彼ら東北人は当然東北弁を話しますから、下働きの者たちの話し言葉は東北弁ばかりになってしまう。
そのため東北弁は卑しい者たちの使う言葉だとして認識されるようになってしまった。

東北は遅れた地、東北人は遅れた人々、卑しい人々というイメージをかたち作っていく。

こうして東北人は、その内側に大きなアンビバレンツを抱えることになりました。
みんな故郷が好きなくせに、割とあっさり故郷を捨てる。

故郷は好きだ、でも東北人であることが恥ずかしい。彼らは田舎を出て都会へ出ると、まず方言を捨てる。
東北弁を話さないように努力する。

東北人であるというだけで、一段下に見られる……。

いや、そんなことはないと言われるかもしれません。
確かに今現在では、そこまで東北が馬鹿にされるということはなくなってきているかも知れない。

私の高校の同級生が東京の大学に進学し、自己紹介の時に、「東北では東京より5年、流行が遅れている」と冗談で言ったら、それを真に受けた学生がいてエラく腹が立ったといっておりました。

彼は自虐的冗談とした語ったのであって、まさかそれを本気にとる学生がいるなんて思いもしなかったわけです。
極端な例かもしれませんが、実際東北にこのようなイメージを持っていた人たちは思った以上にたくさんいたのです

仙台に地下鉄を通すと聞いて、「あんな田舎になんで地下鉄がいるんだ?」
と本気でいった関西人を私は知ってる。
そいつは仙台に一度も来たことがないのに、イメージだけでそういうことを言う奴がいた。

岩手県出身のフォーク・グループ、NSPがテレビに初出演したとき、「発展途上の岩手県からきました」
と自虐的ギャグで笑いをとっていたのを私は知っている。

千昌夫や吉幾三は田舎者のイメージを逆手に取って人気者になっていった。千さんの以前の奥さん、ジョーン・シェパード女史がCMで「イワテケ〜ン!」と言うだけで笑いがとれた。

すべて実話です。すべて私が子供のころから若いころにかけての実話。

そんなの東北だけじゃないよ!と他の地方の方々は言うかもしれない。
でも、東北ほどその内側に強烈なアンビバレンツ、強力なコンプレックスを抱えた土地は他にないと思う。

それは、「撃ちて取りつべし」とされた昔からの東北の歴史によって生まれたもの。
その歴史の中で、東北人のDNAに深く刻まれたもの。

この感覚はおそらく、

東北人でなければ、

わかるまい。

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