ヒトラーは、社会民主党首ヴェルスを指さしたまま、 一段と声をはりあげた。

「諸君はもはや不要だ・・・・・・ドイツの星は昇るが、諸君の星は沈む・・・・・・
私は諸君の投票をあてにはしていない。 ドイツは自由になる、だが、それは諸君によってではない・・・・・・」

社会民主党の支持はいらぬ、というヒトラーの言葉に間違いはなかった。

次いでおこなわれた表決に、社会民主党議員九十四人は全員が反対投票した。 が、賛成票は四百四十一を数え、全権賦与法は可決された。

ナチス党議員は起立して、右手をさしのばし、足をふみ慣らして党歌『旗を掲げよ』を斉唱した。
その歌声をぬって議長ゲーリングは無期休会を宣言して、議事を終えた。

「ナチス独裁の覇業遂に完成す―― 憲法はその髄を抜きとられ・・・・・・かくてドイツ共和制は成立後満十年にして実質的に圧殺された」

『東京朝日新聞』ベルリン電がそう伝えるように、ヒトラーは、憲法を廃止や停止もしない代りに、一ヵ月前の二つの緊急令とこの全権賦与法によって、憲法を超える法的基盤を入手した。

それは、かつて皇帝カイザーも身につけなかった「全能の法力と権力」であった。