言葉が読めれば、じゃあ理解できてるかというのも大いに怪しい。

柳田国男の何でもいいんだけど、たとえば子供の遊びについての本を読む。
たった100年前には残っていた遊びが、現代ではことごとく消えてることに驚く。

我々は夏目漱石の文章は読めるが、
果たしてその文学の全体をどれほど理解できてるのか
非常に疑わしい。