>>250みたいなスタンスだと、そもそも「読む」必要がないよね。
千野栄一の本に、発音は一切わからなくていい、化学論文の内容が訳せればそれでいい、っていう日本語学習者の話が出てくるけど、そういうやり方でいいんじゃないの。「読み方」に口を出すべきじゃない。

言葉として接するのなら、細かい発音がわからなくても、当時の音に近づこうとする姿勢は必要。文学に向き合うなら特にね。「言葉は音」なんだから。
中国語にしても、当時の音を再現する試みはずっとなされてきたし、それこそが古代中国語学の中心的テーマだ。
そこでなぜか音声学者を持ち出してしまう言語や言語学と縁遠い人だと、知らないかもしれないが。

「必要以上に」というが、そもそも再構音を使うことは言葉として扱うなら必要ということ。当時の a が前よりだったか後ろよりだったかは、「必要以上」かも知れないが。