最近『が』の使い方がおかしい人が多いよね。
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G9DYY 「空を飛ぶ」のヲは「移動の経路」の用法
「国道を行く」「いつものコースを走る」など
「泳ぐ」は移動の動詞ではないらしい
「て行く」「て渡る」を加えると許容されるのは、
それらが移動の動詞だからだろう
この動詞の類においては、出発点や目的地は事務的ではなく、
移動の経路も複数ある可能性の中から選択されるものであるらしい >>250
×事務的
○義務的
音声入力後の推敲漏れ >>1の例は文法的に正しいけど
「が」を焦点マーカー代わりに使う奴は多いね 「が」の役割は「主語ではない」と言う誤解が広まっているからね
主格であって主語ではないという意味ではそうなのだが、
「が」は「は」と同様に述語の要求する格に縛られない、と思うならそれは誤解だ
目的語にガ格を要求する述語は限られている さすがに固い文章で間違える奴はいないけど
口語やline,twitterみたいな安い文章で間違える奴は多々いる
こういうところから言語変化は起こるのだろう ガの使い方がおかしい理由って、大半は見切り発車で喋った結果、目的の文がズレちゃってるからだよな
「それが、今の私の目標です」という目的の文が、漠然と脳裏に存在している
→「それが、」まで喋ってから、あやふやなままだった文を具体的に考えはじめる
→「今の私は目指してます」という文が脳裏に浮かんで、前後の整合性を考えないまま喋る
→「それが、今の私は目指してます」という歪な非文が出来上がる それもとりあえず新情報を「が」で提示するという習慣ができてしまっているからだよね
「そこで探していた服を売っている」の「を」が迷わずパッと出せる人はそうならない
「服を売っている?誰が?」とはならない 琉球語に「ぞ」に由来する「どぅ」という助詞が存在するけど
あれは誤用の「が」に近い機能を持つよね 「ぞ」も「である」というコピュラ的な機能があったようだし、
そういう意味では焦点の提示、すなわち新情報の提示という機能を
持っていたと言えるだろう
「どぅ」は連体形との係り結びを起こすところまで「ぞ」に似ているが、
それに対して「本が売っている」は「売っているのは本だ」のようなパラフレーズができない
すなわち「が」で焦点を提示したあとのつじつま合わせが足りていないというか、
「投げっぱなし」になっているような印象を与える
(連体形を使う係り結びは古代日本語でも現代琉球語でも、
連体形によって述語部分を体言化(現代共通語なら動詞+「の」に相当)していると言える) 両方に共通の祖先があったと言うことを否定しているわけではない [ɣ]ってどうやって発音するんですか?[g]と何が違うんですか? 正しく発音しようと意識するあまり
「んがぐぐ」のときの「が」になってる
犬位置系アナがたまにいてワロエナイ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています