数学を言語として考える
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欧米では数学を言語として研究している言語学者がいるらしい。
日本でも同じように研究してみないか。 人間の脳の中には言語野って部分があるけど、数学野とか数理野って部分はない。
数学的な処理も一部は言語的に行っている可能性が高いね。 数学語の論理というのは、日常語の論理よりも狭い範囲の論理しか扱えない。
「すべて」と「ある」は扱えても、「多い」や「少ない」は扱えない。 メジャー記憶術と呼ばれる方法がある。
0 → s, c(サ行の音), z
1 → t, d, th
2 → n
3 → m
4 → r
5 → l
6 → sh, ch, j, g(ヂャ行の音)
7 → k, c(カ行の音), g(ガ行の音), ng
8 → f, v
9 → p, b メジャー記憶術って日本語には使いにくいんだよなあ。
lとrが別のところとか、fやvが8に当てられるところとか。 >>7
∀とか∃みたいな量化子として存在しないって意味でしょう。 メジャー記憶術を日本語に使うには、4をラ行、5をア行、8をハ行としてはどうだろうか? 誰でもいいだろ。
匿名掲示板の議論で「あんた誰」って何? >>10に加えて、日本語ってラ行で始まる言葉が少ないから、ヤ行とワ行も4に割り振れば良いんじゃないかな。 日本語版メジャー記憶術
0 → サ行s、ザ行z
1 → タ行t、ダ行d
2 → ナ行n
3 → マ行m
4 → ラ行r、ヤ行、ワ行
5 → ア行
6 → シャ行sh、チャ行ch、ジャ行j
7 → カ行k、ガ行g
8 → ハ行h、ファ行f、ヴァ行
9 → パ行p、バ行b 訂正
日本語版メジャー記憶術
0 → サ行s、ザ行z
1 → タ行t、ダ行d
2 → ナ行n
3 → マ行m
4 → ラ行r、ヤ行y、ワ行w
5 → ア行
6 → シャ行sh、チャ行ch、ジャ行j
7 → カ行k、ガ行g
8 → ハ行h、ファ行f、ヴァ行v
9 → パ行p、バ行b +-×÷に母音を割り振ることを考えたことがある。
+がo
-がi
×や・がu
÷や/がe
というように。
これとメジャー記憶術を合わせると、2/3だったらnemみたいになる。 集合論の矢印は「枝分かれ」と逆向き。したがって、日本語の慣用句と逆。
それだけは必要だ(集合論と逆向)
それだけあれば十分だ(集合論と逆向) 言語として考えるのはいい
だが、それが音に変換する事であるというのはいかがな物かと
数字と数学記号はある意味、既に表意文字の完成形だろ
だからこそ1+1は実際の音として各地で
いちたすいちと読まれようがワンプラスワンと読まれようが
ほぼ全世界で翻訳のロスなく解釈可能な意味を獲得してるじゃないか
そこに音を付すべきという方が却って
数字の完全性を損なう俗な考えだと思うが
どうしてそういう発想になるんだ?
文字主体の言語は言語として認めないと?
それとも表意文字は表音文字に劣る物だと?
同じアルファベットすら欧米各国で同じ発音で取り扱われていないのに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています