マルクスもおそらく気づいていたように宗教には政治的に見て二つの側面がある。

一方は極めて保守的な側面で、現在でいう右派や保守のイデオロギーに奉仕する面。
べつの言い方をすれば、旧い仕来りや身分社会を権威づけてそれを正当化し、
それによって人々の精神にまで階級支配を行きわたらせる効果を持っているもの
としての側面。
こうした宗教の階級支配的側面は古代国家の統治技術に採用されて国教にまでなった。

もう一方は改革的革新的な側面で、
現在でいう左派のイデオロギー(主として平等主義)に奉仕する面。
こちらはどちらかというと、古代文明開化以来の宗教改革的な哲学をもった新興宗教、
仏教にはじまり、キリスト教やイスラム教の中に見いだされるもので
宗教一般に見られる傾向ではないかもしれない。

もちろん、仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教には階級支配に奉仕する
国家宗教として君臨した面もあった。これらの一見して人間の平等と解放を謳う面がある
宗教までが保守主義的なイデオロギーにどう奉仕するようになったかをマルクスは分析している。