タガログ語(フィリピン)
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>>408
その古英語の時代はイッキとかイッチみたいに発音していた
オランダ語では今もイック、ドイツ語では摩擦音化してイッヒ
英語ではその後cが落ちて代償延長という変化でイーとなり
500年前の母音大推移でアイになった
古英語の段階ではアの音はない >>403
そのkuやkoの部分の方は、中国語やチベット語の系統のngaとの可能性を検討できる要素
そのngaは日本語のa,waにつながっているかもしれない >>407
スルとコスルは、別。
コスルは、カスル、サスルと同類。
コスルは、(コス+ル)。 >>410
タガログ語のako(私)のko、マレー語のaku(私)のkuについては、以下のほうが類似性が高そう。
ベトナム語 cao(私)
タイ語 ku(私) タガログ語ダメ押しの一つ。
日本語 kama(カマ)=鎌
タガログ語 kamay(カマイ)=手
稲などの株を刈り取る農具が、鎌。
この字の漢音は、レン。
その鎌を、なぜカマと呼ぶのか。
タガログ語で、手のことはkamay(カマイ)。
また、kamao(カマオ=拳)。
つまり、鎌の金属部と木製の柄の部分の形が手の形に似るから、この鎌をカマ=手と呼んだもの。
日本語で猫などを相手に遊ぶことを(カマウ)と言い、また格闘するときの姿勢などを(カマエル)という。
いずれも手でもってそのような仕草をするので、その手の呼び名である(カマ)が用いられた。
タガログ語のkamay(カマイ)=手は、その日本語のカマ(鎌=手)と、まったくの同系の言葉だといえる。
先にも述べたが、日本語のタ=手もタガログ語のtainga(タインガ)=耳と同系の言葉であった。
日本語の語彙には、フィリピンタガログ語と同系とみられる語彙が、実に相当数みつかるのだ。
その語彙の祖先は同じ、ということになってくるのではないか。
わははははは。 音が近いと意味が遠い
意味が遠いと長々と理屈を付ける
しかも音が近いと言ってもいつも単発例で法則性ゼロ
かえってウソくさいんだよ
わかってねえなあ >>416
だが、反論できんパラノイア。
その理屈を覆せない脳タリン。
難癖つけるだけの勉強不足。 >>422
勉強不足はお前だ
「偶然の一致」ではないことを示すための方法論が比較言語学にはある
お前はそれを知らずただの語呂合わせを繰り返す統失 >>423
お前がその方法を使って、偶然の一致か有意であるか検証してみればいいこと。
お前が正直なら、その結果をワイの報告すればよい。
それだけの話。 >>425
それはお前の仕事
タガログ語と日本語の関係を信じている者が証明するのが当然
「難癖つけるだけ」のやつは、解決法を示さないが、
反論者である>>416はすでに代案を示している
音が近くて意味が近い例を、いくつも挙げればいいのだ
音がそう近くなくても、並行した類似例をいくつも挙げ、法則性を示せばいいのだ
これだけヒントを貰っていながらそうしないのは、お前の怠慢
他人の空似的な、単発の類似を一つ挙げてはごちゃごちゃ理屈をこねて、法則性も示さずドヤ顔
比較言語学の手法は別に俺の発明ではなく、言語学の常識
お前は常識を無視しているだけのアホ >>426
お前がやれ。
ワイは、そこまで興味なし。 >>427
大した興味もないくせに表面だけの類似ではしゃいでるだけか
そんなの言語学じゃないから出ていけよ
言語学と関係なくても平気なんだから出ていけよ さて、タガログ語語彙の中には、日本語の語彙と極めて類似するものがある。
おそらく、タガログ語の祖語と、日本語の祖語が非常に近い時期があったためだろう。
そのために、日本語語彙の中にタガログ語の語彙と極めて類似するものがみられるのではないか。
次のものは、そのことを指し示す例のようにみえる。
タガログ語 matur(マツル)=ありがとう
日本語 matur(マツル)=祀る
タガログ語では、salamat(サラマッ)は、ありがとう、感謝の意味だ。
なので、salamatの語幹のmatと、maturの語幹のmatuは同じであり、このmatが感謝、ありがとうの意味を持っているとみることができる。
そうなると、日本語の祀る(matur)の語幹であるmatuが神を祀り、神に感謝することであることを考えると、タガログ語のmaturと日本語のmaturはほぼ同系の語彙であると想定することが可能となる。
このことから、日本語の(祀る)とは、神に感謝する意であることが推測されるのだ。
