【国宝・重文】古碑法帖を語る・学ぶ
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書における歴史的名品の話題・情報交換
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先代スレ(殉死)https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/gallery/1523888637/ 字源について横から失礼。例えば「仁」の変体仮名をどう見るか。読みの問題ではない。
今の教科書では「尓」の扱いでも、幕末版本では筆脈上どう見ても「丹」だったりする。
それを古文書系の本は釈文を「尓」にしたりしてるけど、疑問を持たないのだろうか。
草略の字源と筆脈は誤読を防ぐ免疫装置。漢字は更に複雑。それだけ効果も上がる。 >>224
どんな学術体系にも、基礎研究の分野は分野として立派に存在するし
それに一生を捧げる人もいるってこと。
そこでは知識を網羅することが使命なんで、役立ててもらってナンボだなんてカッコつけたことは言わない。使わないからという理由で解明されていない元素記号があったらまずいでしょ?
そういう意味で、こりゃ確かに厨二病だ。
>>225
「へ」「つ」「そ」の字源も諸説ありという感じです
自分はそこまで知識がないけれど、秋萩帖などをみると「つ」は鬥じゃなくてやっぱり川だよねって思うし、、
平安中期から写経の字体が崩れていったことを考えると「尓」の続け書きは不自然ではなく、幕末〜大正あたりの指導書は逆にちょっと怪しい部分があるような あとほら白という字の字源が頭蓋骨の形でもともとは物騒な字なんですよとか
面白おかしくコラム化するのも良いけれど、
本来その字が書かれるようになった時代背景や当時の宗教観、生活様式を探るための
資料としてはそれらの見識だけで十分に役立てうる。使う人次第の問題であって
「結局その先がない」なんて断定できてしまうのは視野が狭いからこそであろうかと思う。
まぁそんなのが基礎研究というものなんだけど。 >>227
「亜という字は墓のかたちからきてるから、子供の名前に使う前によく考えて!」とか言ってる高校教師がいたぞ。
亜希子さん、亜矢子さん… いっぱいいる。亜を名前に使ってる人たくさんいるけど、墓をイメージして使ってる人はいないと思うし、墓を想像する人もいないと思う。
基礎研究を間違った使い方してる人が出てくるのはしょうがないのかね? ちと悲しいんだよね。 墓というのは初耳
だけどまぁ「亜」は、読みを辞書で引いたら「あ、つぐ、みにくし」だし
亜種というのも特にいびつな形に進化した種を指すし 意味自体がダークサイド
自分だったら名付けには用いない そして、名付けなら辞書くらい引いて意味を踏まえて使いなさい、という指導は間違っていないと思う、、
キラキラネーム全盛だけど、良識を疑うようなのも少なくない
ただ、すでに名付けられてる人に対して配慮はいるねぇ
むかし塋さんという中華料理屋が近所に店だしてたんだけど塋も「はかば」だって
栄の変字かなにかだと思ってた 苗字はしゃーない 幸子はよくても辛子はだめでしょ
なんでそんな単純なことまで否定するの >>232
名前にはネガティブな歴史のある字は使えないのか?
文字ひとつひとつに忌まわしいとか、穢れてるとか言い出しそうで怖いわ。 >>232
そのお名前はどこから出てきたのでしょうか? 「幸」という字について「これは手かせ(≒手錠)の形なのだ」とおいう説もあるんだよね。
※諸説ありますw スレの主旨に戻して
魏晋の小楷で、信頼のおける拓本って何だと思う?
小楷の拓本には怪しいものがたくさんあると聞く >>239
先に怪しいと聞いた拓本を挙げてください >>240
薦季直表、楽毅論、黄庭経など
碑がいくつもあるものもある
一つも真筆はないので、どれが一番真筆に近いのかなという疑問 黄庭堅のはなしはどうなった?
