルの力強さが存分に引き出される。 ベルリンフィルとのライヴで録音状態のデコボコなセットで ターラ原盤の「伝説のコンサート1949-54」があるが 状態の悪いローマでのブルックナーとトリノでのティルでも 木管が艶やかで、全体もバランスよく明瞭に鳴ってくれる。 音が良いという以上に、表情の機敏が繊細で見通しよく 演奏の面白さのほうについつい耳がいく感じだ。 このスレって演奏を語る人より録音を語る人のが多いよね それって本当にフルヴェンのファンなのかな フルトヴェングラーはLPに間にあったんかな。 LPは1950年頃からだけど、VPO とのベートーヴェン交響曲7番はSP作ってSPからLP作った時に女性の声が入ったわけだし。 何が言いたいかというと、お金のある人はSPをクレデンザで聴くのが当時の最高でないのかと。 〉〉158 話は逆で、様々な録音状態の演奏を聴き込むための最低限のマナーだ。 昔はどんなに貧しくともラジオから音楽を聴けたので フルヴェンの演奏はオーディオ装置の良し悪しに依存しないと言えたが 共通基盤の失われた現在では等しい価値観が共有できるなど幻想にすぎない。 それが3,000円のユニットで解決するならなおさらだ。 ››159 巨匠は1940年末にマグネトフォンに出会い ベイヤーDT48でプレイバックし そのテープはクラングフィルム協賛で実大デモコンサートが開催され ウィーンで録った録音をベルリンの入院先でテレフンケン製2wayスピーカー付ラジオで試聴した。 LPレコード以前のHi-Fi技術を検証しながら前向きに録音した。 バーコード番号4988003014247のCDを中古で買ったんだけど シューマンの第4楽章でサッサッてノイズがずっと乗るんだけどこれは元々入ってる音なのか CDの劣化なのかわかる方居ますか? 最近、フルトヴェングラーのブルックナーについて、 これは再評価が必要だ、と強く感じている なかでも、一番のオススメは8番 1944年10月17日、ムジークフェラインでの マグネットフォン録音を強く推薦したい。 フルトヴェングラーの8番は、これがベスト ネットで気軽に聞けるので、聞いてみて http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=58 >>162 キングレコードの「K35Y-1014」ですね? 持っていないので分かりません(笑) >>163 フルヴェンのブルックナーは改訂版時代の解釈なのかなと思う 5番なんかあのノリなら最後に打楽器が欲しくなる シャルクと感性が近かったのかな? 後のブルックナー演奏の主流を作ったのは結果的にはヨッフムとかあのへんだったわけだが 改訂版再評価の流れもあるし今後フルヴェンスタイルが流行することもあるかもしれないね そういえばブラームス1番の4楽章再現部なんて、ロマン派的解釈としてティンパニー連打しまくっている演奏が多いが、フルトヴェングラーはいたってノーマルな演奏なんだな 最近、ネットで見かけて感心した文章 「ブラームスの交響曲は、 第1番がベートーヴェン、 第2番がハイドンとシューベルト、 第3番がシューマンとクララ、 第4番がロマン派から脱してバッハへ戻り、 それぞれの調を並べるとC-D-F-Eとなり、 モーツァルトのジュピターになる」 色んなところで乱発している「一発芸」に反応しちゃだめ サザエさんOP、最後だけでなく全体のピッチがずれている https://m.srad.jp/story/22/08/24/141255 なんかフルトヴェングラーを思い出した >>163 確かに、なかなかの深い演奏ですね。 最近アナログばかりを耳にしている自分にとっては、少し刺々しい音質。 やはりフルトヴェングラーを聞くならアナログだと思います。 最近1952年のVPOとの第九や、ストックホルムでのブラームスのドイツレクイエムを聴きました。 彼特有の神がかり的な空間を感じます。 最近、フルトヴェングラーのブルックナーについて、 これは再評価が必要だ、と強く感じている なかでも、一番のオススメは5番 >フルトヴェングラーのブルックナー コーホーがクナを持ち上げてフルヴェンを下げたので聴かずじまい…というクラヲタは多いだろうね 2011年、TESTAMENT盤(JSBT 8466)でもリリースされた(写真)。 これは1991年にソ連から自由ベルリン放送(SFB)へ返還された原テープからの初CD化である。 SFBの後身であるベルリン・ブランデンブルク放送(RBB)が保管しているテープの箱の写真がブックレットの裏に掲載されている。 さすが原テープから直接CD化しただけあって、リアルな臨場感が感じられる音質である。 >>183 それはあるでしょうね。 ただ、コーホー存命当時、フルトヴェングラーのブルックナー録音は音質が芳しくない。 ウチにはフルトヴェングラーのブルックナーCDが結構あるけど、繰り返し聞きたいと思ったことはありませんでした。 フルトヴェングラーの場合、録音の音質が劣っているという問題があって、この問題をクリアすれば、フルトヴェングラーのブルックナー評価は激変するのではないかと。 それにしても昨日>>163 提示のブル8の演奏は素晴らしかった! アナログで是非聞きたいと思いました。 >>163 とまれかくまれ宇野功芳によるフルトヴェングラーのブルックナーは「余りにも人間的」等と言う評論には全く同意出来ないし理解出来ない。 たしかに。 自分も、フルトヴェングラーの演奏で、人間的と感じたことはありません。 彼の演奏は、人間性を超越した、信仰につながるものを感じることが多いですね。 フルヴェンのブルックナーはパンクロックみたいに聞こえる 宇野の時代にはすでに古いスタイルだったんだろう とはいえ今は多様性の時代 「こういうアプローチもあるんだな」「逆に新鮮」「これはこれで魅力的」「こっちのほうが好き」 そういう評価のされ方はあるし忘れられてしまうのは惜しいかもね つまり諸君は「昭和歌謡ハカセちゃん」みたいなもんなんだよ どうなんだろうね? レコードだと、眼前に広がるオケのサウンドを表現出来るのは一部の新しい録音しかない。 フルトヴェングラーの録音はどれも古くて、CDだと雑音にしか聞こえない。 けれど彼の生演奏を聴けば、相当印象が違うと思う。 >>163の演奏はデジタルなので、生とはかけ離れているけど、あれを生で聴けば、相当素晴らしい演奏に感じるはず。 >フルヴェンのブルックナーはパンクロックみたいに聞こえる 全く意味不明 >>162 >>165 キングとかビクターの初期盤はブロンズ化もしてないのにノイズだらけになってるのが時たまにある。 ソニーや東芝の初期盤にはないのにな。 レコード棚を調べると、DGのフルトヴェングラー盤が結構沢山あることがわかる。 ケースは1つあり、1つはブルックナー、もうひとつはハイドンやベートーヴェン、シューベルト、それにシューマン等々の10枚組。 それは未使用盤で、シュリンク包装してあったものを先日剥がして中を確認した。 レコード棚だよ。 CDの音は耳障りなのでしばらく聞いていない。 昨日フルトヴェングラー/ベルリン・フィルの第九(フォンタナ盤LP)の音質を確認したけど、これはどうにもならない。 周波数特性がどうとか言う前に、音が不安定なんだ。 音揺れは無いんだけど、音量が絶えず小刻みに増減して、鑑賞できる状態ではない。 解説にはユニコーン原盤を想定される記述がある。 この録音のCDが初めて世に出たときは、ある程度良好な音質だったけど、多分CDの音源はソ連盤なのではと。 この録音、レコードをもう一度探さなければ。 黄ではなく青鮭のやつか なついのでLP部屋に行った 二つの運命LPもあったりしてなつなつなつなつココナッツだった LPの音は外周が耳障りなのでしばらく聞いていない。 LPの音は内周が耳障りなのでしばらく聞いていない。 LPはコンディションによって全然音が変わるからなあ フルトヴェングラー/ベルリン・フィルの第九(フォンタナ盤LP)は、LPのコンディションの問題ではない。 音量が非常に不安定なので、音源の問題。 同録音のCD(クラウンレコード)を今聞いてるけど、音は少々ざらつくけど音量が安定している。 フォンタナ盤とは使う原盤が違う。 CDの方も、アナログ音声の音に慣れた耳ではすこし変に聞こえはするけど。 俺がよくやる手だが ニキシュ、ハウゼッガー、ワインガルトナーの土砂降りのボロ音源をかけて耳を慣らしておく そしてフルトヴェングラーを聴くと…あら不思議!音質が抜群に良く聞こえる 普通に気をつけて取り扱ってたらLPなんてほとんど傷まないけどね 巷で入手できる中古盤てどんな乱暴にあしらわれてきたんだろう?と購入の都度思う ジャズでもクラシックでも経年劣化の僅かなノイズは仕方ないとして 明らかなピチパチ音など付かないよ 初めて買ったのがフルトヴェングラーの当時発売されてたエンジェル盤だが今でも新品同様 50年代の未開封盤空けたけど普通にパツ音入ってたよ >>210 それは詐欺かたまにある元からの劣悪盤 普通にちゃんとしたLPをまともな装置で聴いてたら分かる 海外ではLPの製造なんて、、、へぼいだろう。 最初から、傷があるものが多い。 製造ノイズを気にするほうが悪いといえよう! 日本盤は最終過程の製造は良いが それを右考慮しても外盤の大半は新製品だとまともなもので それをちゃんと保管保守した場合のことを言っている どんだけ粗雑な扱いしたらビチバチ音刻まれるのか不可解旧東側諸国かよと思ふ フィルハーモニーのホールロビーに「フルトヴェングラーの運命のアウフタクト」と呼ばれる彫刻があるらしいw ど助平だったからね、男性ホルモン異常で、はげになる >>224 フルトヴェングラー自身の彫像ではなく「運命を振ったときのアウフタクト」と楽員達に揶揄されていた彫刻だよ 確か糸が絡まるようにごちゃごちゃしてなんだかわからん彫刻だった >>230 全然関係ないが。 当時の指揮者は演奏中にパチャパチャ写真撮られても文句付けなかったのかね 構図からして明らかに楽員の中に入り込んで撮っているものもあるんだが 同時期のモノラル録音ばかり聴くでよくないか。 土砂降りのはCD以降滅亡したろ? 1930年代のも聴きやすいのしか出回ってない希ガス フルヴェンは、自家製疑似ステレオで、何度でも抜ける。 自家製疑似ステレオ化で(w/ CubasePro10 vst) 疑似ステレオにしても音が良くなるわけではないのでね 疑似ステレオ録音、海外で売れてたんかな。 日本は再プレスされる程度には売れていたみたいだけど。 平林CDでも、ブライトクランクは需要があるようだ。 AMラジオみたいに聴くよりは、ステレオだと相性がよい。 ブライトクランクの対象になってたのは フルヴェンの録音のなかでも良いものが選ばれる。 根性で聴かなきゃいけない演奏は過去多数あったが 例えばRIAS録音集のように見事に復活したモノラル録音もあるので 疑似ステレオ>モノラルみたいな言い方は限定的な意見だな。 家庭用のステレオセットの普及で ステレオのタイトルを揃えようという過渡的なもんじゃね? 元々は ドイツは1949年辺りからFM放送網が全国に整備されたので オリジナルテープでAM放送なみにしか聞こえないのは 原盤かオーディオ装置かどちらかがおかしい。 例えばクレンペラーのアムステルダム・ライブ録音集は アマチュアが9.5cmオープリールでダビングしたものが主体だが これはさすがにSACDにしてもAM放送グレードのものだった。 38cmダビングテープでも十分にHi-Fi録音で むしろテープ保存状態が良ければオリジナルより良い。 >> AMラジオみたい というのは、音がセンターに張り付いているという意味。聴いていて疲れる感じ。 >>疑似ステレオ>モノラル とは思わない。疑似にすれば当然、センターがぼける。 しかし、リバーヴ感もStereo Enhanceerで出るので、奥行き感も得られるし、大変聴きやすいものとなる。 DG, RIASなどのクリアな音源で、自由に試せるので最高だ。 もちろん、Mono to Stereo -> Stereo Enhancer このアイディア、パクるなよ。 ちなみに、トスカニーニのRCA針金録音については、もっと効果的だよ。 シンフォニーという音楽ジャンルの理解の違いが根本にあるな。 ミュンシュやオーマンディのほうが立派な音で鳴らしきるよ。 1950年代の録音は戦中、戦後しばらくの録音に劣ると思うのだけど、耳が悪くなったせいなの? 聞こえないなら引退しても良かったのに、引退しなかったのは何故? ベルリン・フィルを抜けようとした形跡はあるから、もう古巣ではダメになってきていたんだよね? >>261 普通に考えて年齢や、戦争のせいだろう。 カラヤンというか、レッグがカラヤンに乗り換えたのだろう そのカラヤンもフィルハーモニアでの録音に飽きて ウィーン:デッカ、ベルリン:グラモフォンにシフト レッグは企画力そのものも終わってた レッグは第2次世界大戦で、右レッグ足を病んでいた。 レッグはカラヤン国際指揮者コンクールでの審査員の一人。 シュ ークリーム ヴァ イツェンビール ル ードヴィヒ王のビアケーゼ ツ キミダンゴ コッ ペパン プ リン 正解は ハム・レッグ スクランブル・レッグ スコッチ・レッグ 後はご随意に スイス放送局に埋もれていたルツェルンの第九の全曲動画が出てきたりしてなw >>287 ダニエル・バレンボイムって晩年のフルトヴェングラーと会っていたんだな 知らんかったわ マリアさん面影があるな >>288 「その生涯の秘密」でインタビュー受けてる >>295 最後まで腰砕けせず押し通せるだけの力があればそれも正義 >>294 シネマ「ワルキューレ」<字幕スーパー><レターボックスサイズ> [BSプレミアム] 2022年10月19日 午後1:00 ~ 午後3:00 (120分) トム・クルーズがヒトラー暗殺を企てるドイツ軍人を熱演するサスペンス。 製作・脚本は「ミッション:インポッシブル」シリーズで監督を務めるクリストファー・マッカリー。 今年はイラスト・画像におけるAIの急激な発達と普及を目の当たりにしたが そう遠くない将来にAIによるオーケストラの音声再現も極めて高度にできるようになる すると真っ先に飛びつくのはフルヴェンヲタ、 映像をAIに食わせるとメンバーの人数・位置・楽器を解析しモノ音声と映像の動きを元に立体音響再現 AIの音など音楽ではないという原理主義派との猛烈な争いが始まる そのAIさんのお名前はレッグって言うんじゃないかな。 楽器の響きも良くして所々解釈に手を加える。 既にベルリンフィルが出音のパルス成分だけ抽出したデータをもとに ライブ映像と重ねて配信するサービスを開始している フルトヴェングラーはステレオ録音がないのが残念(擬似ステレオはいらない) すこしあとのブルーノ・ワルターは高音質のステレオ録音いっぱいあるのに、、 そうは言っても1950年以降はユルユルになっているし、スタジオ録音では物足りないしで、1955年にステレオ録音出ても駄目だったと思うわ。 戦中に十分お仕事したので早く干上がった感じ。 1945年にギーゼキングがステレオ録音残しているので、その頃なら良かったと思う。 ワルターとかクレンペラーの録音には企画側やエンジニアの気合を感じる この人の演奏を後世に残さなければならないという使命感 ポリーニの最近のベートーヴェン後期ソナタを聴いて 何となくフルヴェンのような主題の回帰性を画いてるように感じた。 >>305 フルヴェンが早逝してレコード会社もおしりに火が付いたんじゃなかろうか あと20~30年ぐらい生きるだろうと余裕ぶっこいてたら巨大な商材を失った 当時はお金にならないと思ってたライブ録音がこれほど売れるとはね。 >>313 飽きられる前に死んじゃったせいじゃないか 325 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2022/12/02(金) 11:27:59.27 ID:R76+FJRE [4/4] 渡辺徹さんは 「ヴェングラーが振るとフルトヴェングラー」とか駄洒落言ってたな 懐かしい >>306 国内盤12/2発売の op.101, 106 の事? 今聴いている。 >>320 少し前の30~32番。 弾きはじめから終楽章までの必然性を予見して鳴っているような 起承転結ではなく、常にクライマックスで終始している感じ。 変奏曲的な30番ならいざ知らず、31、32番も印象は変わらない。 タッチが散漫だとか言う人も多いが、微妙なテンポルバートなど 古い演奏家を知ってる人には意外に面白い演奏だと思った。 ありがとう。見つけたので聴いている。 amazon のストリーミングで曲探すの難しい。 録音時期とか演奏者とか書いてないのもあるし。 無料期間過ぎたら辞めるわ ポリーニ、上手いとか下手とか言われる次元から外れて、ありがたいオーラが出る境地まで行ってるな。 人が進歩するとか中々ないけど、昔の巨匠指揮者の域だよ。 32番のような異質な曲が、何時までも聴いていたいような曲になっている。 不思議だ。 少し耳が遠くなっている可能性も否定できないけど だからこそ心の中で鳴っている音に自由に接しているように感じる。 「七十にして心の欲する所ところに従えども、矩を踰えず」 という論語のとおりの人生観を感じる演奏だ。 そういえばフルヴェンも晩年は耳が聞こえなくなっていたんだよな 調子がいいときは聞こえたそうだが (いい意味での)凶暴性が薄れて整理し尽くした演奏になっていったのはそれもあるかも お前らフルトヴェングラーに関してはネジ曲がっだ変な事しか言えんが、少し外れて雑談モードに入ると教養あること分かるな。 人が違うのか。 フルトヴェングラーの演奏で初めていいなぁと思った曲は何ですか? 自分はモーツァルトのピアノ協奏曲第20番でした それと自作のピアノと管弦楽とための交響的協奏曲第二楽章ってやつ 1960~1980s ライブなら何でもありがたや(ユニコーン&チェトラ時代) 1990~2010s オリジナルテープの音質に驚愕(ターラ&オルフェオ&アウディーテ時代) 2020~ さすがに弾を打ち尽くした(アビーロード撤退) >さすがに弾を打ち尽くした 作曲作品の録音は揃ったのか? >>339 Marco Poloの6枚をセットにしてほしいな >>339 交響曲第3番なんてあったのか 2番までしか知らんかったよ しかし、序曲があってことはオペラも書いていたんかね Marco Polo には作曲家として認められたのか ピアノ五重奏曲やヴァイオリンソナタ いずれもCD1枚かかる長大さで集中力が続かないが 喫茶店のBGMにはむいていると思う しかし「偉大なものはすべて単純である」とベートーヴェンの第五を絶賛していたのに、自分で書いた交響曲はとても難解なんだよな ブラームスなんかより遥かに複雑 むしろショスタコーヴィチの方が明快 純器楽よりオペラやオラトリオ向きの作曲家だと思うね 自らを 指揮もする作曲家と見なしても作曲もする指揮者と見なしたことは一度もない と言っていたのに・・・ そんなだったらカラヤンに演奏してくれるよう圧力かければよかったのに 犬猿の仲だったから無理でないの そういえば、以前カラヤンが第九の練習をしていたときに楽員に語っていた 「フルトヴェングラーの曲で、三連符とか五連符が多用されていて、これってどうやって演奏するのですか?と聞いたら、これは要するにトレモロなんだよと(笑) 存命中に録音してくれる仲良しの指揮者は居なかったようにも見えるし、恐れ多くて指揮しなかったようにも見える。 信者のバレンボイムやチェリビダッケは録音しないし何でやろ。 まあ、バーンスタインの場合も同世代の人はそんなに指揮してくれなかったり、ウエスト・サイド物語以外は演奏される機会は少ないみたいだけど。 >>354 バレンボイムはベルリン・フィルでの定期で取り上げたな。NHKFMで聞いた。前座はベト4と皇帝円舞曲 ケンプも結構な作曲家なんだよな 終戦まではピアニストとしてよりむしろ作曲家と目されていたらしい で、フルヴェンと仲良しだった 巨匠の立ち位置が難しいのは ①EMIやDGのLPがなければ幻の指揮者だった可能性が高い ②そのうちバイロイトの第九と復帰演奏会がなければ これほどライブ録音の発掘が白熱しなかった ③1990年代までライブ音源の大半が海賊盤だったため スタジオ録音との本来の比較が阻害されていた ④没後50年を経てラジオ局蔵出し音源が放出されても 旧来の演奏評価はほとんど覆らなかった この4番目の歴史を塗りかえるのに失敗してないか? ①の時点でイミフ。 戦中、政治的に一番正しい指揮者だったのに、何が幻なのか よくそこまで妄想できるな 廃れた5ちゃんで久々の逸材登場 センターは正直・・・ね ステマじゃないにしてもステマくさいゴリ押しを見ちゃうともうダメだ 感動とは人間の中にでなく 人と人の間にあるものだ 今日の題名のエンディング ステージと聴衆の間から生まれる と「音と言葉」にあったような グランドスラムのGS-2282、ベートーヴェンの交響曲4番と7番を聴いた。 7番の第4楽章で、あの混入していた女声が全く聞こえない。 「オープンリール・テープ復刻」とあるのにどうしてだ?オープンリールならどれにも女声が入っているはずなのに?? もしかして平林先生、細切れ原テープ起こしの2021年発売ワーナー55枚組から音をパクる、とか“やっちまった”のか、とも思った。 でも2011年発売のSACDハイブリッドでも、編集技術の進歩であの女声はほぼ聞き取れない程度になっていた。 タワーレコードのサイトでも「プロ用の機器を使った」と書いてあることだし… 今時はポピュラー音楽の音源から歌声を取り除いてカラオケにしてしまう技術もあるそうだ。 まあ多分、技術の進歩のおかげなんだろう。 >>376 できればバイエルン放送のバイロイト実況版の4楽章の電話のベルも取り除いて欲しいものだな 4楽章まで来てアレが入ると一気に興ざめする 楽器の音から声やベルを除けるくらいは今時普通にできるだろうな 元の音に全く影響なしとはいかないがよく聴いても分からない程度にはできる ハァ? パブリックドメイン化したのが掃いて捨てるほどあんだろが 本人作曲の著作権が2025年まで有効。