>>339
突き抜ける前は、道と道の間隔が広すぎて、中央が空き地になっていたそうです。
戦国時代で荒廃していたので大きな家もなかったのでしょう。
それで秀吉は、衣棚通、釜座通とか、あるいは、御幸町、富小路、堺町、間之町、車屋町、両替町の南北の道路を
つくって、土地を有効に利用しようとしました。
衣棚通、釜座通の三条通から下は家が立ち並んでいたので、新しい道路を突き通すのは難しかったようです。