蘇軾→黄庭堅ときたから、次は米芾あたりかと思ってたんだけど、いきなり魏晋に飛んでった。
…なんで? 複数の話題が並行で進んでもよろしいがな
黄庭堅は、あのイメージに反して小字行書での品のよい書きぶりも残ってる
やはり当代一流と見てよいね 小楷については、みんなあまり感心がないのかな
>>244
黄庭堅は癖があるけど、しっかりとした技術の上にあることは間違いない
当代一流というのはそのとおりだと思う
それでは、次は流れを汲み取って、米フツについてどう思うか聞こう
個人的にはやはり技術で右に出るものはいないと思う
比較的大きい字のものの方が良い作品が多いと思うのだが、どうだろうか >>247
すみません
どう思うか聞かせていただけませんでしょうか 米元章の大字では群玉堂帖の述学帖が一番の出来かな、あと呉江船中詩巻も良い
以前有隣館から中国に売られてしまった研山銘は今ならもっと高値がついたかもな 視覚効果抜群のデフォルメ、緩急自在の運筆、たまに常識外れに太い線、大きい字を入れるセンス
いわゆる超絶技巧家なんだけど、超絶技巧家っていうレッテルは超絶技巧家以上の評価にならない損な面があるよね
リストやパガニーニのように…
そんな計算が先だってしまって、どうも習うのを敬遠してしまう人 >>109
“石碑の欠けた字をそのまま臨書した” とあるが、双鉤填墨とは書いてない。
どこから双鉤填墨となったのか知りたい。
双鉤填墨が素直な感性というのも理解しがたい。 >>253
書くという事には筆路の問題が先立つ一方、模倣のアプローチにも臨書以外のがある。
似せようとする形臨とか、似ても似つかぬ意臨とか。臨書にも色々あるが、それ以前。
教育現場では「俺のは意臨」も、極端な「似せればいいんだろ」型の筆路無視も困る。
特に後者は筆順崩壊型の「見た目」優位指向が強い。つまり書くのではなく、似せる。
双鉤填墨といっても本格的なのではなく、書を字でなく絵の様に見れば自然そうなる。
字と認識できないまま臨書する現実がある。古典は国語でも書道でも見るのが初めて。
素直な感性とは、徹底した無知状態の感性を意味する。それが保存されたまま、授業。 >>254
返答なのか、違う話しをしてるか、何を言いたいのかがわかりません。 昔CDの広告を見たらジャケ写の背景、黄庭堅の諸上座帖だった。ただし上下さかさま。
こんなのが書を字と見ていない例。文と見ていないのは二千円札、源氏物語の下カット。
デザイナー感覚だと「見た目」優位になったりする。読む必要なく、雰囲気あれば十分。
文字レベルでこうなら、点画レベルはどうか。字と認識できる場合でも、細部はどうか。
蘭亭叙の「幽」字末。普通の筆順は折れの次に縦だが、横の次に左右の縦かもしれない。
そこまでは細かく見えなくてもおかしくない。それなりに似て見える生徒もいるだろう。
当初は字や書と認識できない。子供の時、掛軸の白文印が迷路模様に見えなかったか。 米フツについての意見、ありがとうございます
ちょっと話がそれているようなので、話題投下します
蘭亭序について、一番良いと思う手本はどれだと思うか教えてください
私は張金界奴本が良いと思います
不自然な書き方でなく、字形の変化も良いと思っています 去年あたりいばり散らしてた連中はどこ行ったんだ? 和なんとか? >>259
複数の話が並行してるのはいいんでしょ? 前に言ってませんでした? >>262
個人的によくわからない話をしているので,話題投下したまでです
気を悪くしたならすみません
>>254
教育現場では,筆路を教えれば,臨書は可能となるということですか?
事実ばかりを書いているような書き方で,自分の意見を書いているので,
結局何が言いたいのか伝わりません 蘭亭叙に思うのは、書である以前に文なんだって事。だから先ず文として書かなきゃ。
何度書き直しても最初のがよかったのは、文の前に稿としての性格が強かったからでは。
こうなると真似できない。でも真似て八柱や定武に形は残す。つまり形だけなのが難点。
それを自覚するために形臨があり、形臨の断念から意臨という「自分の世界」が始まる。
だから好きな本より、自分の世界に近いのを択ぶ手もある。他人の字に懸想しても無理。
敢えて異質な本を択ぶ手からは自他の差異が学べる。そこが却って面白いから、厄介だ。 世の中の文字は読めなーーーーーい!!!!!!
↑
読める字を書くことが大切だ。 >>267
勉強しないから読めないんだよ( ^∀^) >>265
好きな手本を選べば良いということですかね
あなたの好きな手本を聞いているんです >>269
ほんじゃ、そっち方面でいこうか。蘭亭叙の各本に好き嫌いはない。正直どうでもいい。
全部やればいい。で、やってみたら戦前の手本系統、八柱第二本を択ぶ生徒が多かった。
教科書は第三本ばかりなのにねえ。それより第一本/張金界奴本の話でいってみようか。
確かに素晴らしいけど、拡大臨書では高度な解釈が要る気もする。原寸大ならいいのに。
そもそも、なぜ好き嫌いを問う必要があるのか。先ず全部を受け容れてからにしたら?
さもなくば嫌いな書は論外となりかねない。「自分の師匠の字だけが好き」になるとか。 >>272
あなたが好きな本を選べば良いと言ったのではないですか...
やっぱり文章が伝わりにくいんですよ
そりゃ全部学んだほうがいいに決まってますよ
こうやって話を潰されると困りますね
「私の好きな書」という本がありますが、全否定ですか
王羲之はショウヨウと張芝の書が良いものだと言いました
他の書家もみんな一家言を持ってます
我々が良い書を話す必要がないというのはどういうことですかね 世の中の文字は 小さくて 読めなーーーーい!!!!!!
読めるような字を書くことが大切だ。 >>274
>あなたが好きな本を選べば良いと言ったのではないですか...
それ、選択肢があるって話の事かしら。>>265では以下の二つを対比した。
「好きな本より、自分の世界に近いのを択ぶ手」「敢えて異質な本を択ぶ手」
好きな書があるなら学べばいい。嫌いな書も、その気があれば学べばいい。
ただし好きな本を学ぶうち、欠点に出くわす事がある。そんな時には別本が好都合。
また「良い書を話す必要がない」とは言っていないが、そこに突っ込むと面倒になる。
そも「良い書」とは何か。それぞれに差異が潜在する。もしや審美眼の話なのか? >>276
人に伝わるまともな文章を書いてください。 >>277
「好きな女より、自分の世界に近い女を択ぶ手」「敢えて異質な女本を択ぶ手」
好きな女がいるならやればいい。嫌いな女も、その気があるならやればいい。
ただし好きな女と過ごすうち、欠点に出くわす事がある。そんな時には別の女が好都合。 蘭亭序の中で一番難しい字は
一番最初の「永」である
とか言うジジイに
そこだけ死ぬほど練習しろ!
と言ってあげたい。 また今年もあの公募展やってるみたい
100点集まるいいね( ◠‿◠ ) 墨汁なんて使わないで墨を擦れとか言う人がいるけど、昔の人は電気もガスも無い暮らしをしてたんだから、そこから真似した方がいいってことなのかね? >>284
イルボノでおkアルヨ!!( ^ω^ )ニコニコ 読解力の問題もあるよな
>特に後者は筆順崩壊型の「見た目」優位指向が強い。つまり書くのではなく、似せる。
俺なんかはこの↑一文だけでもなにを問題にしてるか沁みるほどわかるが、、、あぁそれそれ!って感じる
字形と輪郭だけ似せて良しとしたら、筆路を見ないことになるだろ?
それは手本なしに自分の意思で字を書く練習と、手本に目をくぎ付けにしてウワの空のようにして書いて習うことと
ふたつの間にたいへんな隔たりがあるのに、そこのところを解らせてあげられない、教育現場というものの不器用さについてだよ。
まぁおれなりの解釈だけど。 こいつらわかってねぇなwww
ちゃんと教わってないし、自分で探求もしてない
教育現場が云々に転化しとればいい
残念な人たち _, ._
( ・ω・)
○={=}〇,
|:::::::::\, ', ´
、、、、し 、、、(((.@) てたwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>102からの流れで教育現場の話をしてるだけだろ 書学徒れんちょんとかいうの、完璧な田舎の神童だな
全国レベルだと上位にかすりもしないタイプ
要するにただの人 星の数ほど神童がいること知ると
たいてい他人の足を引っ張りはじめるんだ
それが神童の成れの果て 王羲之が蘭亭序を書いたとき酔っ払っていたというのは本当ですか?
後の世のアルコール依存症の人が作った話しに思えます。なぜなら、この話しをする人のほとんどがアルコール依存だからです。
酔っ払って書くことを肯定してるような口ぶりで困ります。まずはお酒をやめて欲しいですね。 お酒をやめろとか大きなお世話
たぶん意識高いつもりのオバサンなんだろうけど
そういう事を得意げに発信する前に自分のモラハラ癖や買い物依存とかいろんな依存症を克服しろよな
王羲之が蘭亭序を本当に書いたかどうかも後の世の創作かも知れないのにそれを問うてどうなる
話が自分の関心事に寄せらせすぎ。自己中心的すぎ。 >>308
あんた医者からも酒やめろ言われてない? なんか過剰反応しとるぞ
酒をやめれば要らん憶測が頭の中駆け回ったりしないぞw >>311
図星だとか思ってるのか?頭わるっ
いや、ふつうに冷静に考えろ なんでここで嫌酒論が議論されなきゃならんのだ
おかしいと思わんのか ところでこの季節、マリブをジュースで割らずにコーヒーに入れてもうまいぞ 誰も図星なんて思ってない流れで
勝手に図星とか言い出すあたりが
図星としか思えなくなって笑えるw 本当にそうかどうか想像する力がないのだろうな
たぶんな、リアルに酒で体にトラブル抱えてるヤツはわざわざ反論なんかしません。
身につまされてたら沈黙するよ
お前って、ここでの議論の流れに自分の生活が影響されたりするのか?
なにやらリアス世界での鬱憤晴らしにここの書き込みを利用しているように見える。
考え方が幼稚過ぎて痛々しいから、他人のこと笑ってる場合じゃないと思うぞ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています