21世紀にもなって、ディスコなんて実に時代遅れ。
ディスコという風俗は時代遅れなのは間違いないが、ディスコサウンドは時代遅れではない。 確かに、ディスコサウンドは今も昔も、これからもあり続けるよね! >>1
そのスレタイのほうが時代遅れだと思うがww
現在もヨーロッパではDISCOが主流だし。 アリの巣コロリってあるじゃん。
蟻の行列にポンと置くと、一瞬ビックリして列が乱れる。
邪魔だなと言わんばかりに迂回する列が出来る。
そのうち好奇心旺盛な一匹がアリの巣コロリに入る。
そいつをマネして何匹も入る。
毒とも知らずにツブツブを運び出す。一匹が一粒づつ。
いつのまにか行列はアリの巣コロリが折り返し地点になる。
黄色い粒と黒い蟻が作り出す模様は綺麗で見てて楽しい。
一匹が一粒づつ、丁寧にせっせと毒の粒を運ぶ。
せっせと、せっせと、せっせと、せっせと。
蟻さんって働き者だなと思う。俺も頑張らなきゃなと思う。
次の日、あれほど沢山いて俺を困らせた蟻が一匹もいない。
ほんとにいない。探してもいない。泣きたくなった。
このレスを見た人は4日後にあなたの大切な人がいなくなるでしょう・・・・
それが嫌ならこのレスを5つの板にコピペしてください。
信じるか信じないかはあなた次第です。
「ディスコ」という名前が「クラブ」という呼び名に
変わっても、やってる事は同じ。
ましてや現在進行形の音だけ流す「クラブ」ならまだしも、
曜日によっては「80sユーロ」流す店もある。
>>1
どこが時代遅れなのかkwsk説明してくれないか? >>67の言う通り。
呼び方が変わっただけ。
結局、『クラブ』も『ディスコ』も同じなんだけど、
『ディスコ』という言葉が古臭く感じるようになって、猫も杓子も
『クラブ』と呼ぶようになっただけ。
昔、『クラブ』と区別してた店は、主に音楽性に重点を置いた店で、
『ディスコ』と区別してた店は、娯楽性に重点を置いていた店とでも言おうか。
今は、どこでも『クラブ』と言ってるが、昔の区別の仕方すれば、
内容的には『ディスコ』の店がほとんど。 いまクラブよりもディスコの方が注目されてんじゃないんですか?
クラブの方が古く感じません?クラブというものはオールジャンルに
対応できない引きこもりの集まるとこというイメージがあるんですが・・・ >>69
オールジャンルって、もちろん言葉の意味はわかりますが、
私が経験した限りでは、オールジャンルと謳っても2通りのパターンが
あるように思います。
ジャンルに拘らないという意味においては、どちらも同じですが、
一つは、いろんなジャンルのハイセンスな曲をかける場合。
もう一つは、いろんなジャンルのミーハーなヒット曲をかける場合。
オールジャンルと言ってしまえば、どちらもオールジャンルに違いは
ありませんが、力量のないDJのオールジャンルは、大抵後者です。
あなたの言うオールジャンルとは、具体的にどんなものなんでしょう?
あと、引きこもりは、家から出ないでしょ。 DISCO
ユーロ、ハウス、テクノ、ロック、ポップ、ヒップホップ、ダンクラ、
R&B ETC・・・などを一路線で流すこと。
繋ぐ時にいかにしっくり来るようにつなげられるかがDJの力量がかなり問われる。
クラブは上のジャンルのどれかに絞りそれだけで構成を組むというもの。
ジャンルが同じということは繋げるのもかなり簡単になる、要は繋ぎが苦手なDJと
他の音楽ジャンルに順応できないお客が集まるとこでは?
つまりディスコではお客みんながスターになれる所だと思います。
>>71
繋ぎの技術程度のことで、DJの力量どうこうという事にはならないですよ。
基本的に日本人DJは、大抵繋ぎは上手いし。
クラブといっても、必ずしも1ジャンルではなく、オールジャンルもありますし。
正直、いろんなジャンルのヒットメドレーをやっちゃうのは、
DJとしては、非常に簡単なことです。
同時に、非常につまらないことでもあるんです。なぜなら、簡単だから。
お客さん側も、感度の高い人ほど、それでは物足りなくなる。
知らない曲が多いけどイイ曲かけるわぁ〜って踊ってる人に思わせるのが
DJの使命でしょう!?
ヒットメドレーかけて得意になってるDJは最低だよ >>73
札幌はそんなDJばっかだよ
(´・ω・`)
いつも同じ選挙区 ヒット曲ばかりではいけないでしょうが、一般の人(あまり行き慣れてない方)を取り込むには、お馴染みのヒット曲は重要ではないのでしょうか?
逆説的に言えば、ヒット曲をうまく使えない方が増えてしまったが為に、一般の人が足を遠ざけてしまって現在の姿になった
バカみたいにヒット曲目白押しでは、常連や音楽に詳しい方は敬遠しますが、適度なら住み分けができると思います
正直言って、音楽に詳しくない方が大半なのですから
それに、楽しむ場なのですから、あんまり難しく考えない方がいいんじゃないかなぁ
>>73
>知らない曲が多いけどイイ曲かけるわぁ〜って踊ってる人に思わせる
そうですよね。そう思わせるように選曲を組立てたり、
そう思わせる効果的なmixしたりすることがDJにとって重要ですね。 補足
ディスコと区分される店には、
>>76で言っている意味でのいいDJは、とても少ない。 >>77
ディスコでのDJってのは、おどらせてなんぼ!!客に合わせてなんぼ!!
なのよ。客に合わせてるとみんなストレス感じるから私物のレコード買って
ディスコで客に合わせて選曲してつなぎして、バーとかクラブで
実験的に好きなジャンルの選曲してたDJは結構多かった。
いまだに年寄りディスコ上がりのクラブDJは非常に多いんでわかるんじゃねぇの。
GOLD/MIX/cave/yellowのオープン当初の中心DJはほとんどディスコあがりだよ。
まあ、その前からクラブの下地の店はあったけどね・・・。
まあ、海外でもロンドンのministry of soundもパリのqueenやrexもイビザの
オオバコもクラブといいながらのディスコだけど思うけどね。
営業のスタイルとDJが箱DJから日替わりDJ変わっただけ。あと販促やイベントブッキングに
オガナイザーが入っただけ。とおじさんは思うけど。 ディスコDJって結局は客のいいなりにレコード回す音楽係って事ですね? ↑そう捉えても間違いではないよ、でもいいなりとはちょっと違うかもよ
客層に合わせて空気を読むのもDJのセンスだけど、客に心地よい新鮮な風ふかす
のもDJのセンスだよ。 若者文化に無知なくせにやたら気取ってるヲタ→ディスコ
好きな曲があまり流れずに残念な日もあったけど、
それはそれで楽しかった週末・・・・
またディスコって呼べる所で遊びたいもんだ。 >>81 昔は本場で流行っている・流行りそうな曲を先を競って流したり
ステップや踊り方を流行らせたり、レコードを買ってもらう様に仕向け
たり、トークで盛り上げたり・・・で相当大変かつ前衛的な職業だったの
ですがね。
今ではレコードを買う事もなくなり、本場で流行っている情報はネット
で直ぐに手に入るし、喋ると「ウザイ」と客に言われるし・・・。
単なる「皿回し」になってしまった様な気がしています。
昔のディスコ⇒女性同伴でないと入場できなかった、一人なんて有り得ない
今のディスコ⇒おっさん、おばさんが一人で入場
俺は曲詳しくないし女性同伴だからミーハーなヒット曲連発に
チークタイム長めにとってほしい。踊りも興味ない。美人とイチャイチャ
しながらチークしてナンパおやじに見せつけるんだ。
内心「俺もオヤジだがなオマエと違っていつもこんな美女と一緒だぞ」
ってね。 ディスコでかかっている曲って何ですか?
マイケル・ジャクソンとか小室、パフィームの曲なんでしょうか。
僕は35で夜遊び童貞なんですが、
やっぱりこれらの曲が一番踊りやすいと思います。自宅で一人踊っています。
マイケルの記録映画見たら若い人がマイケルの曲で踊りまくってるの見て
やっぱり古くなっていないんだなとうれしく思いました。
皆さんは「ビート・イット」「ビリー・ジーン」「スリラー」をどう思いますか。
全盛期のディスコはチョトお洒落な人やいい女&男が集まる所で人口も店の数も
少なかったですよね 曲も20分ローテーションでダンクラ R&B チークとお客の
雰囲気見ながら営業DJが頑張ってた
そこから音楽の細分化と打ちっぱなしのお金の掛かってない内装の店が
カッコいいとhiphopやレゲエのクラブが出てきて流行はそこに流行は
流れディスコが衰退していったんだけど 最近のディスコ復活は
一番大事なカッコいいが付いてきていない 大人の店でも構わないが
ネクタイはずしたおっさんが騒ぐ店ではなくカッコいい大人が遊ぶ店
になれば夢が持てるんだけどね。。
昔のディスコっていわれてるほどファッションに厳しくなかったと思う。
特に地方都市はね。若者がお金持ってないし、稼ぐ手段もなかったから。
先端ファッションの客の多い店は、六本木と麻布、渋谷だけだったと思う。
全盛期って具体的に西暦何年ごろの事?
