★★★リアカーは引くもの? 押すもの?★★★2
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2chから虎が出てくる訳がないじゃないか。
そうか、虎が居るのは2chの外部ってことか。 >>635
サイドカーのように、横に最初はつけてた、
ってのは理解できる?
まぁ、その事実がないとあの辞典には載らないんだが。
何度も言うが、疑問が残るなら、直接向こうに問い合わせて下さい。
貴方が知りたいんでしょ? >>635
リヤカーを発明したのが日本人で、命名したのも日本人
日本人が付けた和製英語
しかし発明者は不明
リヤカーを多く製造してたのは東京、秋葉原
町の発明家がサイドカーの便利さに触発され、大八車の要素も取り入れて作ったのが自然と広がった
サイドカーのようにしては運転しにくいから、サイドではなくリヤに取り付けたためリヤカーと命名
と、調べた限りここまでだな
辞典やリヤカー博物館とか色々見たが
違うと思うならその違うと思う根拠と資料を出してくれ
根拠は100%はっきりしないから
じゃ駄目だぞ
それを覆す位の根拠とソースを持ってきてから、この説を否定してくれ >サイドカーのように、横に最初はつけてた、
意味不明、サイドカーって言われても普通ハーレーみたいなバイクしか想像できないと思う。
アレを後ろにつけたって所謂リアカーとは別物に思える。 最初は人が引くためのものではなく、単車や自転車で牽引するためのものだった。人が枠の中に入ることはもともと想定されていなかった。 じゃあ単なる同名の別物だね。
そうじゃないとすれば、横に付いていたものなら自転車と同じで押せるものということになる。 曖昧でなく、よりわかりやすくいうなら、
どのあたりに視点を持っていきたいかによって、
「リヤカーを引く」か、「リヤカーのハンドルを押す」のどちらかになるが、
「リヤカーを押す」という表現で、「リヤカーのハンドルを押す」、
延いては「通常の操作方法である、ハンドルを内側から押してリヤカーを移動させること」の意味を
文脈に頼る形で曖昧に表すことに、さほど不自然さを感じない人もいることは想像できる。
「エプロンの腰紐を結んで」と言いたいときでも「エプロン結んで」と曖昧に言う人は、ちらほら見つかる。
その表現を「エプロン全体をひも状に絞って結ぶこと」を意味しない限り
一般に誤用と言うのか、のような前提定義の曖昧な問題は、私のあずかり知るところではないけど。 「リヤカーのハンドルを押す」=「リヤカーを引く」、しかるに「エプロンの腰紐を結ぶ」には言い換えが存在しない。
「リヤカーのハンドルを押す」:「リヤカーを押す」=「エプロンの腰紐を結ぶ」:「エプロンを結ぶ」という比例式は不成立。 「エプロンの紐を結ぶ」の言い換えは「エプロンを着る」。
「エプロンの紐を解く」の言い換えは「エプロンを脱ぐ」。
当然「リアカーのハンドルを推す」の言い換えが「リアカーを牽く」でもおかしくはない。 >>642
リヤカーを発明した人が、そんな想像力しかない人ではなかったって事が分かったね^^
あと、何度も言うけど不明な点は語源由来辞典の製作者に問い合わせてね。
その位出来る能力はあるよね? >>643
まぁ、でも大八車の要素を取り入れた事から、大八車のように使うという発想になるのも自然だよね。
発明とは得てしてそういうもの。 リヤカーの発明者
静岡県富士市
望月虎一
ソースもしっかりしてきたので、そろそろサイドカーに倣った事に対して文句ある馬鹿はいなくなるだろう いや、別に興味もないけど、このスレ内だけで異論が無くなれば満足なのかよ。
まあサイドカーに倣えば押すもので解決だけど。 サイドカーは押すとも引くとも言わない
「後ろにつき従わせる」という意味の「引く」を使用語彙に持っていない人が出て来て、「リヤカー/人力車を押す」と言うようになったのだろう
「牛馬/舟/橇/犂を引く」場面は確かに減った。トレーラーや列車なら「牽引する」と言うことが多い >>647
> 「エプロンを着る」「エプロンを脱ぐ」
腰から下だけを覆うものについて、「着る」とは言わないだろう。「脱ぐ」は「?」
関西の人は帽子・マフラー・手袋などを「着る」と言うことがあるから、前掛けも「着る」かもしれないが >>652
サイドカーを押すには二輪車本体の横に付いてハンドル握って押すしかない。
つまりハンドルが本体だ
>>653
ベベは着るで前掛けは付ける。
結局、脱ぐでも取るでも外すでも意味はわかるわけで、語感の問題だな。
腰から下とか変な限定は要らん。 エプロン脱ぐも着るも言うだろ。
自らは言わないまでも、聞いて不自然だと感じる人は少なくないと思うがね。
着ける外すのほうがより一般的だという感じはするけど。 ウヱブ上での會話だつて「書く」「喋る」「話す」等普通に使はれるのだから、細かい事は氣にするな。 胸まで覆う (頭からかぶってつける) エプロンは「着る」「脱ぐ」でもよいが、「エプロンを結ぶ」が「エプロンの紐を結ぶ」の代わりになりうるエプロンは、前掛け型だと思う。 新明解国語辞典より
お・す【押す】
抗し難い・力(勢い)で、じわじわと対象を向こうへ・動かす(動かそうとする)
ひ・く【引く】
(その物の一端を掴んで)自分の手元へ近付ける。
引きずりながら(持ち)進む。
けんいん【牽引】
引っ張・る(って自分の方へ引き寄せる)事。
つまり押す場合は押す物がその“対象”となるわけだ。
リヤカーの前から出ている棒なりハンドル(と呼ぶのか?)を握り押した、というのはリヤカーという“対象自体”を押している訳じゃない。
そしてここで疑問だが、押す方がしっくりくるという人は、
例えばリヤカーの前部分に二人の人が横に並んで入り、お互い自分の脇にある棒を掴んでリヤカーを動かした場合、
それは果たして“リヤカーを押す”事になるのだろうか?
ハンドルのどの部分を握り進もうが、リヤカーを引く、牽引する、とした方が不自然ではないと解釈出来るね。 單に移動させる物體の前にゐるか後にゐるかの問題だらう。 予想される屁理屈
・リヤカーの中にいる。前にも後ろにもリヤカーがある
・リヤカーのハンドルもリヤカーである。「リヤカーに触るな」に対して「ハンドルに触っただけだ」は通らない。
・リヤカーからハンドルを取り去ったら車輪の付いた箱にすぎず、もはやリヤカーではない >>662
自轉車は、物の中央に於て動かす物だから、後方の荷臺を「牽く」リアカーとは全然意味が違ふ。 >>662 自転車は大部分が足より前にある。やっぱり「押す」のほうがいい
ただ、手よりは後ろに来るから微妙であることも確かで、方言によっては「引く」と言うらしい 普通ハンドルは前輪の上にあると思うんだけど、よっぽど手が長いのだろうか? 直進し易いように、フロントフォークが後方に傾いている (キャスター角)
押すときは前傾姿勢になる。自転車の全長の 2/3 ぐらいが足より前に出る >>658
一般の言語感覚とは違っていると思う。
洋風の胸まで覆うものであろうと、首を通したあとに腰紐を結んでほしいとき
エプロン結んで、と言う人は多いはず。少なくとも違和感がある人はいないと思う。
検索でも和風の前掛けの例は見つからなかった。あるかも知れないけど
結局どちらのエプロンでも、一般では言われているということになる思う。
と、>>656の訂正、文脈で察してくれたとは思うけど「少なくない」→「少ない」
>>668
> 洋風の胸まで覆うものであろうと、首を通したあとに腰紐を結んでほしいとき
> エプロン結んで、と言う人は多いはず。
それは可能だが、たいてい自分で結ぶから多くはない
さらに、その場合は「エプロンの紐を結ぶ」=「エプロンを着る」とはならず、「リヤカーのハンドルを押す」=「リヤカーを引く」とは無関係
> 検索でも和風の前掛けの例は見つからなかった。
どんな検索をしたのか不明 >>667
そんな前輪が突き出てたらリーゼントのニーチャンが乗ってそうな単車になっちゃうんじゃないか? >>663
> 後方の荷臺を「牽く」
こういう「ひく」の用法をもっていない、あるいは「引く」と書いてあるとその用法を思いつかない話者がいるのだと思う
|\
| ●
彼らは、上のような形状の大きな物体 (●が重い) の縦棒を押して左方へ動かす場合も、全体を「押す」と言うようだ。私なら、キャスター等がついていれば「引く」、そうでなければ「引きずる」と言うだろう。 >>670 ほとんどの自転車がそうなっている。でないとふらふらして乗りにくい >こういう「ひく」の用法をもっていない、あるいは「引く」と書いてあるとその用法を思いつかない話者がいるのだと思う
思いついたって確信がなければ、間違いなく言える方になってしまうでしょうね。
引くという漢字だと、ヒモ状のモノが出てこなければ使いにくい。
新語を聞いて、使いたいけと使い方間違えてたら恥ずかしいから二の足を踏むのと同様。 >>673
1/3位なら傾いてると思えるでしょう。 でもその逆はいくらなんても。 漢字の訓は本来大雑把で自由なものだ。
福沢諭吉が人力車夫のことを「車挽」と書いているのを、grind することだと言い張る者がいて滑稽だった
自転車の前から 1/3 辺りに足が来るようにして押して (引いて?) 行くのはかなり難しそうだ >>676
そんな英単語は聞かなかったが、車挽が車を転がす人であるのは間違いないだろう。
サドルよりハンドルが後ろに来る自転車なんて見たことないなあ。 人力車だつて「曵く」なのだから、リアカーを押すとは普通云はない。 >>678
挽くだか曳くだかハッキリしろよ。 なんだかわからないから押すが無難だと判断するんだろうよ。 >>679
「挽く」は、切《伐》つたり削つたりする事だ。
鋸《のこぎり》を挽く。
コーヒーを挽く。 >>680
>>85とかその辺になんかコメントない? だいたい引くだけど、押すって奴もいるで済む話じゃね?
シャッターとかのがアナウンサーがいうにはいいんだろうが
カメラ押してとか、カメラ撮ってって奴もいるし
リモコンのが普通だろうが、チャンネル取ってとかいう奴もいたし。 >>683 スレタイはそういう答を求める意図ではないだろう
「シャッターを押す? カメラを押す?」
「写真を撮る? カメラを撮る?」
「リモコンを取る? チャンネルを取る?」
こんな問いは最初から成り立たない 結論、通じりゃなんでもいい。
誤解するというグッチーには言っちゃダメ。 引く力が位置による重力だとすれば、押す力というのは接触面による圧力ということになる。
つまり重心がどうとかそういう認識での使い分けだとすれば、そもそも押すと引くは対称の存在でないから排他関係にならない筈なんだよな。 何か、これがゆとり教育の弊害ってやつか、
と思える発言がちらほら ケセン語が認められるなら、グッチー語も認めて良いよな。 >>686
> つまり重心がどうとかそういう認識での使い分けだとすれば、そもそも押すと引くは対称の存在でないから排他関係にならない筈なんだよな。
もともと移動させるためのものを移動させるときだけ、排他的になる
重心が動かす人より前 (進行方向側) にあるか、後ろ (進行方向に対して反対側) にあるかで、「押す」か「引く」かが決まる
重心が動かす人の真横に近いときは、「押す」とも「引く」とも言えない。cf. サイドカー
シンプルだね >>689
グッチー語の説明乙。
日本語とはちょっと違うね。 >>689
押すと引くはそんな単純じゃないけどな(笑) 単純だよ
「リヤカー/人力車を押す」だけが、単純さからぽつんと離れている 率いる=引き率る
軍を後ろに従えて、先陣に立って突撃するなら「引き」率ているけど
どっかと腰をすえて、軍配もって後ろで指揮して高見の見物では
その軍を「引き」率ていないで、「押し」率ている? 「引く」と「率いる」とは別の語だ。「軍を引く」と言えば「撤退させる」意味になってしまう
人間を移動させるためのものととらえることはできないようだ。例えば荷物を運ばせる場合でも、「*人足を引く」「*奴隷を引く」とは言えない。役畜は「引く」と言うが >>680 「男たちの挽歌」は?
>>685 通じりゃなんでもいい人は言語学とは無縁だろう >>698
「通じりゃなんでもいい」と「言語学とは無縁」の関係は?
そんなんじゃ通じないよ。 >>699 外国人の伝導師かな?
>>700 言語学を学べばわかる
(必ず通じなければならないわけでもない) >>701
「通じないよ」への返しが、「言語学を学べばわかる」
つまり、グッチー言語学とは、言葉が通じる人には無縁(不要)で、通じない人だけが学ぶべきものらしい。
そういうのってgengo(言語学板)じゃなくてgogagu(外国語板)の管轄じゃない? >>702 意図がわかることと、言語学の概念がわかることを、「言葉が通じる」でごっちゃにしてるだけ
言語学の概念は言語学を学ばなければわからない
言語学という学問は、「できれば教養あるすべての人にわかってもらいたい」といった立場はとっていない
なお、>>701 は「伝道師」の誤りだった。訂正 そういう働きをしているのが日本語(自然言語)であって、グッチーは外国語(計画言語)として考えているから思い違いばかりするんだろうな。 >>704
> そういう働きをしているのが日本語(自然言語)であって
どういう働きか全く不明 言語の働きは、意図が伝わること。
日本語の「言語学」の概念は、その日本語がわかっていればわかる。
グッチー語の「言語学」の概念とは違うようだから、和製英語と同じで通じない。 >>706 言語学の概念とは言語学で扱う概念のことであり、言語学を学ばなければわからない
非文法的にしても不適格にしても、話者の意図がわかるかどうかとは関係がない
意図はわかる場合の方が多いだろう。もちろん意図さえわからない場合もある
文法的かつ適格だが話者の意図がわからないという場合もある
「言語学」という語の意味は問題になっていない。そんな「 」は付いていない 誰かが言ったAという語がAを表していない状態を誤用と言うんだとすれば、
Aがわかっていない人がAという語を使えば誤用だろう。
Aが言語学である時以外でこれが成立するのがグッチー語らしいな。 「一六歳で家出、最初にありついた仕事は鉄道工事人夫であり、土石を積んだリヤカーを日がな押すだけの下積みの力仕事であったという」
(渡辺利夫『韓国―ヴェンチャー・キャピタリズム』1986)
いわゆるネコ車の間違いでなければ、これが文献初出ではないかな。 >>707
だろうね。
三点リーダーの使い所もおかしいし。
高校でレポートとか小論文ぐらい書かされなかったのかな。
学校で習わなくてもビジネス文書の書き方は入社時に叩き込まれるはずなんだが。 前からは引くもの、後ろからは押すもの じゃないの? 中にいるのは乗ってる人でしょう、中間でを荷物支えてるひと
リヤカー横で手をやったり添えてる人、押す引くにはカンケーネーな。
引くか押すは力を出す人の状態。引かないと前に進まないし
坂も上らない、後方を押してあげないと能率あがらないやな。 だから、そういう趣旨のことをさんざん言ってきたけど、
リヤカーのハンドルもリヤカーの一部分だから、ハンドルを押している人はリヤカーに囲まれて、リヤカーの内部にいる、
と言って聞かないんだよ。
幾何学だかトポロジーだかに侵されているので治らない。 大きな荷物を二人で持つなら前と後ろで向かい合わせだろうけど、
握りが同じ位置にあって力を加える方向が同じなら、力を出す人の状態は後ろでも囲みの中でも一緒だからな。
後が押すなら他でも押すになるだろう。 ほらねw
荷物が重くて動かないとき、1 人でもリヤカーの枠から出て後から押すといったことは、しないんだろう。
力を出す人の状態は一緒らしいからw ん? 押すと言えるかという話だろ?
姿勢と動作が一緒なら何が違うんだ? > 姿勢と動作が一緒なら何が違うんだ?
足にかかる粘着重量。 重量ってことは荷物の重さで言えるか変わってきてしまうというのか? 粘着重量は荷物の重さのみでは決まらない。
同じ重量で同じ出力の原動機を積んだ自動車なら、一般に、前輪駆動より後輪駆動の方が加速はよい。 とりあえず荷物の量を加減したら同じになるんじゃないの? 荷物の量が同じであるとき、力を出す人の状態が一緒かどうかを問うている。 リヤカーが 1 台で荷物の量が同じであるとき、力を出す人の状態が一緒かどうかを問うている。
前輪駆動車は粘着重量を得るために、前輪より前を長くして、そこに重いエンジンを積もうとするのが普通。デザインを変えると力を出す状態も変わり、うまく加速できない。
理詰めの欧州車は FF だと前オーバーハングが長い。プジョーやアルファロメオは極端で、駐車場でぶつけそうだ。デザイン優先のトヨタ iQ は、リヤカーを引いているのと同じ状態なので、粘着重量が足りず、加速が非常に悪い。 >>720の最後の文の意図はそうじゃないだろ。
答えが一行目の疑問を明らかにしないなら、その違いは思考実験に関係のない違いなので
整えて「一緒」にする必要がある。
それとも別の話をしているのだろうか? 姿勢と動作が一緒でも、力を出す人の状態が一緒とは限らない。ある状態 (前が重い) を「押す」と言い、他の状態 (後が重い) は「押す」と言わない。 >>729
その理論が正しければ、同じにしたら区別できなくなる筈だから、
2台用意して一緒の状態を作ってみて確かめようじゃないか。 荷物の重さを変えて (前で動かす方を軽くする)、全く同じ力で動かせるようにしても、体感の違いは消えないだろう。
前輪駆動車と後輪駆動車の加速感は、ゼロヨンタイムがぴったり同じだったとしても、乗っていれば違うだろう。
ベンツや BMW、ジャガーなどの上級モデルが後輪駆動をやめないのには理由がある。 目隠しをした人に、周りの気配を感じさせないようにして、ローラーを動かさせる。
最初はローラーが後にあり、次は少し重いローラーが前にある。動かすのに必要な力はほぼ同じ。
違いを体感しない人はいないと思う。「今どうしてますか?」と尋ねたら、前者では「引いている」、
後者では「押している」と答えるだろう。 ローラーじゃ意味がない。重いコンダラじゃあるまいし。
あくまでリアカーと言えるもので実験しようぜ。 リヤカーそのものでやったら、もっとよくわかるだろう。
ギシギシしてるし、ゴムタイヤの弾力はあるし、手に伝わる情報が多い。 鉛で出来た超重い持ち手と、
軽い素材で出来ていて荷物も載っていない超軽い荷台のリアカーなら
リヤカーを押すって言い換えなきゃならないってことになるのか? むしろ、「力を出す人の状態」(>>716)が、普通のリアカーの定位置と変わらなくなったら、
その人がどの位置に居ても押すと言えないってことになるんじゃないのか? >>735 どうやって動かすんだよw
>>736 ほとんど捧げ持っている感じで、何かを引いている感じは薄いだろうね。
腕は疲れるが、まっすぐ進むのは快調だろう。
超フロントヘビーのアウディ TT や VW シロッコといった「FF スポーツ」は、そういう状態だ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています