キヨサキ押しの人が 企業も大きくなれば自ずと社会性を帯びてくると言及していたが
確かにそうだがそれでは足りないのだ 
企業の社会性とはあくまで営利団体でギリギリまで搾取する体質でその範囲内での話しだ
それ故 利益とは少し距離を置いた組織が行政を行い企業を規制する必要がある

古代では宗教の道徳を規準に法律を作り商人を規制していたが 近代では宗教的道徳だけでは
対応できなくなり政教分離が必要になった

例えばイスラム教では金で金を稼ぐのは禁止にしているが それでは銀行や株が成り立たない
だから現代のイスラム銀行では金利は無く 代わりに共同経営で利益を分けるシステムになっているが
やはり宗教は偏っている感が拭えない 素直に金利を認めた方がスマートだ 客観性が足りない

マルクスの資本主義批判は現代でも通じる鋭いものではあるが その解決策は偏っていてお粗末なものだった

ハイエクなどの自由主義も投資家や能力のある者に偏りすぎている いずれ暴動が起きるだろう
企業が社会貢献すると言うより企業による社会支配がアメリカでは進行している

資本主義や社会主義と極論を言っていた時代はもう終わっている
投資家も金利も大企業も必要だし社会福祉も必要だ
今はどうバランスを取って共存するかを考えるのが経済学の仕事だ