80年より前の人達? どこを日本のディスコの全盛期と呼ぶのかは、その人の経験に拠るでしょ。
もともとフランスで生まれたディスコティークが、
ヨーロッパ→アメリカ→(ヴェトナム、タイ)→日本なんだから。
()にしたのは、そっちが本流だと考えてる人もいるから。
ディスコってもともとは売春婦と兵隊が知り合う場所。
1950〜1970年代のヴェトナム、タイではそういう場所だった。
それが米軍基地の近所にも持ち込まれた。
沖縄や福生のディスコがその系統。
それとは別にアメリカ→日本と直で持ち込まれたディスコもあった。
官製と民製の2系統あったということ。
タイのディスコティークはいまだに売春婦が客を探す場所。
で、1973年に新宿の東宝会館にオープンしたビッグトッゲザー、
六本木エンバシーとか、当時もいろんなディスコがありました。
髪はアフロ、カツラじゃなくて自分の毛でやるわけさ。
しかし、当時の散髪屋さんじゃできなくて、やっぱり横田基地の近くまでアフロにしにいく。
服も横田の近所で買い求めるわけさ。
ブラザーになりきらないといけない。
スクエアビルのキャステル、ファイブホース、
ジャパニーズブラザーになりきって踊る。
そうこうするうちに「サタデーナイトフィーバー」が大ブーム。
そしてスクエアビルにフーフーができた。
これが1979年。
第一次の頂点はここ。
80年代になると大貫憲章がツバキハウスでロンドンナイトを始めた。
クィーンとかかけられちゃって、何だこれは?とそういう雰囲気だったよ。
あれはすごかったね。
火曜日の夜なのに満員なの。
あとね、今は音楽評論家やってる伊藤政則もDJやってた。
その後だよ、麻布にマハラジャが出来たのは。 ディスコの時代は日本中の若者が洋楽を楽しんでいたからね ディスコも自然に盛り上がった。今は音楽の衰退も有って、日本中の若者が洋楽を求めてるって感じじゃないからね。若者も少ないしね。クラブ行ってる人はある意味マニアだよ 笑 普通はカラオケでしょ 笑 80年代後半辺り迄ディスコは六本木、渋谷、新宿、湾岸だけでも30店舗近くあったかも。レゲエがディスコでかかって盛り上がったってのは、基本的には90年代前半の衰退期です。全盛期ディスコは、もっと違うジャンルが流行ってました。 全盛期はソウル・ブラックミュージック・ファンクを主体にミュンヘンサウンド
・白物ロック・ポップスとジャパニーズ&おバカディスコサウンド少々と言った
レシピでしたね。 新宿はタケノコや日本人有りの10代が楽しめるミーハー選曲、MC多し)、渋谷は学生選曲、六本木は大人な選曲で、それぞれの世代がそれぞれの街に繰り出してました。昔は、雑誌Fineなんかでも、渋谷、新宿、六本木、湾岸のディスコを区分けして特集してましたね。懐かしい。
神楽坂にあったツインスターの従業員の斧江圭子。
いいかげん早く死ね。
お前は被害者ではない、加害者だ。
この社会のダニが。 _
|O\
| \ キリキリ
∧|∧ \ キリキリ
ググゥ>(;⌒ヽ \
∪ | (~)
∪∪ γ´⌒`ヽ
) ) {i:i:i:i:i:i:i:i:}
( ( ( ´・ω・)、
(O ⌒ )O
⊂_)∪ 80年代のディスコを支えたのは、かっこ悪いことへの恐れとコンプレックス
実は体をくねらせて踊ること自体が楽しいのではなくて、カッコ悪いことから
離れたところにいると思う自分に酔っていただけ
つまり今になってみると、かっこわるいことの極致がディスコに行くことであった
その後のパラパラブームは少し違ってきていて楽しいという要素が入ってきていて
少し本当の踊りに近づいていた
ブレークダンスはもっと踊って表現する楽しみが多くなっていった リンク
「最先端の録音技術で製作したのに、今時カセットテープとはな。
CDやDATなどで出して欲しいよ。まったく…。」
渚カヲル
「商店街の機材が古いですから仕方ないですよ。」
カセットテープを再生した途端…。
リンクが歌う「津軽海峡・冬景色」が大音量で流れるのだった。
渚カヲル
「リンクさんが余暇で歌ったカラオケをミックスダウンしてしまったようだ!」
リンク
「自分で聞いてもうるせえ〜!なんて声だ!」