「よろしかったですか」なぜなのか [無断転載禁止]©2ch.net
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婉曲表現として過去形を用いるのは英語でも同じことが起こってるから、別に普通だと思う。
てか古語でもあるし、間違った日本語なんてないとはいうけど、これはむしろ今までが間違っていたといわざるを得ないレベル >>183
お前が規範文法を語ってみろよ
絶対間違ってるから そもそも日本語には過去形を使った婉曲表現なんてものはない
centipedeを百足(ムカデ)と直訳したようなもので非常に胸糞悪い 別に婉曲でも丁寧でも無く、純粋に過去の意味でしかないだろ 確認の意味で「これで良かった?」ってきいてるのを敬語にヘン換してるだけなのに
なぜか上の世代はそんな単純なことすら理解できず曲解してあれこれ難癖を付ける
そもそも若者批判ありきの為にする議論でしかない
関係ないけど「変・換」ってNGワードなんだな
今の5ch運営の規制方針はさっぱり理解できん >>189
眼の前で言ったばかりのことを過去扱いにされる、しかもそれをどこへ行っても繰り返される、
違和感を覚えて当然だ
あんなものに慣れて平気なのが言語感覚が鈍っている証拠
おまけに道理も解さず被害妄想に陥っている
煽りにしてもひどすぎる より敬意を表せると思ってそういう表現を使ってるだけ
そんな敬語表現はない!日本語を侮辱するな!みたいなやつに言語を語る資格はない 眼の前の相手の言い分をその場で「過去」扱いしても「敬意」なんて表せないよ
むしろ話もまともに聞かず上の空に見えて失礼だ
関係ない事項をくっつけて同じだと断定するやつは
言語どころか知的営みすべてに向かない 「品目を確認した」という行為が直近の過去だからだろう
ついさっきの事に過去形を使っても文法的には間違いでも何でもない
日本語のセンスのないバカチョンが文句をつけているだけだ >>190
違和感も何もないわ日本語ヘタクソバカチョンw あと過去形で敬意を表現するという説はこのスレ以外には存在しないようだな たしかに一部の方言話者には過去形で敬意表現になるみたいな感覚はあるようだよ
でも電話口でいきなり「山田(仮名)でしたー」とか言われても
そういうのに馴染みがない一般の人は驚いてしまう >>193>>194
過去形が敬意を表すと言うのなら、なぜ「よろしい」以外に「た」を付けないのか
「ご注文をお伺いします」
「A定食で」
「A定食でよろしかったですか?」
この時「A定食でしたか?」「A定食をご注文されましたか?」と言ってはいけないのはなぜだ? 「A定食でよろしいですか?」は追認の要求になるんじゃないかね
「あなたは過去にこう言った、それは今でもそう思ってるんだろうな?」というニュアンスが内包されうる
「A定食でよろしかったですか?」とすれば「あなたは過去にこう言ったよね?」と問うだけになる
「正しい日本語」に反する言語を認められない人にはそんなの受け入れられないんだろうけど >>198
じゃああんたは「過去が敬意を表す」とは思っていないわけだな
だったらこの流れではそれを言ってもらいたい >>199
>>198みたいな論理で「過去形にすることでより敬意を表することができる」のであれば
「過去形で敬意をあらわせる」と言えなくはないんじゃないの
まあ、どのみち今のところは「正しくない日本語」としか評価されてないんだから
「過去形に敬意はあるか」という単純な問いには「はい」とは言えないな 「過去形で敬意を表現してる」っていう便法は若者サイドの悪手だから
英語からの類推でこういう仮説を作って老人に対抗しようとしたんだろうが完全な間違いだ
あくまで過去形は過去形でしかない
「今の見た?」とか「ねえさっきの話どうだった?」ってのと同じで
この過去形はつい今しがた起こった出来事について言及している、それだけの用法
ついさっき店員がつらつらと復唱した商品名について「ねえ今ので合ってた?」と正解かどうか確認しているだけだ
それにとにかく若者を叩きたい老人が滅茶苦茶な難癖をつけ始めたのに対し
更にバカの上塗りで若者側が英語と同じで「過去形は敬語」とか意味不明な言い訳をし始めた
結局大衆は年齢に関わらずバカしかいないということが露呈しただけの事件だよこれは
老害とかゆとりとか関係無い
大衆はバカばかり 若者を叩きたい老人の滅茶苦茶な難癖なんてどこにもない
自分が使う言語とまるで違う言語が広まりだしたら、誰だってそれを正したくなる
人として当然の権利なのだ
よく「言語は自然に変わる」なんて言うが、バカバカしい、自然現象か何かと勘違いしていないか
言語自体が独り歩きしているわけがない 言語のある所には必ずそれを話す「誰か」がいるのだ
言葉を誤解して変に捻じ曲げているバカがどこかにいるのだ
だったらその場で正せばいい、それだけだ
バカを神様扱いするな 文字文明を築いた時点で自然言語なんて幻想だって気付けよ あと、自然言語自体がそもそも機械の人工言語に対する概念で、
べつに規範を否定するものじゃないぞ
自然民族だって若者が変な間違った言葉遣いをしたら叱って直す
それさえ抑圧させる誤った思想は結局直された若者が
安いプライドだけ気にして吐く屁理屈でしかない じゃあfishを「さかな」と呼んだり「先輩マジパねぇっすね」と言ったり「思惑」という表記を使ったりするのは間違った日本語なの?
