現代音楽を批判してはいけない
音楽は音の芸術。
個人の芸術を批判するのはお門違い。
人の芸術を批判するような奴が音楽を語っても、何の説得力もない。
彼らはただ、音楽における表現の可能性を模索しているだけ。
彼らの純粋な音楽への好奇心は、つまらない偏見で音楽を批判する奴のそれより、ずっと美しい。
彼らの音楽が、いつか人々の心にも通じる日が来ることを願ってやまない。 当たり前だ!
神聖な現代音楽を批判することはありえない! 蕨のフィリピン人一家不法滞在:デモめぐり、市民団体が小競り合い /埼玉
長女に在留特別許可が認められた蕨市のフィリピン人、カルデロン・アランさん(36)一家の処遇を
めぐり、家族全員の国外退去を主張する市民団体約100人が11日、市内でデモ行進を行った。
JR蕨駅近くの公園で、このデモを「外国人排斥」と非難する市民団体と小競り合いになり、
非難していた男性(37)がデモに使う横断幕を奪ったとして蕨署に窃盗容疑で現行犯逮捕される
騒ぎもあった。
ソース:http://mainichi.jp/area/saitama/archive/news/2009/04/12/20090412ddlk11040188000c.html
動画:http://www.nicovideo.jp/watch/sm6734086
音楽批評は言葉の芸術。
個人の芸術を批判するのはお門違い。
人の芸術を批判するような奴が音楽批評を語っても、何の説得力もない。
彼らはただ、音楽批評における表現の可能性を模索しているだけ。
彼らの純粋な音楽批評への好奇心は、つまらない偏見で音楽批評を批判する奴のそれより、ずっと美しい。
彼らの音楽批評が、いつか人々の心にも通じる日が来ることを願ってやまない。 音楽批評って芸術だったのか。
だからあいつらは自分では何も生み出さないくせに、他人をいちいちあげつらうのが得意なんですね。 日本の音楽批評は専門家じゃない素人がやるのだから怒りたくなるよ。 10 名前:7分74秒 :2009/04/18(土) 03:16:00 ID:GjCwedEe
日本の音楽批評は専門家じゃない素人がやるのだから怒りたくなるよ。 日本も海外も大学の博士か教授だと肩書きのせいでかえって質が落ちる。
それだけで食えるのでかえって努力し続けられないんだよな。
そういう肩書きのない人のほうが作曲はがんばっているし知識の質も遥かに高いね。
作曲で全く食えないのでもっと良くしようと努力し続けて学び続けるのが質の高さとなって現れるらしい。
>>12
博士とか教授とかいう問題ではないと思う。
例えば野球中継の解説はみな元選手。
音楽だって演奏家や作曲家が評論するなら良いが、
演奏も作曲もしない評論専門の奴がいるってのはどうなの?
選手として試合をしたことのない奴が
スポーツ中継で解説をするなんてことはあり得ないよね。 博士でも、教授でも、腕に覚えがある奴でも、批評のみの奴でも、
誰でも好きなように解説したらよい。皆が批評して何が悪い。 批評家は 作家のなりそこないがなるものだと
軽蔑されたのはだいぶ前。
今は 批評をことさらおとしめることもない
言論統制は遺憾 素人の批評家は知ったかぶりして専門書に書くな!
すぐにことがばれるぞ! 音楽批評とかいって、ただ好き嫌い語ってるだけじゃんww
口先だけじゃなくて、いい音楽のひとつでも書いてみろよw もちろん楽器ができないから一般大学に行ったのだ。
彼らは口先以外はだめだ、廃人だ! 一時期(そして今も)芸術音楽と商業音楽に明快な区別と絶対階級差を打ち込みたがる
人がいるが元々日本は欧州と違い階級差や区別が緩やかなのを好む気質がある。
芸術文化のシーリアス性が欧州と同じだったら海外でもてはやされる商品として扱われた
軽芸術作品はまったく生まれなかっただろう。
少しずれるがオペラも芸術至上主義から「ウケてなんぼ」の舞台芸能側にすりよっていいはずだと
私は思う。 芸術至上主義だから
受けなくてもいい
分かる人が分かればいい
分かる人一人もいなくてもいい
じぁ その作の価値なり評価はどうして決まる
作者以外認むる者なし でいいのか 結局残るんだな。
忘れたころに少しずつポツっと初演される。
でもそれが長く続くのだ!
同僚の作曲家よりも専門の音楽学者の評価が高いね。
同僚になると足の引っ張り合いでエゴのむき出しに終止するだけね。
>>25それって音楽学者の飯の種になるのが現代音楽の最終目的・・・て事なのか!?
それはいくらなんでも音楽を虐げる行為としか思えぬ。 >>25
>結局残るんだな。
>忘れたころに少しずつポツっと初演される。
>でもそれが長く続くのだ!
残念ですが残りません。再演が長く継続的に行われるのは一握の作品のみです。 「マタイ」のように100年経ってから掘り出されて演奏される傑作もあるよ。 というような歴史もあるので
今評価されないからといって残らないとは限らないし
どんなに駄作に見えても
根こそぎ葬り去られることにはならないでしょう
(何らかの形で残る)
ブルックナーやマーラーなんかも戦前には日本ではマイナーで教科書にも載ってなかったね。
戦後はこれがないとオーケストラはやっていけない時代になったね。
今はナクソスなどが廃れた音楽をどんどん掘り起こしているね。
楽譜ももっと掘り起こせば良いね。 >>30今はナクソスなどが廃れた音楽をどんどん掘り起こしているね。
>>30に都合の悪い音楽が出て来たらどうするの。
現在先端とか潮流とか前衛とか呼ばれるものを無価値にするものがでてきたら・・? >>32に都合の悪い音楽が出て来たらどうするの。
現在先端とか潮流とか前衛とか呼ばれるものを無価値にするものがでてきたら・・?
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例えばどういうものだろう?今までの音楽史での例を出してくれると助かるのだが? 無価値になったためしがないね。
ジェズアルドやクリストウは最近掘りこされた。 批判の無い世界の現代音楽はどんなものなのだろうなあ。 批判に常に明確に答えて初めて現代音楽は残るんじゃないか? でも、現代音楽を批判してはならないとスレタイにあるが。 でも げんおん って 批判しにくいなあ
こんなもんくだらん! じゃ餓鬼のバリゾーゴンだし 音楽を言葉で言うのはいつも難しいもの。
作曲家とかそういう音楽を「話す」(書くだけじゃない)専門教育を受けたものだけが明確に言える世界だね。
現代音楽は、「音苦」か良く言って「音学」だと思っていたが、
あるとき、某作曲家の自演を聴く機会があって、まあ、確かに、作曲家本人にとっては、音楽、なんだろうな、と感じた。
でも、別の作曲家に、「自分には、現代音楽は、猫が勝手に楽器の上を歩いて、結果として音が出たのを譜面に起こしたのと何ら変わりがなく思える」と言ってみたら、
その作曲家の先生は、「それも立派な現代音楽だろう」と言っていたので良くわからんが。 例えを現実であるかに解釈して揚げ足を取る、
こういったウィットとデリカシーの欠如がドイツ・オーストリア風味の議論の進め方ですか。 「猫の歩みを譜面」にしたらそれは偶然的なテクニックの曲になるだろう。
どこが問題なんだ? >>46
その曲の印税からぬこの餌代が賄えないこと。 >>43
>猫の歩みを譜面に
それはチャンスオペレーションと言う技法だ。
サイコロを降って音楽を作るような技法のことだな。
現代音楽を否定する人は死んでくださいおねがいします 現代音楽を極めた者にとっては、もはや音を鳴らす必要などないのだ。
将棋板と駒が無くとも空で将棋がさせるように、現代音楽も、楽譜を
読めば、そこに盛り込まれた形式の美、進行の妙、不調和音による予定調和を
感じ取り、味わい尽くすことが出来る。そうして満足するであろう。
音は所詮表面的なものであって、現代音楽の表すひとつの側面にしか過ぎない
のだ。真の現代音楽は、形式と構成にあるので、それがわかれば音など不要。
ベートーベンのように、あるいはハードロックを聴きすぎてツンボになった
者であっても、音楽をあじわって感じて、感激することができるのだ。 シュネーベルの「モノ」が本を見て音楽を感じるのであって、
音に出して聴くべき音楽はないよ。 音よりかけ離れた音楽。
脳内だけの音楽?
スコアをハードメモリとし自らの脳をCPUにした音楽?
これこそ真の機械音楽(ムジカマキーナ)
歴史改変SFにそんなのあったな。 >>58
鳥口「狂ってる!」
中善寺「いや、美馬坂さん。それは貴方の妄想だ。人の意識は脳だけで成り立つものじやない。」 1階席ど真ん中・・・自殺したくなった。
2階席センター・・・ちょうどよかった。