金沢は何かにつけて地元を「加賀百万石」と自画自賛する傾向がある。
平成時代がいよいよ終わりかけているというこの21世紀になっても、昭和でも大正でも明治ですらない、
近代以前の江戸時代のキャッチコピーにいまだに依存しているのである。
みなとみらいに象徴されるように、常に未来をめがけてひた走り続けた神奈川県とは違う。


 これにはネトウヨの自閉的で排外的な国粋主義、歴史修正主義に通じるものがある。
ウソでも何でもいいから、おクニのすごかった過去の大きな物語に寄生することで、とるに足らない膨大な斜陽地方都市の1つに過ぎない現実から目を背けるような、そんな気がする。
 日本の地方には、特に新幹線駅があるような県庁所在地は、変わり映えのしない目糞鼻糞のような地方都市が腐るほどある。
その中で横並びに落ちぶれていて、それでも抜きんでるものをアピールしようとすると歴史に依存するしかない。
高知市が坂本龍馬に依存したりするのもそうだが、君たちは近代国家である日本の21世紀に生きているんじゃないかといいたくなる。

金沢のような地域で、地方の常識に縛られないリベラルな思考を持った若者がどういう状況に置かれているかは、
想像するだけで心が痛むものがある。

北陸新幹線。あれ、いったい必要なのだろうか。
 帰省ラッシュシーズン以外はガラガラである。
言うまでもない。沿線に大都市が1つたりとも存在しないんだもの。
 東海道・山陽新幹線は、東京・名古屋・大阪・福岡の主要4大都市を結ぶ。
太平洋ベルトで近代化した沿線で、多くの人の高速な都市間移動の必要性が発生し、それに伴い建設されたものだ。
1964年の新幹線開業以前の東海道線は輸送力が限界まで逼迫していて今よりはるかに目まぐるしい有様だったと言われている。
では北陸路は?そもそも上越新幹線自体が必要なかったんじゃないか。
こちらも大都市を一切通らない。
 東北新幹線は仙台を通るし、直通する北海道新幹線は札幌を目指すのでまだ存在価値が分かるが、
北陸地域の新幹線は、存在自体が沿線住民以外に何もメリットのない無駄なのである。
しかしこれは全国新幹線鉄道整備法という法的根拠のもと、国家のもとに作られたものである。
受益者は北陸地域住民だけしかいないのに、用地買収から線路・駅の建設・維持とそのインフラのコストは国民全体が背負っているのだ。