日本語の(祀りごと)とは、そうむずかしい内容なのではなく、ごく当たり前に神に感謝することだといえる。
祀るとは、そういうことなのだ。
わははははは。 [まつる] 食物を供えたりする儀式を行い神霊を慰める、祈願する
悪さをしないように安らかにゐますようになだめるのである
感謝どころではない
うっふっふ >>432
その解釈はよくみるが、しかしその解釈では、収穫祭で初穂を供えることの説明ができない。 不作になりませんように、と、豊作になりますように、は同じことだから
畏れと感謝は表裏一体なんですよ >>435
だいたい、豊作祈願、不作にならないように願うのは5月の田植えの祭り。
秋の新嘗では、そのような祈願はしない。 韓国のインチョキ教授みたいだな
語呂合わせ的に日本語と韓国語で似た単語見つけてきて根拠もなしに韓国語起源を主張するキチガイ ハルナの御山が火を噴いて一帯は熱気を帯びた灰や岩で覆いつくされた
山の神が怒りを解くように皆祈ったが収まるものではない
ムラオサ兼警察署長が甲冑をつらねて完全武装で山の神と対峙して鎮火させようとした
ムラオサは熱い灰に包まれて死んでしまったが、祈りが通じてやがて噴火は収まった
千五百年の後に甲冑姿のまま、火砕流堆積物に埋もれ、山の方向に向いた遺体が発掘されたらそれはこの時のムラオサである
神の怒りはすさまじい >>443
その二つにモンゴル語も加わると様子は一変し、モンゴル→朝鮮→日本へと語彙が動いたを表すようになる。
さらにそのモンゴルの先に同様の語彙がみられるとなれば、日本の語彙はもう中央アジアにまで広がる語彙だということになってくる。
つまり、日本と韓国の語彙が同系だというだけのものではなくなってくるのだな、これが。 >>445
これは、スレッド間違い。
ここは、タガログ語のスレだったな。
ごめんちゃい。 このタガログ語の祖語と縄文語が1万2000年前頃に接触して、現在の日本語の祖語が形成されたとのモデルは、まず間違いないところだろうな。
1万2000年前頃にそのタガログ語祖語を話す者たちが上陸したのは南九州で、その遺跡もちゃんと判明している。
舟を造るための丸ノミ型石器がみつかっている。
この形の石器は、南方でみられるものであることは証明されている。
また、燻製施設、蒸し焼き配石も見つかっていて、いずれも南方起源のものだろうということだ。
この南九州には在来の縄文人がいたわけだから、彼らと混交したと考えられる。
そこで、縄文語とタガログ語祖語の者たちとの混合語ができたというわけだ。
肝心なことは、1万2000年前頃に南九州にやってきた者たちの起源地が、どうやら中国南東部あたりであったらしいことだ。
この中国南東部あたりは、タガログ語祖語を話す者たちの起源地でもあると考えられている。
で、現代の日本語の語彙とタガログ語の語彙に少なくない類似がみられるのは、このためだというのがワイの主張なのだ。
そして、現代科学は、その中国南東部あたりがYハプロO1aの起源地であることも突き止めている。
現在の日本ではY-O1aは少ないが、彼らが日本語の祖形を形成した片方の主役だったことは、たぶん間違いないだろう。
フィリピンのタガログ語話者のO1aは、日本人の親戚のひとつだということになるのだ。
わははははは。 ハロープロがどうしたとか煙幕張って一酸化炭素中毒を狙ってるんだろうが、妻がピーナでタガログ語話者が親戚になったのだろう >>451
しかしまあ、タガログ語話者も、種族的には中国南東部福建省あたりが発祥だがな。
最近は、縄文中期頃に焼畑を持ってやってきた者たちもいて、この種族は広東省あたりが発祥と主張されているようだ。
またさらに、縄文晩期に水稲をもってやってきたのは、やはり広東省あたりが発祥の種族らしいから、とにかく日本の初期の文化形成にあたって、中国南部発祥の種族が大きく関与したことは間違いないだろうな。 稲作が中国南部あたりから日本へ渡来したんだろうとは近年言われていること
だが、言語も同様と断ずることもできまい
台湾、フィリピン、マレー、ミクロネシア、ポリネシアあたりがオーストロネシア語族として捉えられるのが一般
日本語とオーストロネシア語族とは音韻や語彙に関して十分ではないが類似も指摘されてはいるが、推定にとどまる例が多い
北方のアルタイ語族との類似も過去に注目されたが、類型的に似ているとの意味以上は出て来ていない
日本語は北方系の要素もあり、南方系の要素もある言語のようだ
特にこの言語と同系統だと言ってしまうことはできない
だからこそ、いろんな系統論が出てきやすいんだろうけどね そもそも印欧語の系統図って
印欧語族が常に征服者だったからこそ成り立つもので
アジアでは単一の語族が支配的なわけじゃないから
同じような系統図が作れるわけがないんだよね 世界の支配人種であるヤムヤナ人はホモサピエンスの最高傑作だからな
そこらの劣等民族はわけが違うわけよ まあ、日本書紀の日向神話などにみられる南方系説話の痕跡と、タガログ語の語彙と日本語の語彙が類似するケースが多々みられることとは関連があるということになってくる。
そして、これに南九州における考古学的な知見を合わせると、縄文時代に中国南部発祥の種族と旧石器時代から列島に在住してきた縄文人との混交が起こったことは、相当高い確率で想定できるだろう。
これまでに言われてきた日本文化の基層には南方系の文化があるとする説は、こうしたことによって立証されるのかも知れない。
ただ、元々の基層文化は北方系縄文人の文化であり、その基層に深く関与したのが渡来した南方系文化だというのが正しい見方だと思われる。 そこで、この証拠。
タガログ語 kataan(カタアン)=言葉
タガログ語 kata(ケイタア)=言った
日本語 kataru(カタル)=語る
日本語のカタル(語る)の原意は、(言う)かもな。
わははははは。 >>461
へぇ〜
先進国である日本や欧米に人権が人気なのはもちろん知ってたけど
後進国にも人権ってあるのか >>460
台湾からポリネシア系が南へ拡散したのは古くても5000〜2500年前のことだという
フィリピンを経て紀元前2000年頃にはインドネシアに達した
5000年前であってもその頃には日本列島、琉球弧とも既に縄文人が暮らしており、ポリネシア系は入り込む余地がなかった
その後、台湾には渡らなかった華南の人々が弥生人として稲作とともにやって来た
ただし、オーストロネシア語を話すモンゴロイドとしてはもともと華南、台湾にまたがっていたのだが、台湾に渡らないまま華南で数千年を過ごした人たちが日本に来たもの
>>461
カタルは、ある程度まとまった考えやストーリーを述べること
暗唱したものを節をつけて吟じたりもする
イフとは違ったニュアンスを持たされた別語彙 つーか今の日本人の遺伝子にオーストロネシア系民族の血って入ってないだろ
そりゃ言語自体は生物学的遺伝と関係なく伝播することもあるけどさ 華南から渡って来た人は台湾原住民と数千年の時を隔てて北方モンゴロイド化し、風貌もポリネシア系のそれではなくなっていた
ただ、ポリネシア系とは下戸遺伝子を共有し、日本にももたらされた >>463
中国南部からフィリピンなどへ渡った第1波は、1万2000年前〜7000年前だったというのが通説だけどな。
「フィリピン基礎講座ー歴史(先史時代からスペイン来寇まで)」
をみてちょ。 >>463
現代の日本語の意味では、それが正しいが、古い時代には(語る)は(話す)くらいの意味だったと思うけどね。 >>464
こういう語彙の対照では、語幹の発音が似ているかどうかが重要。 >>465
この1万2000年前の渡来者は、Y−O1aだったと思うね。
日本人のO1aは全体の1.2%ほど。
1億2000万人に対して1.2%は、144万人になる。 まあ、どちらにしても、日本語にはオーストロネシア語族の最も古い語彙が現在も存続している可能性が高い。
学者の中には、日本語をオーストロネシア語族の中の一つとみなす者もいるそうだから、
日本語の語彙とタガログ語の語彙には類似するものがかなりみられるというワイの主張は、そうそう間違ったものではないと言うことができる。 母音終わりの発音や、ワクワクだとかピチピチだとか繰り返す擬音・擬態語は南洋の香りがするけれども
文法は北方系のようで、モンゴル人力士の日本語のうまいこと
語順が一緒だとか >>472
学者の言う“二重構造論”が、それだよね。
元々の縄文語は、北方系じゃないかなあ。 >>474
弥生は、どうみても南方系。
O1b1だし。
縄文南方系は、無理。
ナイフ型尖頭器や細石刃は北方種族由来。
縄文北方、弥生南方は、動かん。 弥生人は顔だけ見てると醤油顔で北方大陸人風だけど、熱帯作物である水稲を栽培してきたポリネシア系華南人の末裔
彼らがやってくる前に列島に居た縄文人は、半島からも樺太からもいろんなところからやってきた旧い人種
寒冷適応したモンゴル風の顔が出て来るより前の顔
弥生人の方が大陸でモンゴロイドの影響を受けていた
‥そういう構図が描けるわけだが、さぁ、当たってるのかどうか知らん >>475
ルート自体は両方南方経由の北方なんだよ
ここでいう南方北方は言語の話 中国南部、台湾、フィリピンなどで濃密にみられるY-O1a系の細分類は、ウィキによると次のような系統になるようだ。
O1a1a2=日本、浙江
O1a1a2a=北京
O1a1a2a1=北京、湖南、福建、雲南タイ族
O1a2=台湾、フィリピン、インドネシア、マダガスカル、メラネシア、ミクロネシア、ハワイ
これをみると、台湾やフィリピンほかオーストロネシア語族とされる系統は、中国南部から渡海した時にO1a1a2系統から独自にO1a2に変容した可能性がある。
一方、日本と百越系はO1a1a2の基本系を維持しているようにみえる。 華南 → 台湾 → フィリピン、インドネシア、メラネシア、ミクロネシア、ハワイ‥
華南 → 弥生人 >>484
弥生人の先祖の起源地が華南であるのはそのようだが、弥生人のYはO1b2a1とされ、朝鮮民族や満州民族の稲作民はO1b2a2とされている。
そして、東南アジアなどにみられるオーストロアジア語族の話者はO1b1a1aとされ、日本などのO1b2とともに中国南部で発生したとみられている。
そこで、同じ華南発祥でも、日本や台湾などへ渡ったO1aは浙江省・福建省あたりで、東南アジアへ南下ししたO1b1や日本などへ稲をもたらした弥生人O1b2は広東省・広西壮族自治区あたりであったのではないか。 日本のO1a1a2は、オーストロネシア語族である台湾、フィリピンなどのO1a2の祖先と近い関係なのかも。
台湾やフィリピンに渡る前の浙江、福建にいた祖先たちは、O1a1だったのかもね。 華北にO1aはみられず、一方朝鮮、満州、モンゴルにまでO1aがみられるということは、このO1aは日本から北上していったものと考えるのがよい。
1万年前には九州系とみられる土器を持った種族の遺跡が済州島でみられ、7600年前には蔚山にも九州系の土器を持った者たちが進出している。
満州などのO1aは、南九州系の縄文人が北上していった痕跡だろう。
この時期はヒプシサーマルの気温上昇期だから、その気温上昇に乗って海岸を進んでいった。
満州の遼河文明で出土する土器には、九州の土器とよく似た隆起文土器がみられるそうだ。 >>491
近畿が密度高いところみると、確かに弥生の遺伝子だろう。
O1b2だな。
中国大陸の沿岸部北上した者らはO1b1。
発生元は広東。 近畿に密度が濃いなら弥生人じゃなくて渡来人でしょうが >>495
近江には弥生前期の大水田の服部遺跡があり、この服部遺跡にまさる大水田が弥生前期の葛城で開発されていて中西遺跡の名がついている。
いずれも、当時列島最大規模の水田だ。
近畿にはすでに弥生前期から相当な資本投下がなされ、渡来系弥生人の入植も進んでいたとみるべき。 >>494
今みたいに行く先々でコンビニがあるわけじゃないから、食料自給しながら進んだとすれば、必ずその痕跡が残る。 最近の血液。DNA研究
北方バイカル湖畔から、Y染色体のD系統を持つ人々が華北へ、さらに日本列島にやってきて縄文人の中核を形成した
その後、弥生時代にやってきたのは華南長江流域で水稲栽培をしていたO系統の人たち
やがて稲作は日本列島から韓半島の南部へも波及した
半島の人たちもO系統であり、その昔住んでいた弥生人(倭人)の後裔が特に南部には多いであろう
現代日本人のY染色体D系統は3割、O系統は5割
O系統は稲作の普及とともに列島に広がり、先住の縄文人と混交しながらも、人口爆発を起こしてその染色体比率を高めた 愛媛県松山市の『東進衛星予備校』の佐伯早苗の態度=「お客様のお子様より友人が大事」←中学生か???!!! 全然関係無いけどY染色体ハプログループで個人を人種分けしようとするガイジ5chにめっちゃ多いよな
Y染色体で遡れるのは父親の父親の父親の父親の・・・・・・・父親の父親が何人かだけなのに >>498
>最近の血液。DNA研究。
北方バイカル湖からY染色体のD系統を持つ人々が華北へ、さらに日本列島にやってきて縄文人の中核を形成した
mazika!
そんな研究あったら、出せ。
日本中、大騒ぎだぞ。 >>502
そのずっと昔の父親のYがD1bで、それ以降も全然変わらん頑固者。 >>505
マクロな民族集団全体レベルならハプログループを分析することは意味をなすけど
個人レベルだとその人を生み出した数万人のご先祖様の中のたった一人がどのグループだったかしか分からん
最低限その血が入ってるいることが分かるだけで個人レベルでは大して意味のない情報 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています