エスペラント博士が最初に書いたUnua Libroの中にヴォラピュックにふれた部分がある

 私は国際語を創造する目的でなされたいろいろな試案を分析しようと思いません。…(中略)…第二の部類の試案は
言語にはなっておりますが、国際語としての性質は何一つ備えておりませんでした。何らかの理由で創案者が自分の
言語を「世界語」と名づけても、多分それだけのことであり、その言語を使って通じあった人は一人もいなかったのです。
或る言語が世界語であるためには、一人の人が「世界語」と名づけるだけで十分だというのであれば、存在する言語は
すべて望みさえすれば世界語になることができるでしょう。これらの試案は、世界は喜んで一致した承認を与えてくれる
だろうという素朴な願いの下に創立されました。しかし、一致した承認、まさにそれがこの素朴な願いを最も不可能にして
いる部分であり、世間に対してなんら利益をもたらすことがないのに率先して自分の時間を捧げる心構えだけはあてに
しているという机上の理論的試案に対して、世間の人々が無関心だったのも当然なことで、もちろんそのためにこれらの
試案は完全に失敗してしまったのです。興味をもった人々も創案者以外何人も理解できないような言語の学習のために
時間を費すことはふさわしくないことだと考えたからです。彼らは言いました、「前もって世界中が、あるいは数百万の人が
この言語を学ぶなら、私も学びます」と。既に多数の仲間がいる場合でないと仲間のひとりひとりに利益をもたらすことが
できないような具合では、どんな承認も得られず、誕生後、活動発展していくことができないのです。最近の試案のひとつ
「ヴォラピュック」が、言われているように、かなりの数の仲間を獲得できたのは、単に「世界的」という観念自体が非常に
高尚で魅惑的なため、開拓的なものに熱狂して専念する性向をもつ人々が、おそらく成功するだろうという希望を抱いて
自分の時間を捧げているからです。しかしこの熱狂的な人の数はある程度まで達すれば停滞することでしょう。そして
冷淡で無関心な世間はこの少数の人々と通じ合うために自分の時間を犠牲にしようとは思わないでしょう。結局この言語
もまた、以前の数々の試案と同様、何らの利益ももたらすことなく消滅していくことでしょう。