「間違った日本語」と「正しい日本語」の境界線はなに? サカナとは酒肴のことだろう!と怒る中世人は生きていない
マジパねえっす!はバイト仲間の間で使い、上場企業で部下が一回り上に使うのでなければいい、
単なる「文体」上の使い分けの問題であり、「文法」的に 合っている/間違っている の問題ではない
「思惑」は辞書にも載っているし、由来が当て字だといっても「時計」のように定着している
そもそも「当て字はすべて間違っている」なんて誰も言っていない
言うやつは文学的表現を解さず、常用という概念がなく、用字法の原則を曲解した理系もどきだろう
常用の当て字はそれも規範のうち
「よろしかったですか」はおかしい、間違っていると主張する人が現実に多数存在する
お前の反発は何から何までピント外れで意味不明 規範否定派はいつも極論しか口にしないよな
だから屁理屈って言われるんだよ
不愉快なものを不愉快だと言って何が悪い 然かしながらまぁ、新しき物言ひに反發し乍ら老人はお先に退場して逝く
然うして世は移ろひ往く 「よろしゅうございましたか?」に言い換えて問
題がないのならなにも日本語として問題ではない
な そういうことは聞いてないんだよな、頭悪いな
新しく生まれた、もしくは新しく生まれたと言われることがある表現を「正しい日本語」と「間違った日本語」に明確に分別する論拠があるかと聞いてんだよ
じゃあ「敷居が高い」「確信犯」「役不足」「存亡の危機」「願わくば」「マジ卍」「草生える」は?
感情論とか個別の判断じゃなくて一般化した正しい/正しくないの定義をよろしくね 「よろしかったですか?」を過剰に嫌悪する連中は形容詞の過去形の座りの悪さが嫌いなだけだろ
すでに形容詞は「です」と接続して良いことになっているのだから規範も糞もない
自分の感覚の違和感を規範に求めているだけ
「先ほどのお客様のご注文はA定食でよろしゅうございましたでしょうか。」
「さっきお前が頼んだのA定食でよかったっけ?」
どちらも自然な日本語
過去形にするななどと非難される謂れはない >>211
認知されたものもあれば、否定されて消えていくものもある
その中にあるものだってそうだろ
社会全体を覆ったかと思いきや消えていった「はんちく」とかな
それだって感情を含めた「人」の選択の結果だ
言語全体が人の感情を離れた、
逆らうことのできない自律的な巨大な生命体であるかのように思いこんでるお前は頭が悪い >>213
当たり前の話だろそんなの
その理窟で進めれば「よろしいですか?」 >>213
当たり前の話だろそんなの
その理窟で進めれば「よろしかったですか?」はある程度の市民権を得ているのだから
明らかな正当性もなくただちに「間違った日本語」だとするのは適切ではない
明らかな正当性がないのに「よろしかったですか?」を糾弾するのは正当性のない「正しい日本語」論によって話者をいたずらに困惑させた(させている)
「了解しました」「的を得る」のような悲劇を繰り返すだけだ 人間は感情の生き物だからな
その感情の赴くままに生きる人間の言語活動を観察するのが言語学だ
本当に言語を研究したいならとにかく難癖をつけたいというおかしな感情を持つ老人とも
根気よく付き合っていかなきゃいけない 怒りぷるぷる感情丸出しワロタ
「過去は丁寧じゃない」はい正当 顔も性別も見えないのに老人認定
外国語板から多数流入してからこういう認定したがりが増えたな
そのうち芸能人の話をしたがるぞ たとえ「よろしかっただすか」批判の端緒が若者のことが気に入らない老人のでまかせがだったとしても
それすらも清濁併せ飲んで観察の対象にしないと本物の研究者じゃない
どっちが正しいか誤ってるかを判断するのは研究者の仕事じゃないよ
社会生活の中で老人・マナー講師陣営VS自由な言語活動を求める人々の戦争の結果を
どちらが勝とうと淡々と受け容れて記述するのが研究者の仕事 正直言語学者からしたら一部の話者が「問題がある」という認識を持ち始めたら止めようが無い
たとえその認識の根拠が薄弱でとても正当なものに見えようと見えなかろうとだ
こうこうこういう証拠があるからその感覚は間違っていると反駁しだしたらそれは既に舞台に上がってることになってしまう
真の言語学者は舞台上で起こっているありとあらゆる言語活動をただただ唯々諾々と受け入れるしかない いや一部のアホしか間違ってないなら「一部のアホしか間違ってない」って分類しなきゃ駄目だろ
誤用の普及を手伝うのも言語の変化・進化を促進するのも言語学者の仕事じゃねーわw
言語学のカケラも知らないドシロウトが恥ずかしい長文連投すんなw >>201
英語の過去形は敬語ではない
そんな話は無いw ここまで「過去形は間違った表現」であることを既存の規範から証明した書き込みは見当たらないけどな ここまで「過去形は丁寧を表す」ことを言語学に証明した書き込みは見当たらないけどな 「よろしかったですか?」は正しい日本語とも正しくない日本語とも言えない
→分かる
「よろしかったですか?」は正しい日本語である
→「正しい」に妥当な定義を与えた上で正しさを証明せよ
「よろしかったですか?」は正しくない日本語である
→「正しくない」に妥当な定義を与えた上で正しくなさを証明せよ 「過去は丁寧ではない」と「過去形を使ってはならない」は全く違う
ここまで論点がそれた感情的な書き込みしかないぞ誤用派は
こう書いて「言語は感情〜」みたいなこと言い出すようじゃもはや手に負えんが 「最近の若い連中がよく使ってる」とか言ってる時点で論理上言語学上の誤用ではありえない
この掲示板が出自だかの自分じゃ使わない言葉遣いも多いが
それらを誤用とは言わないのと同じこと >>229
なぜ注文の確認にしか使われないんだろうね
もっと広がっていく気配すらない >>231
それを考えることにいったいなんの意味があるんだい?知恵遅れくん で、こいつらのいうところの規範に反してるって根拠はどこにあんの?
耳障りだ!って感情論しか見当たらんのだが
そんな意見は一億分の一のデータとして以上の価値はないよな
言語学板以外のところでアンケートスレでも立ててそっちでやってろよ 日本語警察やってるやつって結局自分を大きく見せたいだけにしか見えんな
まあそういう人間がいることも含めて推移を見守るべきなんだろうが >>232
答えられないからって質問の価値を低めるとか低劣になったね >>234
注文の確認にしか使われない、汎用性がない
これが立派な根拠だよ 注文とかの確認以外に「よろしかったですか?」が使えそうなシチュエーションってあるのか? 禁止派の人に聞きたいんだけどさ、
「先日のお話では「AにBをしろ」とのことでしたが、あれは「AにCを使ってBをしろ」という意味でよろしかったのでしょうか?」
みたいな使い方も駄目なの?
これも駄目だって人は「よろしい」という動詞の意味が形骸化して
「よろしいですか」でひとかたまりの慣用句だと考えてるだけなんじゃないかと思うんだけどどうなんだろうね >>239
禁止派じゃないけど答えよう
問題となっているのは「よろしかったですか」そのものではなく、
過去でもないもの、他の場面では近い過去ではあっても過去表現を使わないような注文の確認で
「よろしかったですか」を使うという「組み合わせ」だろう
人の話をちゃんと聞けない人はすぐそうやって誤解する
あと、「よろしい」は動詞じゃなくて形容詞な
自分の感覚を言うと、相手の意向を尋ねるという接客敬語なら
「よろしかったでしょうか」ぐらいに柔らかくしたほうがいいと思う
いきなり「ですか」にする部分が不躾じゃないかな
それなら過去の「た」を使うのはまだ平気だな >>240
質問をしたのは過去の話だろう
現在の質問で
「焼肉定食をお願いします」「焼肉定食でよろしかったですか」と間髪入れずに言われた経験があるやつはほとんどいないだろ
少なくとも数秒は間が置かれてるはずだ
「よろしかったですか」を「よかったですか」の敬意がある表現であるとするならば、
「よかったですか」に置換して違和感がないならば「よろしかったですか」にしても何ら問題はないはずだ
そこに違和感があるとすれば、それは「過去形だから」ではなく
単に敬語としての座りの悪さとかそういう問題じゃないのかね
違和感の原因をただ過去形に求めるのは道理が通ってない >>241
焼肉定食一つならそれでも違和感がある
いくつか品目があるから過去でも違和感ない
そこには「瞬間」ではなく「経過」があるから
数秒の間、なんて物理的な屁理屈をこねられても人間は機械じゃない 「ありがとうございます」と「ありがとうございました」
どう使い分ければ良いのやらね。 「よろしかったですか?」=「ここまでの私の応対に何か落ち度はありましたか?」 馬鹿丁寧、気の回しすぎ、結果的に慇懃無礼
だったら「ですか」を「でしょうか」に変えるだけでいいのに よろしかったですか、こちら〜になります‥こういうバイト接客物言いが出てきて多くの者が変に感じ、どこから広まったかを詮索してたなぁ
いつ頃だったか、世紀の変わり目頃だったろうか
そうして接客研修用のVHSビデオにたどり着いたとかやってたな
それも同じ業者の特定のビデオが大元だと言っていた
外食産業だとかコンビニが社員やバイトの研修用にこぞって購入して無反省に垂れ流したのがこういう物言いの蔓延に繋がったようだ 相手が何か有りがたきことをしてくれて
「ありがとうございました」と言うと
「もう十分ですよ、これまでのこと、感謝します」になるけど、
「ありがとうございます」と言うと、
「まだまだしてくださいね、おねがいしますよ」と
ちょっとずうずうしい未来形も加わり、敬意が半減する? 何かしてもらったことを感謝するなら
「どうもすみませんでした、ありがとうございます」
みたいな感じかなあ
「ありがとうございました」にしちゃったら
もう感謝していないふうになってしまう >>247
やっぱり人為的に言葉を改悪していた者がいたんだな
反規範の立場で自然な言語の流通なんて言ってるやつがいたが、自然が聞いて呆れる >>247
そのソースに何か特別な権威でもないかぎり、
それがたちまち多くの日本語話者によって鵜呑みにされ、
模範にされていくとは考えにくい。
その言葉が変だと多くの話者が直感するものだったとしたら尚更のこと。 外食、コンビニで蔓延して利用者の耳に馴染んだだろう 既に成人している者には聞きなれない言い方だったが、若年層はそういう言い方をするもんだと受け取るだろう 自然言語なんて一度広まったもん勝ちだからな
保守的な権威主義の人間は認めようとしないけど 正しい日本語本とかに洗脳されてると見ることもできる
少なくともアカデミックな教養はなさそう 教育機関が何もしないでいるうちに
企業教育の民間業者がいいかげんな知識で変な言葉を教えて
それを何も知らない現場の企業と若者が「権威」と勘違いしたんじゃないか
それって言語自体の進化でも何でもないだろ
正しい日本語本だってピンキリなのにデタラメなキリ以下のが蔓延する
国語教育って表記法と、文章を読んで内容把握ばっかりじゃん
文法だって外国と違って口語の規範なんてゼロ、古典の品詞分解で終わり
ここでヒステリックに反発してる反規範の「進化」盲従者の言うとおりの権威者なんて居ない ありもしない「権威」を仮想敵にして反発してるなんてみっともないw
規範はこれから打ち立てようっていう程度のものでしかない どういう言葉遣いがいずれデファクトスタンダードになってゆくかは成り行き任せだ
バイト接客用語では「一万円からお預かりします」というのもあったが、近ごろあまり聞かなくなったような気もする 言語は戦争だ
強いものが勝つ
もちろん保守側が新興勢力に対してカウンターで買ってしまう場合もある >>252
「馴染んだ」ってことは多くの日本語母語話者に違和感を持たれず
自然な表現として受け入れられたってことじゃないか。
新たな表現ってのはそうやって普及していかなければどうやって普及する? >>253
言語が変化しうるなら、世代交代ということもあるだろうね。
古代人がまだ生き残って社会の指導層に君臨していたら日本語はいまでも古代から変化しなかったかもしれない。 >>263
ことばの規範教育ぐらいドイツでもフランスでも行なっている
日本は文学鑑賞しかしない不自然な国語教育の国
だから大人も子供も非論理的なお手本を示されるとそんなものかと盲従する
それが下品な研修ビデオの成果だ >>262
言語政治学なら、言語市場をいかに支配するか統制するかそのヘゲモニーを握るかをめぐって諸々の社会集団が駆け引きをする、
そういう社会的現実を言語紛争・政治力学としてモデル化して現実を観察するかもしれないですね。 そこを客観化して観察対象にするんじゃなくて、「こうあるべきだ」論に持って行っちゃうと、それはただの道徳論になってしまう。
言語道徳論ね。それはそれでいいんだけど、科学的視点と無闇にごっちゃにしないほうがいい。 「よろしかったですか?」のどこが非論理的なんだろうな
俺が気に食わんから、新しいから非論理的だ、なんてほうがよっぽど暴論で非論理的だが >>268
俺も論理・非論理という文脈においてはアンチよろしかったですか派に分は無いと思うけど
感情的な暴論を否定しようとは思わないな
守旧派が感情的に特定の表現を嫌ってしまった以上、その感情を他人が否定する権利は無いし
その感情的な暴論が輿論の過半数を制圧してしまった場合、
常に自由民主主義を希求する自然言語としてはその暴論が勝者だと認めざるを得ない ヒトラー率いるナチス政権だって民主的なプロセスで政権を掌握した正当な政権だ
それと同じで民主主義を重視する自然言語界ではたとえ歪な思想の下に行われた言語行為であっても
大衆の支持を獲得してしまえばその正当性を認めなくてはならないのだ
それは「よろしかった」派でも反「よろしかった」派でも同じことだ 何の理屈にも基づかない一20代の若者の直感としては
商品名を一個だけ繰り返した場合は「よろしいでしょうか?」が妥当
商品名を4個も5個も長々と羅列した場合は「よろしかったでしょうか?」が妥当
というのが率直な感覚です
商品名をいくつも列挙して「よろしいでしょうか?」というのは正直居心地が悪いですし
後関係ない話ですが「ですか?」と言い方は何だか気持ち悪くて「でしょうか?」の方が座りがいいです
理屈勝負には何の参考にもならないでしょうがあくまで若者の言語感覚の一例として記述しておきます >>270
非論理的な主張を非論理的であると言ってるだけで、
非論理的な主張に基づいた単語が全局を制圧すること自体は否定しない
「的を得た」が誤用だという主張は非論理的であったと言わざるを得ないが、
その結果「的を得た」を使う話者が減ったことも認めざるを得ない >>266
言語が経済行為なら、誰が誰と何を売買するの?
そのことで誰が得し、誰が損をし、どんな貯蓄や投資が行われるの? 言語市場と言っているんだから、言語経済学も支持していることになるだろう
言語経済学以外の文脈で言語市場という用語を自明の概念として使う者はいない >>280
それ、>>266に言ってるんだよね?
音沙汰ないけど いや、言語市場という言語経済学用語を使いこなしている>>266が答えるのが筋だろう
むしろ言語政治学という用語の使い方が間違ってるけどな 委員長に勝手に妄想を抱き、下劣に特定し、誤解し失望し悪意をぶつける
この糞みたいな流れにふと思い出す
ネットに残る大昔の今も膿む傷を
俺が嫌悪感を覚えるコピペに国府田マリ子ファンコピペがある
10年余りファンをやってて結局自分には何も残らなかったというアレだ
そいつは追っかけをしていた10年を後悔し
「声優のおっかけは何も生み出さなかった」と言い切る
イベントにコンサートにラジオにと楽しかった充実した日々を無かったものとし、
大好きな人を想うことが出来た幸せな時間に感謝せず、
自分の10年余りを全否定する
それは大好きだった人への下劣極まりない屈辱
大好きな人を裏切っているのは他でもない自分なのに
そして俺もまた、嫌悪している大昔の声優ファンと同じ事をしていると
大好きな委員長を屈辱していたと気付く
煌めくクリエーターのように作品を生み出せない俺は「無産だから」と自嘲する
委員長へ作品を通して想いを伝えられない苛立ち、嫉妬、言い訳、諦め・・・
『無産』と書き込む時俺は、いったいどんな顔をしているのだろう
「追っかけは何も生み出さない」と後悔する者と「俺は無産だと」自虐する者
自分を『無産』だと言い切るのは
『貴女を好きになっても何も生み出せない生産性がない』と言っているも同じだ
どちらもそこにあるのは、自分勝手で相手の事など考えない負の感情
好意を寄せる対象への感謝の気持ちから出る言葉では決してない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています