森戸 共産党でも、実はこの間ぼくは第五回のプロトコールを引っぱり出して見たのだけれども、労働組合に命令をくだしてはならぬ、ビラはりでも回でも一番むずかしい仕事は労働者がやれ、農民と労働者の共同戦線でも、一番むずかしい仕事を労働者が引受ける、そうすればヘゲモニーを得る、信頼と支持のないところにヘゲモニーはないということをちゃんと書いてありますね。
実現の方法なんです。共産党の方は、本来の党としてのあり方はちゃんときまっておって、頭からやってはいかぬから、むりのないようにやっていけという。
社会党の方は党の方から組織的なものは置いていない。実際的に活動の中で党が信頼されるものになるということで。
大きな基盤はやはり今日の社会が資本主義の社会であって、資本主義の社会の進化というものが社会主義の方向を持つ。この方向に沿いながら社会主義を実現していく。
これを担う力として労働階級というものが最も代表的なものであるという点に、労働者の社会勤労大衆の中における中核的、また推進的な力になる社会的な基礎があると思うのです。
ただ、しかし今日の事情では、現実的意味でプロレタリアートの数というものは日本の国民の多数ではないと思うのです。
労働者の中でもことに婦人労働者のごときは一時的な形で、ことにティピカル・インダストリでは二、三年くらいやって、あとかわるというようなことがあるので、本来の労働者ということができないのではないか、一生自分の地位をそこに持ったことでないと、本質的なプロレタリアートということはできないのではないか、そういう面もありますので、純粋な意味のプロレタリアートというものの数はそれほど非常な多数ではない。
少くとも少数である。しかもこれが民主的な政治のもとで社会主義の推進力になるという大きな歴史的な使命を特っているということであれば、一面ではその使命を確信することが必要であるとともに、この労働階級は他の勤労諸階級と反撥しないことに対して、これはディクテーターじゃないのだから、心服させ、自分のあとについて来る力にしなければならぬ。
このことが非常に必要であると思う。労働者は自分の歴史的使命の確信を持つとともに、持てば持つだけ自分の特殊の職業的集団的な、利益というものも主張するが、同時にそれが非常に強く現われてほかのものと対立を示すというか、他の勤労大衆と反撥した形にならぬようにみずから押えながらこれを率いていくというところに、特権的地位としてでなく、民主的負託としての労働者階級の意義というものがある。
そういうふうに心がけてもらうことが、主導性を実現する大きな道だと思っておるのです。

勝間田 稲村さん、どうですか。