他にまだ有効なやつあったっけ >>384 いや、死後50年経過しているから本人の著作物でももうとっくに切れているだろ だからここ10年くらいで「LPレコード未通針の盤起こし」なんてソースがたくさん出てきたんだな 例えばトスカニーニやワルターはバーバー(1910-1981)の録音がまだ保護期間 >>390 日本国との平和条約に署名した連合国の国民が第二次世界大戦前または大戦中に取得した著作権について、 戦争期間中日本国が連合国民の著作権を保護していなかったという根拠に基づき、通常の保護期間に戦争 期間(1941年12月8日又は著作権を取得した日のいずれか遅い日から日本国との平和条約の発効する日の 前日までの実日数)を加算するもの。 ドイツとイタリアは連合国側ではなく枢軸国側なので、その対象にはならない。 そんな文言書かれても録音毎に教えてくれんと分からんのやで。 1970年代に出てきた放送局のテープからの扱いは? ソ連に接収されていた録音からの復刻は? ウラニアのエロイカの著作権はどうなっているのとか。 >>391 の言っていることが正しいと思うよ 著作隣接権の問題だよ >>393 個別事例は裁判起こして裁判所に判断してもらうしかないな。 東京高裁2003年(平成15年)6月19日判決の「リヒャルト・シュトラウス戦時加算特例法適用事件」。 これは1949年に死去したドイツ人作曲家・リヒャルト・シュトラウスのオペラ「ナクソス島のアリア ドネ」の上演に関する裁判である。 この裁判は、日本の音楽団体や企業が被告となり、作品の著作権が連合国側に属すると主張する著作 権管理者から訴えられたもの。しかし著作者の国籍はドイツで連合国ではなかった。 原告は、著作権が連合国の著作権管理業者に売却されたことや、著作者が連合国にいた時に制作され た作品であることなどをそれぞれ根拠として挙げて、戦時加算の適用を主張したが、裁判所は原告の 主張を退けた。 この判例から判断するとソ連に接収されたウラニアのエロイカも戦時加算はされないと見て良い。 フルトヴェングラー1954没で2005年に著作隣接権は切れてる もし戦時加算があったとしても長くて10年ちょいなので切れてる 公にされた日を起点とするので、放送録音は放送日が起点、客を入れたライブならライブ開催日 無聴衆でセッション録音されたものが長らく非公開とされ、後に公開された場合の起点がどうなるのかは例を知らない ずいぶん前(10年以上)ですが ダイソーでフルトヴェングラーのCD売ってた時は驚きました >>396 知ったか乙 隣接権はレコード会社に帰属する権利な 簡単に言うと著作物を加工したものに対する権利 これは短いから板起こしも早く可能になるし レコード会社はしょっちゅうリマスタリングするw こうやって見てると 自然権としての著作権と 版権など契約で生ずる諸権利を混同してる奴大杉 当て推量で物言う前にggrks だから (p)xxxx が更新されていくんか。 理解できた。 ふと思ったがリマスタリングって、著作人格権の同一性保持権を侵害していないのかね >>397 懐かしい 若き日のカラヤンってのが先に出たんだったかな 音楽の著作権問題はいずれビートルズでも起こり得るのかね? メキシコの著作権時効は死後100年 なのでメキシコの音楽家の著作物は作者の死後100年間は保護されている >>397 あれで、プフィッツナーの交響曲ハ長調をはじめて聞いた >>403 現状リマスターは、著作隣接権更新にはならない。 世界中で、判例なしの状態だ。 何がしかの工夫とはみなされない。録音Fixで終わり。 ビートルズを擬似ステにして出そうかなw バイロイトの第九はシュワルツコップやエーデルマンが長寿だったからまだ先の話になるのか? 呑み込みの悪い奴は真正馬鹿なのか痴呆なのか 演奏者が生きてようが死んでようが 複製権などの諸権利は録音時に交わす契約で決まる話だろうが 日本の著作権法でレコードが保護される期間 https://www.riaj.or.jp/f/leg/copyright/special/hogo.html 2018年12月30日に施行された改正著作権法により、著作物等の保護期間が50年から70年に延長されました。 レコードの保護期間は、最初に音が固定(録音)された時から始まり、そのレコードが発行(発売)された日(最初の録音後70年のうちに発行されなかったときは、 最初の録音日)が属する年の翌年1月1日から起算して、70年後までとなります(著作権法第101条)。 ただし、改正法施行日の前日(2018年12月29日)において権利が消滅している場合に保護が復活することはありません。 どんな契約をしていてもこの法を超えることはない バイロイトの第九は上記の2018年12月29日には権利が消滅しているので好きに使える あなたが個人でCDをプレスして売ってもOK 実演家などに認められた権利 https://www.cric.or.jp/qa/hajime/hajime4.html 著作物の創作者ではありませんが、著作物の伝達に重要な役割を果たしている 実演家、レコード製作者、放送事業者、有線放送事業者に認められた権利が著作隣接権です。 これが録音における演奏家の持つ権利 演奏家が拒んだ例で有名なのがミュンシュ来日第九公演のバス歌手岡村喬生氏 保護期間を過ぎてから売られたものにも発売中止を求めた。 法的には求めを受け入れなくてもよいが本人の意志を尊重して自主的に発売中止したようだ。 https://ameblo.jp/kms1954kms/entry-12670877646.html 岡村氏が2021年に逝去したので、そう遠くないうちにCDも出るだろう 今はネット配信で聴ける 作曲家、指揮者、レコード会社の他にソリスト、歌手、オケにも著作権あるわけか ※フラブラの蛮声には著作権ありません そうものすごく大変。 ちなみにストラヴィンスキーなどのスコアを コンサートで用いるのも結構大変 >>413 今まで10,30,50,70年と国内でも法律変えてきているが、 結果、1968年発売までは、 どうリマスタ加工されていようが、フリー素材だ。 世界中で判例がないとの判断。なお長期化は海外圧力。 1969年のがフリーになるのは、2039年。 もうすぐだw 1968年まで。*\(^o^)/*やったー 1669年以降 (´д`)死にそう… >>415 BSOとの演奏がなかなかCD化されなかったので代わりにこれ買ったなぁ まだ持ってるけど今はネットで聴けるのか >>415 発売中止を求めたのは自分の出来が悪くて恥ずかしいからか? >>423 詳しい。 やっぱり死人に口なし、最高だな。 >>423 ソプラノ・アルト・テノールが生涯屈指の出来だったから是非CDにしたいと言ってもことわるんだろうな そもそも気に入ろうが気に入るまいが、一演奏者or一独唱者の意見で全体が被害を被るのはどうかと思う もちろん自分のソロリサイタルだったら好きにすべきだろうが アマチュア音楽家の端くれとして言わせてもらうと、そもそも本番で自分のベストを出し切れない(調整 に失敗している)のはプロとしてどうなんだろうか 今の技術ならできるだろうから、一人分の声を差し替えて録音出したりとか。 >>426 おたくがどの程度のアマチュアか知らんが 私はどんな演奏家でも良い時もあれば悪い時もあると思って聴いている 自然権と混同するなと何度 メクラとツンボしかおらんのか >>423 これ話の具合からするとライブ録音なんだろ? 録音発売の契約をしていなかったか不備があったんじゃね? 契約内容によるが締結後であれば 気に入らないから発売するなというのは通常通らない というかその言い分に対しては お前プロだろまず聴衆に謝れって話になる フルオケで合唱付じゃ別録りなんか不可能だろうし迷惑千万 しらんけど Zより団塊ジジイじゃない? よく店員や駅員にくってかかってるジジイいるよな 論じることなく必死にレッテル貼り 頭悪い奴はすぐこれだ 昔は良かったなあ >>店員や駅員にくってかかってるジジイ 図書館司書によく怒鳴っている爺さん、、、 リアルに考えたらクラ板にZ世代なんているわけないわな 最近目に付いたワードを絡めると 世相を斬った気になるやつwww 荒らしの特徴 ありえない仮定を持ち出す 「太陽がもしもなかったら」 自分に有利な将来像を予想する 「地球はたちまち凍りつく」 全てか無かで途中を認めないか、あえて無視する 「花は枯れ鳥は空を捨て」 自分の見解を述べずに人格批判をする 「人はほほえみ失くすだろう」 知能障害を起こす 「イエーイ!」 主観で決め付ける 「太陽は生命の星だ」 「幸せを守る炎だ」 一見、関係がありそうで関係のない話を始める 「イーグル!シャーク!パンサー!」 「イーグル!シャーク!パンサー!」 「俺たちの魂も燃えている」 ありえない解決策を図る 「Follow The Sun, Catch The Sun」 レッテル貼りをする 「太陽戦隊サンバルカン」 いや これだけ品のない聴き手でも魅了する点が 庶民的といえよう マスターテープの音以上は無理なのに、何してるんだろうという気はする 演奏は鮮明に再現できるけど、場の空気感までは無理だった。 >>451 それで、また疑似ステレオ化で儲けようかなw 2番8番の演奏が極端に少なくてどの全集でもいつも同じソース使ってるよね ふつうに大全集に含まれていた7番の板起こしでないマスターが出るかと >>462 手兵ベルリンフィルとの演奏が一つも入っていないのが面白いね 第九はEMI版のバイロイトか バイエルン放送盤は採用できなかったのかね >>463 前にCDで出たやつと一緒じゃないか。 Art & Son Studioのリマスター CDとSACDの差なら買わなくてよくない? 1933年のSP盤録音の「後宮からの逃走」序曲の始まって22秒くらいに、 トンと足を踏む音が入ってるね。 >>467 バイロイトの第九と同じで、オケの出が悪かったから足で音出して合図をしたんかね 他のも聞いてみてますが、1936年の同じくSP盤の録音の「こうもり」序曲でも、 46秒くらいからリズムに合わせて4回くらい足をトントン踏んでると思うなあ・・・ 彼に対するトスカニーニの態度は概ね知ってたが あらためて発言を聞くと炎上バカッター並にヒステリックだな >>477 ヒトラー・ユーゲントとして活動していたのに戦後はあっさりと演奏禁止解けたからなぁ 平成の初め頃、フルトヴェングラーの裁判が長引いたのを調べた学者が「ある大物音楽家が関与していた」と公表していたっけ トスカニーニならそう書くだろうから、当時はまだ存命だった大物音楽家だったのかも 見たけどどのへんがバタフライエフェクトだったのか 普通の歴史ドキュメンタリーだったが >>482 フルトヴェングラーがもてはやされたから日本の音楽学校の入学者が増えた >>482 ベルリンの壁崩壊後のバーンスタインか EUの第九に行くかと思ったが まあ大体このシリーズは世代のバトンタッチ的な話が多いから その文脈でバレンボイムは分からんではないが やや強引だったかな てか文壇の話は尻切れトンボだたな >>480 戦中30代にしてベルリン国立歌劇場の音楽監督 奇跡の人 フルトヴェングラー そして 奇跡の人 カラヤンか… ふるとめんくらう は、 フルトヴェングラー の 異名ではなく 近衛秀麿の異名だったと 1983年にフルトヴェングラー その生涯の秘密のパンフレットに 弟子の 藤田由之 が 書いていた。 彡⌒ミ (・ω・`) センター盤来ない・・・ /) /) ⌒⌒//| ̄∪∪ ̄//"⌒ ".゙"//| ̄ ̄ ̄ ̄//""゙" .゙"//| ̄ ̄ ̄ ̄//"@"" "//| ̄ ̄ ̄ ̄//"ヽレ゙ >>496 /⌒\ (・ω・`) センターからメール来た。連休後になるって・・・ /) /) ⌒⌒//| ̄∪∪ ̄//"⌒ ".゙"//| ̄ ̄ ̄ ̄//""゙" .゙"//| ̄ ̄ ̄ ̄//"@"" "//| ̄ ̄ ̄ ̄//"ヽレ゙ センター盤って、ウィーンフィルの第九の全曲動画DVDか? 俺も見て見たい気が 新しいベト全SACD聴いた人居ないの?発売されたのに全然話題に出ないけど。 自分は泊まりで外出してて、明日でないとコンビニから引き取れない。 連休中、楽しみに聴かせてもらいます。 >>499 聞いた。 感想を書きたいところだが、以前にワーナーの正規録音集を聞いて、感想の大連載をおっ始めたら、大不評だった。 今回は差し控える。 ここのお爺さん達はリマスターが出ると買い直して、少しの差を楽しんでいるのかい? 少しでも良くなってるのであれば良いや 少なくとも以前より悪くなってなければよい つーか犬で注文したがまだローソンに届かねえ 20代の頃より自分の耳が遥かに鈍くなっているからな それを補うためにより音質のいいソースが必要になる フルヴェンの録音にモスキート音の周波数帯は収録されているんだろうか フルヴェンは晩年難聴だったらしいな メンゲルベルクはそれ以上に難聴 演奏家は耳を酷使してるから老年になると難聴多い まぁ第九を書いたベートーヴェン自身も難聴だったから、それを再現する指揮者が難聴でも問題はなかろう なら桶メンバーが難聴でもいいじゃん 聴衆も難聴なら完璧 >>521 ベルリンフィルのティンパニ奏者、テーリヒェンは難聴に悩まされていたらしいな カラヤンから指示を受けて愛想良くうなずいたが、何を言われたのか聞こえてなかったとか センターステマ騒動を蒸し返した途端にこの勢いである フルトヴェングラーはまだ60代半ばというのに耳も体も具合が悪くなったが、あれは大戦中に苦労したからというよりも、 全身を激しく動かして酷使する指揮法に体が参ってしまったのが原因ではなかろうか 体を激しく動かして指揮をする人は短命が多い > 体を激しく動かして指揮をする人は短命が多い たとえば? 晩年のベームは椅子に座って指揮していたな。 ああいうのがいいんだろうな。 「犯罪者の98%がパンを食ってるからパンは危険な食物だ」 式の話だな 長生きしたら体力が落ち(て大人しくな)るってだけだろ >>528 ベームはリヒャルトシュトラウスに知り合ってから、その教えによって、少しの動作でオケを鳴らすすべをものにしていたから、元々指揮の動作はおとなしめ 逆に言葉で延々と指示する指揮者と殆ど喋らない指揮者がいるな フルヴェンは後者だったそうだが 「犯罪者の98%がウンコを食ってるからウンコは危険な食物であnaる」 彡ミミミ (^ω^ ) センター盤来た! /) /) ⌒⌒//| ̄∪∪ ̄//"⌒ ".゙"//| ̄ ̄ ̄ ̄//""゙" .゙"//| ̄ ̄ ̄ ̄//"@"" "//| ̄ ̄ ̄ ̄//"ヽレ゙ メールで訃報が届きました。 フランス協会のサミ・アブラ氏が88歳で死去。 フルトヴェングラーとメニューインはメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を実演してますか? 実演の記録があればデータなど教えてほしいです。他プログラムがわかったら尚うれしいです。 打ち込み音楽でもなきゃレコーディングも実演奏だわな トリスタンとイゾルデ2,三幕の新盤、3録音状態はどないですか? magistrale レーベルのベートーヴェン第5(47年5月27日)が届いたので聞いてみた。 これは一聴の価値あり。化粧の濃い従来盤で植え付けられていたイメージが変わった。 >>549 別に「フランス協会盤をパクった」と邪推するわけではないが、音質も録音欠落部分も仏協会盤にそっくり。 >>551 magistrale盤は、化粧の濃い従来盤とどのように違うの? もうちょっと詳しく教えてもらえると有難い・・・。 >>553 残響がデッド。 もともと残響が無かった楽音に人工的に残響を付加することはできても、その逆は不可能に近いから、より原テープに近いと思われる。 …ただまぁ、音響技術の進歩は日進月歩だから、今では残響を取り去ることも出来てしまいかねない。 その辺の見極めも含めて、自分の耳で一聴することをお勧めする次第。 >>554 ID:eVwW0UgE だが、情報サンクス! https://www.asahi.com/articles/ASR9T5CYCR9TUCVL049.html 音楽学者の野口剛夫さん死去 佐村河内氏「ゴースト」騒動端緒の論考 2023年9月25日 16時12分 音楽学者で指揮者、作曲家としても活躍した 野口剛夫(のぐち・たけお、本名別宮剛夫〈べっく・たけお〉)さんが20日、不整脈で死去した。 58歳だった。葬儀は近親者で営む。 作曲を故別宮貞雄に師事、後に養子となった。 フルトベングラー研究で知られ、歌曲集の校訂もした。 2013年、「全聾(ぜんろう)の作曲家」と呼ばれた 佐村河内守氏のゴーストライター騒動の端緒となる論考を「新潮45」に寄稿した。 もうセンターと東京研究会と協会は合併しちゃえよ。 ハゲ指揮者がCDを語る部門、作曲した作品を研究する部門、昔の音楽映画のDVDを出す部門で。 >>556 フルトヴェングラーの交響曲第3番の四楽章バージョンはこの人が日本初演の指揮してたな 本当にブラームスピアノ協奏曲1番の録音残っているの? 疲れてヘッドホンで戦中録音を聴くと良い音に聴こえた。 ワシもそろそろ終りかもしれん。 >>566 Victor HA-MX100V 普通で変に凝った事はしてないのが良いよ 日本フルトヴェングラー協会は今どうなってるのか? 1月に頒布される予定の頒布品が発送されずそのまま届かないままの状態になっている 毎年5月頃に配布されてる会報も送られてこない 問い合わせても返事が全く無い 何十年も会員続けてきたがこんな事は初めてだ 未着の頒布品と会報は合わせて4000円くらいになるが、日本フルトヴェングラー協会は今になって頒布品も会報も送らずに会費を持ち逃げする詐欺団体に成り下がったのか!? 日本フルトヴェングラー協会。 日本フルトヴェングラーセンター。 懐かしい響きだ… 日本フルトヴェングラー協会。 日本フルトヴェングラーセンター。 懐かしい響きだ… 日本フルトヴェングラー協会 と 日本フルトヴェングラーセンター は全く違う団体だ 協会が全然動かないんで センターが出来て本場の協会にコンタクト という流れだった記憶 >>571 元々協会だけだったが、ゴタゴタでセンター派が独立した。 センターが創設される時に、協会の会員の名簿が無許可で流用されて問題になった記憶が。 アセテート盤起しの1954年のバイロイトの第九が届いたから聴いてみた。 やはりソースは既発盤と一緒で、独唱の音量がデカい、アレ。 回転ムラに起因する音程の揺れも残ってる点からも 既発盤と元のソースは一緒。 是非とも買うべき!と言う程の音質の向上はない感じ。 オルフェオ盤より、ドライな感じかなぁ。 アセテート盤特有の、気になる針音はない。 ロンドンの第九、ヒトラーの第九、ストックホルムの第九 より音質は劣るかも。 音揺れは、特に高音楽器で目立って聴こえて気になる。 第三楽章の後半なんかの盛り上がる肝心なところで回転ムラで 音痴になると聴いててコケそうになる。 第四楽章の冒頭の潰れなんかは、オルフェオより古い盤よりはマシ。 本来は、結構な熱演だったんだなと脳内で補完しながら聴きつつ 感じるけど、肝心な所での音揺れが、マニア以外に薦める際に ネックだなぁ。 >>575 私の手元にも届きましたが、ほぼ詐欺商法ですね。 「アセテート盤から初復刻」と帯にあるので、てっきり放送局保管のアセテート盤から起こしたのかと思ったら、 ライナーノート冒頭にいきなり平林氏が「アメリカの収集家のコレクションによるアセテート盤から復刻された」と書いています。 つまり、ラジオのAM放送をテープでなくアセテートでエアチェックした、ということであり、素性としては従来盤の音源と変わりません。 聞いてみると、この当時のAM放送エアチェック音源によくあるピッチの揺れがひどい。(回転ムラだけではないと思います。) 特にビブラートができないはずの木管楽器の音がビブラートしているかのようにピッチが揺れていると、非常な違和感を感じます。 まずい点は、AM放送由来という録音の素性だけではありません。 アセテート音源に特徴的なSP類似のプチパチノイズが、>>575 さんご指摘の通り、全く聞こえません。 録音者およびアメリカのコレクターが針を全く通さずに保管していた可能性も無くはありませんが、強いリダクションを掛けた可能性があります。 極度に痩せて貧弱な音質も、AM放送由来ゆえのみでなく、ノイズリダクションの結果かもしれません。 オルフェオ盤を除く従来盤にあった、電波事情の悪さによると思われる、プシューッ!という気まぐれなノイズはありません。 エアチェック盤としては、この点、かなり増しな部類に属します。録音者が金持ちで、いいラジオを持っていたのでしょう。 しかしその結果、ミキサーのポカというか、そもそものマイクでの音録りの時点での欠点が浮き彫りになる結果になりました。 録音バランスが全くもって素人の仕事並みで、ティンパニ、木管、および終楽章のソロ4人が異常に大きい音量です。 もしもこんなものが放送局の原テープの録音バランス状態だったとしたら、フルトヴェングラーでなくても破棄を要求したでしょう。 これを全曲通して聞くのはかなりの苦痛でした。結局、従来盤と同じく、あくまでコレクターズアイテムの域を出ない代物です。 〈タワレコ限定〉フルトヴェングラー ライヴ録音大集成(80CD)~巨匠のライヴ録音を大集成した史上初の永久保存盤全集! https://tower.jp/article/feature_item/2023/10/27/1110 この怪しいのが嫌。 原盤:GRAND SLAM Remastering(P)2023 Tahra とかは、音源の出所を説明出来てるのにな。 リング全曲とかオペラのライブ録音抜きで80枚にもなるのかぁ。 フルベンはレコード録音を軽視していた 残された音源は真剣に仕事をしていない だから時代遅れの指揮者であったといえる >>577 でもここに居る人は全部持っているのでは? >>577 でもここに居る人は全部持っているのでは? バイロイトの第九 1951がGRAND SLAMので、バイロイトの第九 1954 が無いとかイミフなんだが。 フルトヴェングラーのチャイコフスキー悲愴交響曲は 多くのファンを感動させて泣かせた しかし、フルトヴェングラーは意外にも アンチチャイコフスキーだったのだ この間コンビニで買い物してお釣りを受け取る際、 コロコロ悪太った店員の女の子に 「お返しが○○円と、あとチャックが開いてます」と指摘されました。 宇野先生に一寸近付けたと思いましたね。 クレンペラーちゃうん それともポーコー言いたいだけかね これがフルトヴェングラー博士のことを話すスレなのか? >>574 確かに。 いきなりフルトヴェングラーセンターから手紙が届いて驚いた。 >>581 全部ではないがほとんど持ってる。 しかし、54年のパリ公演「オイリアンテ」と 「ハイドン変奏曲」がカットされているのが納得いかない。 日本協会から久々に会報が来て、頒布資料(チェリビダッケのブル6のDVD(笑))の購入を薦めてきた。 そんなものはいいから、今まで払い込んだ分の資料を早く送れよ。 まあとりあえず、日本協会が夜逃げしたのではないことだけは分かったwww 次は音楽映画の「楽聖ベートーヴェン」か「未完成交響楽」あたりをDVD化してくれや。 >>594 頒布資料 チェリビダッケのブル6のDVDはSONYから発売されているものと収録日が同じ。 協会がSONYのDVDを海賊コピーしてるのではないか?と想像できるので、俺は絶対に購入しない。 1月頒布予定のワーグナーのDVDも未発送のくせにチェリビダッケのDVDなど販促してどういうつもりなのか? 日本協会は未だに川上氏がやっている。 後継者がいないようなので日本協会はそう遠くない日に活動停止になるだろう。 5月に届くべき新しい会報が半年も遅れて今頃になって発送されて届いたり、 1月に届くべき頒布品が10ヶ月経っても未だに送付されずそのままの状態。 日本協会はもはや末期症状そのもの。 後継者がいない状態では今後は会費の納入をしない方がいいと思った。 私は何十年も前からの会員だから残念に思うけど、後継者がいないのでは仕方がない。 >>597 協会に若い人はいない センターの方も若い人はいない、協会よりは若いけど幹部はほとんど70歳以上 協会もセンターもとっくに役割は終えているだろう 惰性であるだけの組織 センターにしがみついて自分の宣伝PRに使っている嘘つきニセ指揮者みたいな屑もいるけどな(笑) センターにしがみついて自分の宣伝PRに使っている嘘つきニセ指揮者みたいな屑もいるけどな(笑) ヒーリング系もしくはドローンアンビエントで最強のリラックスを手に入れてください。 自然の波音も入っているので、さまざまな周波数の恩恵を得ることができます。 神経過敏でイライラしやすい人、なんらかの依存症にも少なからず効果が期待できます。 試してみてください。//youtu.be/e1IPKVrDUoM おはようからおやすみまで日々ひとりでぶつぶつハイレゾのDLしていればいいのに たまーに発作を起こすよね、そいつ おっと、 5つのオーケストラの常任指揮者だとか派手にウソつきまくったオワコン禿げタコの話はスレチだぞ ここはフルトヴェングラーのスレだ! くだらない承認欲求からしょーもない嘘をついてしまえば それは枷になる 二度と大きい仕事はできなくなってしまうよね …元々でかい仕事する能力がないならノーダメだがな チェリビダッケは肉の日にベルリンフィルと喧嘩別れしたのか 回転ムラは、技術を駆使すれば、かなり補償ができるはずなんですがね。 観客のいないところでの録音は、楽団も指揮者も気分がのらないという 面はあるでしょう。 日本で最近ボカロのクラシックオーケストラ演奏による コンサートがあってその1回目で東京フォーラム会場に 行って聞いたことがありました。 最初、楽団員たちは、なんで俺たちがこんな下らない曲を 轢かなきゃならないのか俺たちはもっと芸術を轢きたいんだが といった感じの気乗りのしない演奏をしていましたが、 観客が熱狂していると、そのうちにえらく真剣身が増して来て 演奏に力が入った様子がまざまざと感じられるのを体験しました。 (自分はそういった演奏と客の応答の部分を鑑賞していたわけなのです) フルトヴェングラーは実はアンチチャイコフスキーだった なのに彼の悲愴交響曲は世界中のファンを泣かせたそうだ 矛盾だが芸術に矛盾はつきもの タワーレコードからメールが来て、年末にメンブランから発売予定だったベートーヴェン5番+4番が発売中止になった、とのこと。 何があった??? ソ連軍が持ち帰った帝国放送曲のテープは現存してるのかね? あったとしてももう劣化して再生できないんじゃないかな ブラームス ブライトクランク盤の全集ボックス 聴いた人います? どぉーでしたか? 20%クーポンで1万ぐらいならポチッChinaよ 滅多に出てこんで ということで自分へのクリプレとでもしようかな ブラクラ盤がリマスターされたりSACD化されるとは思えんし オーマンディのブラ4と比べてみっか(笑) >>0625 ブラームスのブラクラ盤って今まで見たことないなーと思ったら、日本からの要請でブラクラ化して日本のみの発売だったんだね フルベン界隈では有名な話なんだろうけど、ライナーを読むまで知らなかった 日本の皆様にとどくよう、心を込めてブラクラ化しましたって担当者が書いてるし(笑) EMIのSACDと比較しながら聴いたけど、聴き心地がとてもいい 体育館で2つのスピーカーの間で聴いているような音の広がり(笑) 低音と音のち密さはSACDの方がまさるが、ブラクラの方が耳に爽やかに聴けていい ブラクラ好きにはたまらない逸品でした ブライトクランクエミュレーターを開発公開してほしい ブライトクランクはロストテクノロジーだろ。 今はもっと上手に疑似ステレオ化はできるんだけど、ブライトクランクはキンキン反響する部屋で再生したものをステレオ録音した感じ。 ブライトクランクは定位も残響マシマシも結構バラバラで これがブライトクランクだと言えないレベル ブライトクランクのブラ全はなんか音の間が抜けてしまったような不思議な響きだった 同じブライトクランクの悲愴なんかはそんなことなかったんだけどな 1番だけはモノラルの趣が濃いよね 残響だけ広げてる感じで案外聴きやすい チャイコフスキー大嫌いなのに チャイコフスキーの名演を成し遂げた凄い指揮者 フルトヴェングラーってツンデレだろ。 チャイコフスキーにつれない態度を取りつつ好きだし、Kに意地悪したけど大好きという。 トスカニーニには年齢で力負けしたり、シュレジンガーにはハイハイ聞いてるよーっていう態度取られたけど。 >>640 お前がクソバカというのはよくわかったから おくちのデオドラントしてから息してくれないかな今後は フルトヴェングラーのマーラー3番、聴いてみたかったな… >>642 自分の脳内で構成して響かせることも出来ない程度なのか、お前のフルトヴェングラー愛は! 受け口で欲しがるばかりの幼児性、見苦しすぎるよw そのうちAIが過去音源から最適サンプリングして 未録音曲を再現してくれるさ 10年くらいすると安価なソフトで自分の好みで編集できるようになって 『フルトヴェングラー未録音曲でっち上げコンテスト』とかやってるんじゃないかw フルトヴェングラーはチャイコフスキーが嫌いで 意外にドビュッシーを高く評価してた でもチャイコフスキーの超名演はあるけど フルトヴェングラーのドビュッシーって? 徳岡直樹 ってフルトヴェングラーファンとしては、どれくらいのレベルというか評価なの? 本人は安いっていっているけど、入手するのに手間がかかる演奏とか、聴く時間とかが、なんかもったいないので 「お買い物ガイド」「名盤トーナメント」も必要だと思うんだが フルトヴェングラーは107枚のBOXが出たりもして、ファンは大半の録音を持っているからガイドなんか要らんよ。 タワレコ限定の80枚のは高い割に網羅性はイマイチなので買わないが。 あれがTAHRAで出たもの全部のセットなら買ったかもしれんが、それ以外も混ぜてるし。 徳ちんは自称指揮者というか作曲とかもサッパリ目が出ないのでせめて趣味のフルトヴェングラーで売名できないかなと一生懸命、頑張ってる人なんよ。応援したれよ。 フルトヴェングラーのスタジオ録音で凄いのってあまり無くね?と思うので、演奏会の放送を録音したもので良い気がしている。 >>652 まぁフランス音楽なんかクラシック畑からはバカにされてるからね 彼女といちゃつきながらシャンソンでも聴いてドピュッシーしなさいw 6つのオーケストラで常任指揮者を務めている作家だぞ フルベンが残した自作の交響曲第2番は駄作 DGはよくあんなものを録音許可をしたよ >>659 その6つのオーケストラって全てアマチュアオケだけどな しかも実際に活動が確認されているのは中高生のアマチュアオケの指導のみ もはや中学・高校の先生レベルw 二回ほど商業誌であるモーストリに書いてるから立派な作家だといえよう。バカンダみたいなアマチュアのシロートとはレベルが違うw ほっとけばいいのにねえ(笑) つかバカンダってなんだ?これが正体なのか? >>666 バカンダとはコイツ http://blog.livedoor.jp/smj_ohkanda/ つーか、こんな奴と徳岡先生じゃレベルが違うと言うとんじゃろ。 このタコが! >>667 ちょっ! あれ?この人料理だけではなく音楽もあれこれ書くんやーと思うたら、料理の鉄人の人じゃないやんけ(笑) >>661 言うほど中高生のオケに常任指揮者なんかおるか? コンビニ前のウンコ座りかよ 漏らしてんじゃねーか? 無茶苦茶お漏らしアホバカの臭いするで ま、精神病、怖いもん無しやな オェー ぼくはフルトヴェングラーの田園は好きではない ワルターの田園が最高に美しいと言えよう でもワルターは天才ではない フルトヴェングラーは天才と言えよう 宇野功芳w 【訃報】「ダイソー」創業者の矢野博丈さん死去、80歳…トラックの移動販売から業界首位に成長させる [香味焙煎★] https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1708331231/ 昔(10数年前)、フルトヴェングラーのベートーヴェンのCDが売られてた記憶が 全部買ったわ フルトヴェングラー名演集 その前には若き日のカラヤンなんてのもあって貴重だった ナチスドイツの英雄、それがフルトヴェングラー ヒトラーにも好かれた フルベンの「運命」の決定的特徴何?好き嫌い別にして >>680 @ テンポの大きな変動 A 休符が長めになることが多い まあ既にお聴きかもしれないが、1947年5月27日録音の 運命の第1楽章の提示部だけでも、他の指揮者と比べてみると 分かると思う。 まあでも「決定的」とまでは言えないかもしれない。 同時代の指揮者って、フルヴェンほど極端ではないが、 ややそういう傾向があるように思う。 ドラゴン田中さん問題は演奏芸術にも起こりうる…のだろうか >>681 >>682 ヤッパこんな事しか言えないだな。 >>685 そこは「言えねえだな。」だろう? んだんだ。 19世紀スタイルでは解釈を超えて改変など好き勝手やったという品 フルヴェンは同年代の指揮者の中では原点重視側だな その頃の指揮者ではモントゥーが一番楽譜重視、つまり改変しない人だと思います >>687 19世紀の指揮者は「好き勝手に」改変はしていない。 ベートーヴェン第9の改変の元祖と目されている19世紀のリヒャルト・ワーグナーだが、 彼は「もし今の楽器がある時代にベートーヴェンがオーケストレーションしていたらこうしただろう」と想像して改変している。 決して「おれのこの管弦楽法の方が盛大に鳴って原典を超えるだろう」などと考えて改変した訳ではない。 好き勝手に改変したのはグスタフ・マーラー、メンゲルベルク、ストコフスキーなど、20世紀前半から半ばにかけて活躍した指揮者。 彼らには及ばないが、その意味ではトスカニーニもフルトヴェングラーも、ワインガルトナーの改変提言をほぼ全面的に受け入れるなど、まあ改変派だ。 つーか、大谷の何が凄いの? 球遊びが上手いだけじゃねえか。 フルトヴェングラーは稼ぎが凄いのと、女遊びも... >>694 そうだよな あの嘘つきハゲの現状を見れば明らかだよな 嘘がバレて日本での小さな仕事も無くなった しかも嘘つきハゲは今や台湾にとって疫病神でしかない 嘘つきハゲが台湾に移住してから台湾は大地震だらけ あのレベルの都市でクラシックやオーケストラの盛り上がりがあの程度ってのはなんか闇を感じるよね 大口のスポンサーもいる(いた?)はずなのになあ >>699 台南なあ 広響レベルのプロオケがあっても何の不思議もないんだがな 発展を阻害する要因があるんだろうね >>701 嘘つきハゲの嘘がかつて短期間だけでも通用してたような文化的に低レベルの所だから、広響レベルのオーケストラなんて育つワケがない ヤフオクのリマインダー機能が廃止されるとさ これからは手検索だよ… キング・インターナショナルから出る予定だったTahraのFurt1014-1015(初出のフルトヴェングラー)のリマスター版が発売中止になった。 あそこは音割れを修正する技術を持っていて、49年ザルツブルク音楽祭の魔笛が出た時には一驚したものだ。 しかし、さすがのキング・インターナショナルも、Furtwängler Inedit の運命のスクラッチノイズとラヴェルのピッチ異常には降参したのかな。 【板潰し対策】運営が頼りないので全板のスレ一覧を保管しました 1 http://agree.5ch.net/test/read.cgi/operate/1710883266/ どうせこうなると分かっていたから2024/03/20時点のスレ一覧は確認できるようにsubject.txtが保管されている 外部サイトのリンクだし拡散も簡単だから荒らしが手を出す事は不可能 あなたがどこの板の住人かの言及が無いがおそらく全部の板が含まれている 時間を掛けて一本も忘れずに立て直しはできる 桂木理沙コピペが板を汚染しているが アレのコピペは本人が公開してる経歴まとめるだけでできそうで簡単やね 本人が公開してる経歴だから誹謗でも中傷でもないし read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる