そういうことじゃないと思うよ。
英語力に比べて日本語力が洗練されていなかったということじゃないかな?
例えば時にどう見てもその訳語はないでしょというものを使う時がある。

例えば『テーマ別』 10-2 に
His eyes were blue and deep set and had an anxious look about them as if he found the world a bewildering place.
目は青く、落ちくぼんでいて、どこか不安そうな様子がただよい、この世を恐ろしい場所だと思っているようだった。
というのがある。

bewildering は「まごつかせる,当惑させる」という意味で、「恐ろしい」という意味ではない。
「不安そうな様子」というのは、恐ろしくてそうなっているのではなく、周囲の世界に困惑しているような表情を描写した表現なのだが、
こういう訳語を不用意に当ててしまう。
「ニュアンス」というものに多少鈍なところがあったのではないかと思う。
特に初期の著作になるほど、おかしな訳語やコロケーションが多かったのは、柴田耕太郎論文の指摘する通り。
「構造」に鋭く、「意味の微妙な違い」に弱点を見せていたということじゃないかな。
何にでも完璧な人間などこの世にはいない。