【南画】文人画を語るスレ【南画以外】 [無断転載禁止]©2ch.net
東洋の伝統文化である、文人画について語りましょう。
対象は教養を反映した写意画全般。
対象となる人物
@中国(系)の文人
王維や米芾、徐渭、八大山人、揚州八怪、趙之謙、呉昌碩、王一亭、斉白石。
彼らに師事あるいは影響された若狭成業、西晴雲、藤原楞山、宅野田夫といった
日本人、日本で活躍する馬驍、李庚。父が中国人の卓吾。
潘天寿の来日時に影響を受けて画も始めた書家の殿村藍田など。 A日本の南画家
池大雅、祇園南海、彭城百川に始まる南画諸派の画人。
長崎派中の木下逸雲、鉄翁。与謝蕪村。浦上玉堂。田能村直田。山本梅逸。
中林竹洞などの諸々の系統。
谷文晁門下の一部(いわゆる南画系でない者も多いため)。
近代に入ってからは山田介堂、奥原晴湖、安田老山、菅原白龍、長井雲坪、
野口幽谷、滝和亭、吉嗣拝山、森琴石、高森砕厳、河村虹外、服部五老、
田近竹邨、村瀬秋石、後藤秋崖、児玉果亭、福田浩湖、田中栢陰など。 B南画を描いたが南画家でない者
頼山陽などの頼一門のような学者、医師、加藤梅翁のような武家、雲華大含のような僧侶。
西村清狂や富岡鉄斎は、『芥子園画伝』の手本とは異なる、所謂南画らしくない画を描いた文人画家。
C写意派だが南画ではない者
白隠、仙崖、風外などのいわゆる禅画。禅僧以外のものも含む。
D漢文の賛などを前面に押し出さない、あるいは漢文の素養とは無縁の者。
武者小路実篤、榊莫山、比較的近年の英文学等の素養を持った文人の画。 一応、例として挙げてみました。
小室翠雲(1945没)、新井洞厳(1948没)、松林桂月(1963没)などが「最後の南画家」
と呼ばれることがありますが、田近竹邨門下の草刈樵谷(1993没)、田中栢陰門下の
田能村直外(1997没)がいますね。現在でもいらっしゃいます。
自分が子供の時見たことがある、近所にある、所蔵しているといったお話でもなんでも
いいので、南画や南画とは言えないが写意画が好きな方宜しくお願いいたします。 >>5
どうもありがとうございます。
今は岡田閑林の画幅を掛けているのですが、沈南蘋風の装飾性の高い絵を描く人ですね。
比較的簡略な絵の方が南画的です。いずれにせよ、品性を感じさせますが。
孫の鶴川は花鳥画にややけれん味があり、文晃系らしさを感じて面白い。
祖父の閑林もそうですが、水墨だとたまに日本画らしい日本画といった作品も残しています。
山水はかなり(常識的な意味で)いい物もありますが、知名度は低いですね。 >>6
岡田閑林を知らなかったので調べてみましたが、
文晃の門下で渡辺崋山が友なんですね。
そういえば先日、東京ステーションギャラリー「川端康成コレクション
伝統とモダニズム」に行ってきたのですが、渡辺崋山の桃花山禽双孔雀図と
浦上玉堂の凍雲篩雪図が特に印象に残りました。
やはり凍雲篩雪図は、底知れぬ寒さと枯れ切った雰囲気を放っていて迫力がありました。 >やはり凍雲篩雪図は、底知れぬ寒さと枯れ切った雰囲気を放っていて迫力がありました。
あれは日本画の中で最高峰だと思います。世界に誇れる絵でしょう。
日本人ですら浮世絵(版画ばかりで肉筆はなおざり)以外の江戸絵画をよく知らない現状が嘆かわしい。
崋山はいい師匠だったのでしょうね。授業料が払えず師を転じた苦労人でしたが、本人は弟子に優しかった。
破門した白川芝山から金子金陵に転じたことで、崋山はさまざまな画風を飲み込めるようになっていたと思いますが、
弟子の福田半香や平井顕斎の画を見ても、煩くなく個性を伸ばしていたのでしょう。
桜間青崖に至っては、師匠に怒られて飛び出していったので心配した崋山が町中を探してくたくたになって帰宅した
ところ、すでに青崖は帰って酒を飲んで寝ていたという逸話もある。それで破門しなかった寛大さは偉い。 水墨・淡彩画というのは面白いもので、格別力を入れなかった作品が良作になることがあり、
更にその中に格別な作品が生じることがあります。
