武田ネタで思い出した。2chのを見てきて、去年こんなの(↓)書いた事があったっけ。
> 一体、実用とは何だろうか。今でこそ国語科書写は硬筆が基本で、それを疑問に思う人は殆ど居ない。毛筆指
導は硬筆の模倣となった。この領分から書道に「逸脱」するのを避けながら「書道らしさを演出」すれば、待望の
スター(?)武田双雲の様な説得的誇張表現が魅力的に映るのだろう。書道でなく書写模範の擬態/変奏と見る方
が×には納得しやすい。しかし世人には十把一絡げに書道と映る。書写と書道の区別が付かない。学習指導要領に
は「芸術科書道と国語科書写の接続」が盛り込まれてきた。芸術書道「らしさ」を実用化すれば書写らしさへの反
転が起こるという事だろうか。
> 斯くして書写の分裂が起こる。あの無個性な書写教科書手本からの逸脱を書道に期待してなお、書写の呪縛は
残り続ける。実用上は手本がお払い箱となり、書写がデザイン書道へと化けていく。そこに「過去の実用」への視
線はない。第一、読めない。過去を読むには「読める様にする」必要がある筈なのに、ここでは接続(読める過去)
と切断(読めない過去)が現在に折り畳まれて同義語となる。〜この場合、教科書の手本は「読める過去」に属す
るだろう。人は歴史(読めない過去)を生きていない。自分の過去/現在/未来だけ読む様に生きている。