さしすせ書道は昔と違って、見る影もなく落ちぶれたからなあ。
この際、拓本の影印出版と臨書との関係にでも話を振ってみるか。
例えば二玄社の九成宮醴泉銘。名品叢刊の頃は細身のイメージがあった。
それが原色の李祺本登場で線の太さにビックリ。あんなのもあったのかと。
考えてみれば皇甫誕碑は細身で、それに引きずられていたのかもね。
しかし化度寺碑の線はやや太め。拓本の違いによる影響はあったよ。
集王聖教序で昔から有名なのは、天下第一本と人間第一本だったかな。
枯樹賦や蘭亭の張金界奴本も、高校教科書のと二玄社のとでは違っていた。
蘭亭冒頭の永和九年、年の字の横画起筆たわみ、なんて話はどうだい。
枯樹賦は清雅堂、蘭亭は玉川堂ので見た。比べると面白かった。