そもそも >>59 の意味が不明なんだが。

(1) 図書館に行けばヴォラピュクやイドで書かれた本 (小説、評論、手作りお弁当の作り方入門、等々) が
いくらでもあるんだから、そういう本が読める程度にはヴォラピュクやイドを勉強する必要がある。

(2) 図書館に行ってもヴォラピュクやイドで書かれた本 (小説、評論、手作りお弁当の作り方入門、等々) なんか
全くない。ヴォラピュクやイドに関する本もろくにない。まずそういう状況を改めて、せめて入門書くらいは
図書館で普通に読めるような世の中にする必要がある。

どっちなんだろう?