>>564
>形式的に文脈依存文法みたいな文法を持つ言語を作ろうってことか。

文脈依存文法って自然言語に普通にある文法だろ?


>作る側は何をもって「美しい」とするのかちゃんと考えないとだめだと思う。
>韻律(言語学的な意味ではなく)の美しさなんて言語によるからな。

そこがミソなんだ。自然な言語に見せるには、意味を通すという目的に対しては何も必然性がなさげな変化を混ぜる事が肝要じゃないかね。
仮に「私は猫をとても愛している」を"Was-nuko-ra-s im-melenar-is." [waznɵqorəs ɪ˜melɪnarɪs]としよう。
ここで使った"im-"という接辞は「〜の中、〜へ」みたいな処格っぽいもので、ただしこれを付けても主格に当たる部分に置いて問題はない(ナワトル語の辞詞のパクリ)。

想音の部分にどんな名詞でも填め込めるということは話者が一番想っているものを示すトピックマーカーとしても使えるって事だ。
(日本語みたいな主題優勢言語は少しばかりは「感情言語」の要素があると見れる。)
意味を通すだけなら"Was-nuko-ra im-melenas"とするだけでもいい。
だがしかし、"nuko"への"melenas"という思い入れが「"nuko"を孕んだ想音」と"im-melenas"の韻尾を-(ə)sに一致させて詩的にゲシュタルトを整える。
※melenasの最後のsは接辞が付くに際してrに変換(ラテン語のパクリ)
これがヒュムノス語から更に進んだ自然言語的感情言語だと思う。

>>565
ゲール語のSéimhiúとUrúは性に依存したと思うんだが?
変化をさせなかっただけのミニマルペアで意味がとりにくくなっても真逆になるって事はないだろ?