『凍雲篩雪図』はまさにそれで、おそらく玉堂はあれを描いた時、史上に残る名作を描いて
やろうとは思っていなかったでしょう。
だからこそ生じた結果です。邪気や俗気が混じっていない。 >邪気や俗気が混じっていない。
その通りだと思います。
凍雲篩雪図に関しては、自分の古美術の先生(御歳90前)から、
大阪万博ではじめて見て、生涯で一番感動した画だと聞いていました。
また、川端康成もこの画に心酔していたんですよね。
ただ自分は、多分20歳代の若さでこの画を見ても何にも理解できなかったと思う。
アラフォーになって、ようやくその奥行きを少しだけ理解できたというのか。
文人画は、ある程度年齢を重ねないと理解できないところがありますね。
渡辺崋山が最後に自殺した悲哀なんかも、ようやくわかるようになりました。 私は学部生時代までは南画はちんぷんかんぷんで、円山四条派ばかりでした。
しかし院で文人についていささか研究し、20代後半になると南画といいますか
写意画が大好きになりました。
自分が見ているものは、その時代の自分を反映しますね。
岡本太郎は「南画とか山水画とか」を旧時代の遺物としていましたが、それだ
け強固な権威として実感のもてる世代であったのでしょう。
しかし、南画をよく知っていれば、これほど突拍子もない前近代の芸術もない。
はたして、大阪万博で『凍雲篩雪図』を見たのでしょうか。 >>12
どうもありがとうございます。
『信貴山縁起絵巻』は私も以前目にしましたが、軽い筆致で重みを感じさせました。
そこで旧蔵品が紹介されている勝海舟は割と美術品に囲まれており、長くて4〜5月
掛けていたそうで、宮本二天の作もあったということです。
二天こと武蔵と言えば贋作も当然ありますが、海舟の書にも生前から贋作があり、そ
れに頓着せず本人は求められれば箱書きをしたという。
浅井柳塘は「自分より上手い」という理由で贋作にも箱書きをしたということですが、
ここまで来ると稚気高じて脱俗の域ですね。 >>14
あくまで個人的な見解ですが。
悪くないと思いますが、本人が画を求められて不本意だと書を贈ったように、
そこまで入れ込んでいたわけではないせいか、玉堂の感動には遠く及ばない
と思います。
三樹三郎あたりが勢いに任せて描いた疎画の方が魅力的かもしれません。
枯淡というか清潔な感じはします。ただ、それ以上の物に乏しい。
見ていて喉が渇いてくるのは、渇筆のせいではないでしょう。
季節を意識して描いたものは、割合に魅力的です。
耶馬溪図巻は、よくある掛幅の作品より面白い。やはり思い入れの差では。
頼山陽史跡資料館は、たまに南画を展示してくれるので有難いですね。
広島ゆかりの人物以外だと、後藤秋高ェたまに出ています。 頼山陽は書も有名ですよね。「日本外史」が幕末に読まれて時代の熱狂的な雰囲気を
作り出すのに一役買っただけに、やはり信者が多かったんでしょうね。まぁそのぶん贋作もくさるほど存在するけど。
ただ今現在の市場価格はかなり低いはず。ほとんど見向きされなくなってしまった気がする。(´・ω・`) 勢い任せというと、たまに落款に酔画と記したものがあります。
これは文人画に限らず、漢詩文を書かない人でも和文で自賛を添えていることが多い。
そして大体が計算抜きで面白いものです。
そういう物だけ表装されて現存したのかもしれませんが。
とりわけ水墨画(形似を求めない文人の水墨画)を描く際には勢いというのは重要で、
中国の竹描きの名手には「本物の竹を見ると絵が不味くなるから見ない」と言った人
もあれば、他人が見て葦の絵か、いや麻の絵だろうと言ってもよしとした人もいます。
勢いは形を崩しやすいですが、崩れている絵が下手かというとさにあらず。
自身の精神を表せれば、実物に似ていなくてもよいとしたものです。
自娯自楽。その上で自分を納得させられるものを描くのが肝心なのでしょう。
それを楽しいと思う人が、本人以外にもいれば評価が生じる。