統計ソフトRのスレを探して検索中にこのスレを発見した。
齢60弱の爺だが、約30年前に勉強した置塩・森嶋が語られて
いるのに懐かしくなったので、爺のうんちくを一くさりさせてくれ。

労働の価格とは賃金のことなので、
自分の労働時間>自分の労働時間で稼いだ金で買える商品の労働価値
ならば搾取があるということ。
例えば、8時間働いて買える商品が直接間接に6時間の労働
で生産できるなら、そこに搾取があるということだ。

ここで直接間接がミソで、商品の労働価値を定義するのに
両氏は連立方程式を使ったわけだ。
この定理は当時は画期的だったが、複数期間使える資本財が登場すると
「結合生産」というレトリックを使って問題を解かなければならなくなり、
人為的な定理のようになったわけ。
その後サービスをどうするなど、様々な問題を解くのに概念の拡張につぐ拡張を重ね、
末期は新古典派の現実乖離型数理経済学と、so what? 視点から変わらないようになった。
「法則」の維持のみが自己目的化されるわけだ。
天動説が惑星の動きを説明するのに様々な運動を追加したようなものだ。

それに、搾取の問題を除いては、外生的に均一利潤率を与えるモデルの単純さ、
競争の分析ができない、マクロ経済的問題を初期のケインズ・カレツキーレベル
を超えて取り扱えない、金融資産を扱えない、など限界だらけだった。
とうことで、一時期の興奮は終わり、今では便所虫みたいに、
石をはがさないと見つからないようなマイナーな存在になったわけ。

一言付け加えると、利潤率低下の法則は経験的にもっとも大事だね。
イノベーションがない経済は投資が不足し必ず停滞している。日本がその例だ。
でも、この法則はマルクス経済学の専売特許ではなく、リカードからの借り物だ。
また、リカードの限界原理の一方の子孫である新古典派も資本の限界生産力の低減法則を持っている。
現実の経済で大事な事実は学派を超えて無視できないということだ。

とあれ、ひとくさりはこれくらいにしてこの先を楽しませてもらうわ。