前原誠司・小池百合子による「民進党解党事件」の真相
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20数年の歴史を持つ野党第一党が、党首の独断で一夜にして事実上解党するという
日本政治史上に残る事件(解党は結局未遂に)。
前原・小池の両者で何が話し合われたのか?
神津里季生の関与は?
「全員合流」「排除リスト」「刺客」その他の真相は?
その他第三者の関わりは?
まだまだわからないことが多すぎる。本来なら、存続することになった民進党が「検証チーム」を作って
徹底的に真相究明すべきだと思うが、あっさり前原の離党を許してしまった。
今後明らかになることも多いと思われるが、この事件の真相を語り継いでいこう。 民進側には
細野、長島、小沢、前原
このへんが、民進解体をすすめた側のplayerか。ただし、一人一人思惑は違うと。 基本的には前原の頭の中だけだと思う
玄葉だけが多少相談受けてたらしいけど。
小沢も詳細には絡んでないでしょう。せいぜい背中を押した程度
だから「真相」とやらもあんまり漏れてこない 民進党が検証すべきだったというのはその通りだね
党にとっては偽メール事件以上のスキャンダルなのに。 >>1,
細川や小泉が絡んでいることからも
当然、アメリカのジャパンハンドラーが描いた絵だろうね。
小泉は親子代々、アメリカのスーパーイエスマン。
民進にいた長島も飼い主はジャパンハンドラー。
小池や前原の頭でここまでのことは考えられない。
自民党や読売の飼い主がCIAであることはアメリカ政府が公式発表している通り。
昔、社会党を切り崩すために民社党を作ったのもCIAが絡んでいたこともよく知られている。
その後も社会党を切り崩すための政党がいくつも作られた。
アメリカCIAや兵器産業から見れば、言いなりになる政権なら自民党でも第二自民党でも構わない。
原発推進派だった細川や小泉が、急に原発0を言い出して、
都知事選にしゃしゃり出て反自民の票を分散させて自民を勝たせたのも記憶に新しい。 傀儡政党に競合政党の人気政策をコピーさせれば競合政党への支持が傀儡政党に分散するので自党が議席を確保しやすくなります。
現行の選挙制度では特に。 「民進党を解党したい。民進の衆院議員は、希望の党に公認申請させます」
「それでいきましょう」
東京・内幸町の帝国ホテル。民進党代表の前原誠司の提案に、東京都知事の小池百合子が同意した。傍らには、
連合会長の神津里季生(りきお)や、小池に近いネットメディア会社代表の上杉隆もいた。
9月26日深夜のことだ。
前日の25日には、首相の安倍晋三が記者会見し、28日召集の臨時国会冒頭で衆院を解散すると表明。小池も
会見し、新党「希望の党」を立ち上げて、自ら代表に就くと発表していた。
解散まで48時間を切るなか、新党との合流協議を急ぐ前原が上杉の携帯電話を鳴らし、急きょ設定された秘密
会談。前原は民進の100億円超の資金や党職員の提供を申し出たが、小池は断った。そして、注文をつけた。
「全員(の合流)は困る。私は、憲法と安全保障は絶対に譲れません」
憲法改正と安保政策は、小池の保守政治家としての生命線だ。「護憲の方はご遠慮願いたい」と言う小池に、前
原は応じた。「それは当たり前。うちにも護憲なんているかどうか……」
小池は、民進の体質が新党に継承されることを懸念していた。民進は、これまでも自民から旧社会党出身者まで
抱える「寄り合い所帯」ぶりが、党の一体感を損なってきた。護憲政党ではないが、いざ党内で議論を始めれば対
立が表面化しかねない。
小池の思いを推し量った上杉が旧民主党の「排除の論理」を例に出した。鳩山由紀夫と菅直人が1996年に民
主党を結党した際、看板のかけ替えとの批判を受けないために一部のメンバーの参加を拒んだ。上杉は「『三権の
長』経験者を排除するのはどうですか」と話したという。
政権交代可能な政治の一翼をめざしてきた野党第1党を分裂させた小池の「排除」発言の原点は、この夜の密談
にあった。
小池百合子・東京都知事が自ら立ち上げた新党「希望の党」の代表を辞めました。衆院選を前に、「排除」と「踏
み絵」で民進党を翻弄(ほんろう)。野党第1党の分裂へとつながった舞台裏を探りました。
民進を離党し、希望の結党メンバーになった元環境相の細野豪志が同28日夜、記者団に「三権の長(の経験者)
は民進党で中核的な役割を果たしてきた方なので、ご遠慮いただくのがいい」と言った。
そして翌29日。小池は都庁での記者会見で、改憲や安保で政策が一致しない民進出身者への対応を問われ、
「排除いたします」と明言した。 ■ 小池氏「『第2民進党』になったら、両方沈んじゃう」
民進党分裂に至る政治劇は、代表の前原誠司が9月17日午前、東京都知事の小池百合子に送った1通の携帯メー
ルから始まった。
この日の朝、朝日新聞などが臨時国会冒頭での衆院解散の可能性を大きく報じていた。「近々、お目にかかれれば
幸いです」。京都市の自宅で新聞を精読した前原は、意を決して小池にメールを打った。
前原が小池にメールを送っていたころ、ネットメディア会社代表の上杉隆は、民進で総合選挙対策本部長代行を務
めていた玄葉光一郎に接触していた。上杉は元衆院議員の故鳩山邦夫の秘書を務め、小池とは1994年の新進党結
党以来の付き合いだった。
当時、小池側近の衆院議員だった若狭勝らが新党結党の準備を進めていたが、小池自身は距離をおいていた。とこ
ろが、解散報道を受けて、小池も新党代表として国政に関与することを模索しはじめている――。上杉の玄葉への説明
はこんな内容だった。
「若狭新党なら恐れるに足らずだが、小池新党なら話は違う」。前原は玄葉から報告を受け、合流に向けた調整を
水面下で進めることを決めた。
前原には、昨年の参院選で一定の成果を上げた共産党、自由党、社民党との野党共闘路線の継続も、選択肢として
あった。だが、民進内では、共産との連携に反発する勢力が離党の機をうかがっていた。政党支持率も1桁でジリ貧
だった。小池側にも、政治経験の豊かな有力な候補を抱えていないという事情があった。
交渉でネックになったのが、小選挙区の候補者調整だった。前原側は約300の小選挙区を「民進200、新党
100」の割合で割り振るよう要求。一方の小池側は「150、150」と主張し、平行線をたどった。
それでも、前原は民進全員での合流をめざそうとした。小選挙区であぶれたとしても比例区がある。小池と、何度か
電話でやりとりした。小池は「『第2民進党』になったら、両方沈んじゃうわよ」と言って、全員の受け入れには難色
を示し続けた。
互いに警戒していた。前原は「小池側にハシゴを外されること」を恐れていた。小池も「民進に抱きつかれたら困る」
(小池側近)と考えていた。
「これから会見します」。小池は同25日の記者会見で希望の党の立ち上げを表明する直前、前原に電話を入れた。
記者からの質問に答える形で、前原との連携についても話すという。
前原は民進幹部らに「小池さんが民進との合流について会見する」と連絡した。しかし、小池の言葉は前原たちにと
って甘いものではなかった。
「前原代表とは日本新党以来の知り合いで、コミュニケーションは取れると思う。でも、党を丸ごとというよりかは、
政策にご同意いただけるのかどうかが必要になってくる。さもなければ組織をつくる意味がない」 ■「排除リスト」と「踏み絵」の流出
野合と見られることを嫌った小池と、多くの民進出身者を合流させることをめざした前原。思惑が異なる2人の要求
を満たす「しかけ」が政策協定書だった。小池色を前面に打ち出しつつ、民進の主張とも矛盾がない書面を民進出身者
らと交わすことで、双方の心配を一挙に解消するはずだった。
ところが、しかけが完成する前に、事態は思わぬ方向に転がり始める。
前原は、希望への合流方針の了承を取り付けた9月28日の民進の両院議員総会で、安全保障法制を「憲法違反」と
確認。「安倍政権を止めなければならない」「我々の理想の社会を実現するため、大きなプラットフォームを我々自身
がつくる」と説明していた。
翌29日午前。前原と小池は東京・新宿の京王プラザホテルで会談し、公認候補の調整と政策のすり合わせを進める
ことを確認した。
最初に記者団の前に姿を見せた前原は「(民進出身者を)全員公認したいという思いは(小池に)伝わっている」と
強調した。一方の小池は記者団に、「全員を受け入れることはさらさらない」と述べ、前原の発言を一蹴した。
両者の思惑は隔たったままなのに、政権交代可能な勢力としての希望への期待ばかりが高まっていた。小池の「排除」
発言が飛び出したのは、その日午後。小池周辺は「前原の『抱きつき』に、(小池は)いらだっていた」と言う。
さらに間を置かず、「三権の長」経験者に枝野幸男ら十数人の名前を加えた「排除リスト」が永田町に出回った。前原も、
小池も関知していない出所不明の文書。前原は周辺に「フィクションだ」と怒りをあらわにしたが、民進出身者たちは浮足だった。
若狭が民進との協議を経て完成させる手はずだった政策協定書のたたき台も流出した。民進が一貫して反対してきた安保
法について「基本的に容認する」と記されていたため、民進に宗旨替えを迫る「踏み絵」との受け止めが広がった。
「排除」と「踏み絵」に反発した枝野が新党「立憲民主党」を立ち上げた。無所属での立候補に踏み切る議員も相次いだ。
「排除」どころでなくなり、「踏み絵」も民進側との協議を経て穏当な内容になったが、分裂への流れは押しとどめようが
なかった。
前原は「排除リストだとか踏み絵だとか、われわれが『本物ではない』と言い続けても、現実に物事が決まらないなかで
疑心暗鬼が高まってしまった」と振り返った。前原の決断を了とした連合会長の神津里季生(りきお)は「政策と公認の
『門』を狭めた小池さん周辺の罪は極めて重い」と言った。
小池は衆院選投開票日の10月22日、出張先のパリで「政党たるもの、政策が一致するのは当然の話だと考えているが、
言葉の選び方は注意するべきだった」と総括した。だが、その後は多くを語らないまま、今月14日、党の代表を辞し、自ら
劇場の幕を引いた。=敬称略(石井潤一郎、斉藤太郎、南彰) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています