>>27
JASRACはこれから、こうした事業に本腰を入れなければいけないのではないか、
著作権管理事業と「もう1つのエンジン」をもってやっていくことが、音楽文化の振興という究極の目的に向けて、これからのJASRACの歩むべき姿と考えたのです。

――JASRACが責任を負う必要はあるんでしょうか?

浅石:歴史を振り返ると、JASRACは、ひとりで大きくなったわけではありません。
草創期(1939年〜51年)においては、大変な時期もありました。
しかし、JASRACは1951年に大きな転機を迎えます。
米国作曲家作詞家出版者協会(ASCAP)と契約を結んで、その楽曲を管理できるようになったのです。

1951年当時、JASRACの徴収額は約1800万円です。
そういう状況の中で、ASCAPはアメリカ楽曲の管理をJASRACにまかせてくれたのです。
1951年は私の生まれた年ですから、個人的にも象徴的な出来事です。