国会議員になっても個人商店
しかし、野党にはこれがない。民主党は、日本新党の流れから、21世紀に入って議席を伸ばし続け、期待が高まった。
だから、地方選挙の新人候補はみな無所属ではなく民主党の地方議員として立候補した。この流れがもう少し継続すれば、
彼らにもこのようなネットワークができたであろうが、政権獲得後、一瞬で崩壊してしまったから、地方議員はイメージの悪い
党から抜け出し、無所属で闘い、再度自分の小さな支持基盤を固め直した。この結果、野党の国会議員は選挙のときに
地方のネットワークをヒエラルキー的に動員することができない。国会議員になっても個人商店で、地元の小さな社会でも、
すべて自分自身ですべてをやらなくてはいけない。これでは、カリスマは出てこない。大きな仕事に集中できない。
当選している地方議員よりも草の根的に活動しないといけない。これは厳しい。この厳しい環境の中で、
当選している議員もいるから、彼らは与党の議員よりも個人としてはより選挙に強いはずである。
これで鍛えられた野党議員たちが、与党になれば、より強くなるのだが、それは実現しそうもない。

逆説的だが、だからこそ、強い彼らは自分の力を頼り、または過信し、有権者にイメージの悪くなった所属政党を批判し、
あるいは内部分裂をし、またはイメージをよくするために、代表を取り替えたり、政党名を取り替えたりする誘惑に駆られる。
これでますます党は弱くなり、イメージも悪くなる。絶望的だ。だから、一発逆転を狙いたくなる。そして、自滅する。これが運命だ。

こんな状況で新しく政治家になろうとする人は物好きだ。ものすごいギャンブルだ。ギャンブルはある意味公平な賭けであるが、
これは望みがなく、自分だけの努力ではどうしようもない賭けだ。だから、有望な人材で合理的な人々は政治家にはならなくなる。
政界は人材不足となるのである。