では、スタイルとは一体何なのか。

ボードウェルによれば「様式とは、そのメディウムに属する技法を、体系的かつ有意義に用いること」である。

体系とはシステムのこと。

同一化技法論争を見ていくことで、何らかの「技法」が使われているかどうかという形式的な基準だけで、映画的かどうかは判断できない、ということを論じる。

宮本大人や伊藤剛は、竹内オサムがいうような同一化技法は戦前から使われていたことを示してきた。あるいは、泉信行は、同一化技法に複数の技法があることを示してきた。

しかし、技法があるかないかの形式的基準だけで見ても、「映画的」かどうかは判断できない。

技法と効果を区別した上で、作品全体の中でどのような効果があるものとして使われているか

POVショットという技法は、戦前のマンガや物語映画以前の「鍵穴映画」などにも見られる。しかしそれだけで、この技法が映画的というわけではない。「映画的様式」の中で使われることで「映画的手法」と捉えられる。

様式は、技法を体系的に使うこと。そしてその体系が、通時的に見て変化するし、共時的に複数存在することで、進歩史観を排除できる。例えば『のらくろ』の平板で固定的な構図を、現代からみて劣位なのではなく、
例えば田河水泡が大正アヴァンギャルドであることに注目して、異なる思想に基づく異なる様式を採用した作品として解釈する。


楳図かずお『目』について

POVショットを視点の同一化として使う映画的様式を駆使したミスリーディングなトリックを用いた作品であるが、
ラストシーンで恐怖の表情を浮かべる主人公の女性が何を見てしまったのかを描かないことで、映画的様式の臨界点を示す作品でもある。