平将門 第三首
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
『尊卑分脈』によれば桓武天皇の5代後。
すなわち天皇の傍系である葛原親王の子・高見王が平将門の曽祖父。
天慶三(940)年二月藤原秀郷と平貞盛に討たれた。
そもそも将門の野望は何だったのか。果たされるものだったのか。
伝説もさまざま。生年が不明だが死んだのが37歳という説がある。
歴史に「もし」は無いが生きていたら日本は変わっていたに違いない。
滝夜叉姫のことも気になる。
落ちていたようなので立てました。 >>1
>そもそも将門の野望は何だったのか
将門やその伯父、叔父たちのそれぞれの母系一族をみていくことも重要みたい。
>>1
滝夜叉姫のことは気にならないよw
だいたいそういうのは民俗板だろ。 高望王は高見王の子ではなく弟だと勝手に信じている。 「将門記」にはなんで良文のことが一言も出て来ないんだ?
その後の関東の動乱状態というかパワーゲームというかみるとすっごーく不思議なんだが。 当時は縦(親子間)の通字は無かったけど
横(兄弟間)の通字はあったということですかね? >>16
ただ、
一説には平国香は国香と名乗る前は良望と、
また、
国香の甥である将門の父(=国香弟)は、一般には「良将」と言われているよね(良持という説もある)。
仮に
高望‐良望
良将‐将門
の2つが本当だとすると、当時も縦の通字は存在したことになってしまうんだよなあ。
これどう思う?
良持についてはともかく、良望についてはまさにそう思う。
親子はまだ一部しかなかったとはいえ、藤原良房兄弟あたりから見られる兄弟の通字は
この時代から始まった」風潮だったんじゃないかと感覚的に思ってる。 恣意的に略系図を作ってみる。
┌平高棟┬平実範┌平時望┬平珍材
| └平惟範┤ └平貞材
| └平伊望┬平統理
| └平善理
└平高望┬平良望┬平貞盛┰平維衡
| | ┌平維茂(貞盛余五猶)
| └平繁盛┼平兼忠
| └平安忠
├平良兼┬平公雅
| ├平公連
| └平公元
|
├平良将┬平将門
| ├平将平
| └平将武
|
└平良文┬平忠頼
├平忠輔
└平忠光 >>17
通字は中国の輩字行を取り入れたものだから兄弟で共通の文字を使うものだったのが
一門共通の文字を使うというふうに変容していったんじゃなかったの 死んだときに、首がぶっ飛んでいったという逸話は、本当かな? 将門の執念より頸斬り役人のコントロールを褒めてやるべき。 将門は
米かみよりぞ
射られける
俵とうたが
はかりごとにて
相馬氏が子孫というのは、こじつけか?
千葉氏も
無関係? >>44
千葉氏や相馬氏の祖は将門のおじの村岡五郎良文だろ
将門の乱のあと将門旧領の大半を受け継いだのと良文の孫の忠常が反乱起こしたことが
わが一門こそ将門に一番近い一門だという認識がうまれ、
それが強くなって将門を一門の祖して崇めるようになったということだろう 直系はいたはず。
960年に将門の息子が入京したとの情報を受けて、朝廷は源満仲と大蔵春実に命じて洛中を捜索させている(『扶桑略記』960年10月条)
ただ朝廷への反逆者の子孫だから、名を変えるかどうかしてそのまま埋没したのかもしれない。
或いはどこかの豪族の養子にでも入ったか。 「谷本龍亮」っていう人が書いた「平将門は生きていた」という本に
直系子孫のことが書いてあるよ。下総で討たれたのは影武者で、本人は
北陸の方に隠れていたとのこと。 >>45
良文は、将門の乱の時には何をやってたのかさっぱり分からなくて(将門記に記載が無い)、それが不思議というか不自然なところがあるよね。
良文には将門との因縁伝承がやたら多いし、
子孫の忠常を見てもまるで将門の焼直しみたいだし。
最も、近年の川尻秋生氏の研究によると将門討伐勲功者の中にその名を留めているというのだけれど。 あーああああああっあっあああー
あーああーあああー
あーああああああっあっあああー
あっあっああああーテンテンテンテンテンテン
あーあっあっあーあーあーああああああー 結局関東独立を目指したのか否か。
現地先住民族にとっての英雄なのかどうか。
なかなかわかんない。 どうなんだろうね。俺っちはよく分からないけど、、
独立っていうか、坂東の在庁官人は坂東で決めさせてもらうよ、、っていう
程度のような気がする。
"新皇"ってのは、「俵藤太(と平貞盛)が謀」…つまり、将門の罪を重く
するために俵藤太がそのようにお上に報告したんじゃないかな、、って思ってる。
英雄かどうか、ってのは、「恒例の兵八千余人いまだに来集せざる」状況
から見て、その頃には人気に陰りが見えてきてたのかな、、って思う。
その後から現在までの英雄像は、平良文流の子孫があえて作り上げてきたもの
じゃないのかなって思うんだよな〜。 どうなんでしょう
まぁ、俺っちの中じゃ絶対的英雄なんだけどね。
最近、四輪や二輪で自然を散策するのが趣味なんですが将門さんが逃げ落ちて立て篭もったと言われる地が関東某山にありました。
戦に敗れ最期は処刑されてしまうのですが将門さん討伐を祈願した神社とか隠れていた岩穴(超危険な場所)とかありますね 「風と雲と虹と」はスカパーあたりで再放送されないのかね? レンタルビデオ屋においてあったよ。 大河ドラマでフルコンプされてる一番
古いのはこれなんだってね 関東独立ってのは政治的陰謀だろう。
むしろ征服→防人徴兵→対東北戦争で
疲弊しきっていた関東をとりまとめ、朝廷とのあいだのクッションになり、
なんとかたてなおしを計ろうとしてたんだと思う。 平将門
平将忠
平将盛
平将泰
平将秀
平将光
平将綱
平将義
平将宣
平将継
平将宗
平将重
仁徳男系(雄略とか)じゃない応神天皇男系の継体天皇の例や 南北朝からすると 藤原貴族の一部の支持がこんご実証されるば、 東西朝の動乱あたかも 今回の震災は将門を感じるんだが、どっかに拝みに行った人いない?俺は先週末に国王に初参拝してきたが、効果無かったか。。。 日本はもともと地震国。
将門が生まれる前から富士山は火を噴き、災害は起こっていた。
将門なんて関係があるはずがない。 滝夜叉姫は伝説としてあるが、
将門の実子とすればミトコンドリアDNA的に日本人の誰かに
受け継がれているはず。
DNAを個人で調べることができるようになれば
子孫は判明する、と思うのだが。 将門公は旧約聖書にある嵐と慈雨の神。東方の守護者。
最初の武士にして最後の武士でもある。 平真樹っていきなりいなくなるよね
将門記の最初はよく出るのに新皇の除目には名前ないし 地震や火山の多い国が望んで産んだ英雄であれば前後関係に
問題はない。そう見れば続く天災はその遺志なのだ。将門のだ これは神が与えた最後のチャンスなのだよ。
本当の敵は誰なのか気がついてない日本人が多い。
コンビニに作業服着ていくおばんと被爆しながら救援活動した自衛官とどちらが善なのか?
テレビからアホな番組が消え、パチ屋が白い目で見られ倒産し、犯罪者どもが帰国する。
天災は神の警告であり、蛮夷から日本を守るためでもある。
これを戒めとし、回心をすれば裁かれるのは蛮夷の方だ。
だが、ここで真実に気がつかなければもうアウトだ。滅亡する。 将門はやっぱハメられたな。
新皇名乗ったとかたぶん京都側の謀略だろう。
毎年節分に成田山がにぎわうの見ていると、
心が痛む。 >>75
江戸民も、後ろめたさがあった
だから、あちこちで、祀っている どなたか昼のワイドショーみたいな生放送中に
平将門の掛け軸の目がうごく心霊映像を知りませんか?
どこかに上がってませんか? (´・ω・`)将門って、項羽や呂布と同じ匂いがするよね 将門はやっぱ、当時の搾取された関東原住民に同情的で
たとえ植民地経営するにしても「うまく」行い、
朝廷と関東で『共存共栄』をはかったんだと思う。
言ってみれば台湾における
後藤新平や明石元二郎かな。
それを現地での勢力争いや、京の政争に巻き込まれたんだと思う。 >>42
一応大手町ということになっている。
でも実は皇居の中に安置されているという説も。
実際の首級は、平安京でさらされたあと、当時の習慣で捨てられたろう。
「敵地」である関東の農民に下げ渡したってのは伝説。
朝廷の関東政策は過酷だったから。
占領→対東北戦争の動員→防人として徴兵→対東北戦争の兵站担当
→東北殖民強制移住→過酷な税制
関東人、怒っていいぞ! >>82
長屋王ってwww
あの亡霊は200年も朝廷呪ってたのか 長屋王って、貧乏長屋で一番イバってる大工ってイメージが。 >>77
スレチになるからあまり深入りしないけど、
それは幕末に殺された役人のものでは?
「渡辺金三郎」で検索すれば多分あなたの知りたい詳細が出てくると思う どうもさ、ききたいんだけど、詳しい人いたら
どうも将門公ってさ
騎兵のみじゃなくて 鉄器(鉄クワ)などの普及 日本刀の製作 ←これは諸説あり
にやくだってんだけど、 どうも東日本一帯、関東、東北
のエリアが将門公の開発によって大規模発達したみたいなんだよ。
むろんその後の平の良門おじ公以降が大開発したんだけど
どうも、武士、関東(坂東)、東北、そしてその勢力と経済、イデオロギー
集団いわゆる武士とでもいえばいいのか。がきゅうにふきゅう、発達してるのか
とにかくふえてんだけど、人口なんかほぼ間違いなく〜将門公 100〜200万関東東北 1100年くらいで300〜400万
それ以降爆発的に増えてんだよ。これっておかしいんだよね。
時系列の次期、考え方、やり方的に
将門公以降ってか、将門公がどうも発達させて、それ以降いわゆる坂東平八、そして農民が
開拓して、東日本をつくった。ないし坂東公国をつくったっぽいんだよ。でそれが武士といわれて武士の集団が生まれる。
どうも当事の時系列的、史跡、開発あとなど、そして人口的にね
他に、イデオロギー的に神、仏、じゅの破壊をやっていて
そのもろもろが精神的影響をあたえて武士とかが生まれるんだけど
どうもまた、当事の農民、武士人口、環境経済的に
どうも将門公が影響、関係をあたえたじゃなく
将門公があがめられて、かつ将門公が坂東ないし、日本を切り開いて
そのやりかたないし、その影響のやり方、発達で日本の社会、経済が発展していった。
らしいんだよ。
もう、武士、守護、鉄器の大規模普及、開拓
これの爆発的影響与えたのがまぎれもなく将門で
かつ、イデオロギー的には、将門公のまつえいの農民や、守護?がどうも将門公をあがめて
革命的行動をおこして、既存の朝制、王政をはかいして国を作った っぽいんだけど、いえるんでわないか?それ以後も
事実上、武士も執権も将門公と、頼朝だけはリーダーで頭があがらない。
人によっては将門公を守護神としてあがめる。
ってのが信仰?社会の形態でかつ。
これは承久もそうだけど、将門公以降まつえいの武士の行動で事実上革命がおきたっていえるんじゃないの?
そして、事実上将門公が最初の守護、武士、守護神、ないし事実上の君主か
ないし国家開発者といえるんじゃないのかな?事実上の武士革命の開拓者
で、しかもそれ以後、実質権力って民衆、ないしにあって、事実上クズ天皇が権力を奪還した証拠や
軌跡がないんですな。戦前ですら事実上廃皇だったじゃん。
で、実態として、戦国くらいまでの社会はどうも資料とか物象みると
のろい→クソ天皇のプロパガンダ
で、実質将門公は普通に信仰されてたんじゃないの?その国の農民
国家権力者からは、そもそも、公然と批判されたことないんだよね。
また、諸外国的には多分国家開拓者っていわれるよね。ないし君主とか 事実上日本は武士革命社会なのはいえるとして、
将門公のあつかいは、実質君主、ないし国家開拓者といえるのかな?
そもそも
当事資料でどうも崇拝されてる
頼朝→俺らの魂、日本刀を作った 執権→われらのリーダー 信長→頼朝合わせて頭があがらねー
馬鹿川→よりとも公は頭があがらないが、それ以上にすばらしいのは、将門公です、日本の大盟君主です
農民平安→将門はすばらしい 農民平安末→将門公は君主 農民後→将門公は神
坂東平八→リーダー 坂東以外武士、源家とか→パネエ、将門公は守護神、ああ?源が弓引いた?シラネ
で、
武士の魂日本刀を作成
全てをなくして戦う
郷土にたって戦う武士らしさ
鉄器(鉄クワなど)の普及(坂東平八?)→農民にやさしい
坂東開拓(坂東平八?)→日本の人口短期で倍
神、仏、じゅ、破壊して新しい形をつくった→武士道
鎧(坂東平八?)→体は鉄でできてる。鉄でできてるんじゃなくて、鉄をまとうため、鉄器をもたらしたもの、鉄でできてる当事リアルタイムでいったようです
騎兵→ガチ、ガチで牧場がある
九紋→天皇でも、神でもない別の世界をつくる。別の世界を作ったリーダー
となったら大同盟主、君主だろう
どうも戦国までは守護神として、リーダーとしてイデオロギー的に大変深い影響をあたえていた
そして、のろった、公家、天皇がことごとく滅ぼされて、末裔に国も世界もこわされて、
将門公の末裔、ないしそれがイデオロギー的なこうえいが国を作ってしまったなら
勝ったのはだれ?
となる。
ぶっちゃけ、
クソ天皇にのろわれても、地元の人や、権力者にはかれこそリーダーとしたわれて、資料も史跡ものこってるんですな。
で、武士的なやり方なども将門公の後えいなんですな ぶっちゃけ
大規模社会改革や、信仰、影響があるのが、リーダーや君主なら
日本で、将門公ほど影響や改革をやった人間は存在しないんだが
執権でもだれでもかなわんよ。
で当事リーダーだってみとめてんだぜ。
イデオロギー的には君主 国人たちは租庸調、労役、防人の負担の不満に耐えかねて反乱を起こしたんだと思う
かねてより古代街道を通じて関東に鉄器の農具武具が流入していて、関東平野を開拓して武術を究めて
朝廷との諸々のパワーバランスが崩れかけたところで平将門の乱が起きたんだろうな
あと、藤原純友の乱→後の平家、平将門の乱→後の源氏、につながっていく重要な反乱だと思う なでしこジャパンの熊谷を見ていると将門ってこんな感じだったのかもと
思ったりする
大柄で才能があって優等生で可愛いお人よし
上総と常陸の国司は将門の一族じゃなかったから「介」にされた
ということでいいの? そういえば、安房の国司とかは地形上逃げ場がなくてどうにも困ったのだろうなと思われる。 海に逃げるだろ、そして三浦半島辺りを目指すだろう。
実際、三浦氏なんかはそのようにして成立した節があるんでないか? ST・HF「ありがとう。キミのおかげで貴族に戻れたよ」 >>114
平忠常の乱では安房国司がポアされたのではなかったか? 将門公の話
当時資料でも証拠でも大きく食い違ってる。
〜千葉介あたりまで要検証が必要。
当時資料からしても大きく矛盾があってわかってないんだよね。
藤原忠平 藤原純友 将門公の関係
馬の話。証拠あり、ホント ただし状況が違う。
盟友真樹の話
日本刀作成。将門鉄器
そもそも明白な居住地域、勢力の場所(坂東〜下妻の山奥は確定)それ以外の場所は不明
実は資料証拠がくいちがって37~年相当のくだりが大きくわかっていない。
それ以後の勢力の状態。仲間とかはどうなったの?
村岡五郎(八平良文)との源宛 関係。
村岡次郎(忠頼)と平兼忠 戦い。
千葉小次郎、千葉介の当時状況。
と大きく情報が食い違ってるから、まったく変わってることになる。
重要なのは、将門公。村岡次郎の関係
なんじゃないのかな? 『将門記』くらいしか史料がないから。
でも村岡五郎が全く登場しないのは、その後の関東の動静からいってもどう考えてもおかしいよな。
作為があるだろそこには。
逆に村岡五郎の存在を明らかにしてくれてるっつーか。
ぶっちゃけ『将門記』作成に関わった中心人物だろ?村岡五郎良文が!
多分ない
ただ将門にボコられた上野国司が純友の叔父だから噂は聞いたかも 天津甕星→天の三カ星
甕の形をした三カの星を持つ天の星座→オリオン座
天香香背男(あめのかがせお)、星神香香背男(ほしのかがせお)、香香背男(かがせお)。
甕=聖櫃
エジプト
「天の鏡 失われた文明を求めて」
グラハム・ハンコック著 翔泳社
グラハムハンコックによると、天と地には相関関係があるという。
ギザの大ピラミッド群が、天界のオリオン座を地上に映しているように、カンボジアのアンコールワット、
アスカの地上絵なども鏡のように天界を地上に映しているという。
氷川神社群(三ツ星である氷川神社、中氷川神社、女氷川神社に調神社、宗像神社、越谷の久伊豆神社まで含めたもの)
はオリオン座の形、つまりカムド(神門)の形に並んでおり、脇を流れる荒川を天の川とすれば、、ちょうど天を映した形になっている点は注目に値する。
日本では三ッ星家紋は大江氏子孫の毛利氏
などが使っている。
毛利氏らも将門と縁深い。
平田篤胤は、神名の「ミカ」を「厳(いか)」の意であるとし、
天津甕星は金星のことであるとしている。
撞榊厳魂天疎向津姫命(つきさかきいつみたまあまさかるむかつひめ)
瀬織津姫
いか娘 >>126
> 毛利氏らも将門と縁深い。
毛利は将門と血はつながっているが、縁が濃いとはいえないでしょ。
大江氏に養子にいった藤原氏の子息が三浦氏と結婚して産まれた者の子孫
まぁ坂東の民からすれば朝廷は遠い西方にいるただの略奪者で何の住民サービスもしてくれないんだもんな
優しい将門公についていきたくなる気持ちはよくわかる >>129
前に、日本史版でそう言うと、源氏だと噛み付かれたわW
系譜上では、どう観ても平良兼筋なのに・・ >>135
このレス?
645:天之御名無主:10/06/03(木) 03:09:31
>>643
毛利氏って、系譜上で辿ると、徳川家康方の永井氏と同じく、平氏の平良兼の末裔だろ。
平野氏も、永井氏のからの枝分かれに系譜上で見えた。
譜代大名の永井氏(長田氏)が義朝殺害した長田忠致の末裔名乗るなと家康により大江姓長井氏に改姓された逸話を勘違いしてるのでは?
毛利の祖、広元の血筋は大江氏(赤染衛門末裔)か藤原氏(御小左家庶流)
平家との縁組は長崎円喜(関氏)の姉を嫁に貰った位のはず 天穂日命の後裔の出雲臣氏の後裔のノミ宿禰の後裔の土師連氏の後裔の大江朝臣氏の後裔が毛利氏ですよ。 これも
>77 :日本@名無史さん:2011/06/28(火) 10:36:28.22 >>72
>毛利は確かに大江広元の子孫を称しているけど、平氏とは関係ないのでは。
>大江は氏(姓)で毛利は名字。広元の姓は先祖から大江。大江広元の名乗りは源頼朝同様姓+諱。
>毛利元就(名字+諱)の公的名乗りは大江元就(姓+諱)。
>何で大江姓の毛利の出地があなたが主張する平姓永井になるんですか?
ちなみに一番身近な平氏の小早川も隆景養子入りするまで実際の血筋は源義光流平賀氏ね >>141
おめ!
スレのみんなも
あけおめことよろ!
まぁ、いってしまえば、
神になるとかいう妄想を抱いた、天皇が神になれずに、妄想を抱いて死んで←坂東武士に殺されて、
13世紀には王政?としての天皇も死んで。
最後は国賊になって殴り殺されて。
将門公の末裔の坂東武士が 将門公と同じように、平氏の名前を捨てて、在地ネームを名乗って
独自勢力をつくりあげて坂東(歴史上11世紀以後の坂東とはすべて首都圏プラス3京を指す)を作って
天皇を殺して
自身の勢力の大半は死んだが、武士は在地ネームになるほどになって、そしてしょりゅうは農民になって生き残り。
将門公は神になった。
だけの歴史だったな。
そのころ北条とか武士が日本という国号をつくって国家開闢したんだな。 将門ってねらーには慕われてるよな
畿内に抵抗した関東の英雄ってとこと
「新皇」を名乗る中二病っぽいところが受けるんだろうけど >>144
> 将門ってねらーには慕われてるよな
それはないと思うぞ けど、当時の朝廷は今の霞が関や東京マスコミみたいな存在だと思えば
関東の人たちが将門を慕う気持ちもわかるな >>49
>「谷本龍亮」っていう人が書いた「平将門は生きていた」という本に
> 直系子孫のことが書いてあるよ。下総で討たれたのは影武者で、本人は
> 北陸の方に隠れていたとのこと。
読んでみたけど面白かった。後裔の秩父柚木家伝承は貴重。
将門と将平が秩父の山中に追討を逃れて潜伏した話は秩父各地に本当に残っているようだ。
http://www.youtube.com/watch?v=hekEzVXmJDM
http://enjoy.pial.jp/~kokigi/keijiban/titibu1.htm 将門を逃がしたのは、実は藤原秀郷だった...
なんて話だったら面白いのにな >>148
秀郷は実は心情的には将門のことがが好きだったが、政治的な立場や趨勢からやむ無く将門討伐側に回ったとの説があるよね。
将門が反受領闘争を起こすほんのちょっと前には実は秀郷も同じことをやっていて、そんな秀郷としては将門の気持ちはよく分かっていたんじゃなかろうか?
少なくとも秀郷流一族の生まれの自分としてはそうあって欲しいなあ。
だって自分は将門公は大好きだから。
同じ事をやって討伐対象だった秀郷としては将門討伐の手柄を手みやげに名門軍事貴族として
帰朝出来てラッキーと思ってたんじゃないかなぁ。 おれっちは(秀郷流)武藤さんが先祖なせいかばかでかいムカデによく襲われるな >朝廷は遠い西方にいるただの略奪者
古代の関東は、まさに過酷な植民地だったろう。
奈良時代は防人として遠い西国に連れて行かれ、
平安初期からは無謀な東北侵略に駆り出された。
しかもその糧秣とか甲冑も用意させられた。
将門はそんな関東の悲惨な扱いに憤ったんだよなあ。
ただ「新皇」になろうとしたってのは政治的陰謀だろう。
関東全域のクッションと言うか、「総督」的な立場を目指したかも知れない。 >>151
西行(佐藤義清)の遠祖公清の兄・公脩の子孫。
成田山新勝寺の豆まきでは決して「鬼は外」とは言わない。
「もう鬼はいないから」などと理由をつけられているが、
それならばそもそも鬼封じの「追儺」をやる必要がない。
あの寺に限って「鬼」とは、
集まっている関東の善男善女にほかならない。
だから「鬼は外」とは決して言わない。 http://awabi.2ch.net/history/#10
よく山奥に「平氏の落ち武者」って集落あるけど、
東日本だと、将門一党の落ち武者ってのは実際にないかな。 >>149
家柄的に将門が王、秀郷が摂関というのはどうか。
しかしこの二人、母は現地人なんだな。
それが余計に独立心に火を付けたんだろうな。 将門記によれば将門の父・良持は従四位下鎮守府将軍、
尊卑分脈によれば秀郷の父・村雄は従五位上河内守なので二人とも身分上は中央貴族(留住貴族)。 >>158
時と場合によって、「平」と「犬養」、「藤原」と「鳥取」を
使い分けるのも手だね。
しかし、「犬養」と「鳥取」って似てるな。
二つとも狩≒軍事と関係が深そうだな。 >>159
> 父も現地人
現地人というのと現地生まれというのは違う。 >>161
鳥取氏は秀郷の父と祖父2代に渡る母系氏族だよ。
秀郷の母は鹿島氏。
だから将門側についた同じ姓を称する鹿島(藤原)玄明とはたぶん母系で同族。
従ってこの観点からも、
秀郷が途中まで将門に同心することを考えていたとする説は十分に根拠がある。 残念だ。
秀郷が将門についていたら東日本の独立が出来ていただろうに。
国名はなんとなるのだろう?
そしてやはり秀郷は関白か? >>161
藤原=恵美
鳥海=安倍=松浦と同じだな。
また、社名の
八幡太郎=源義家
賀茂二郎=源義綱
新羅三郎=源義光のような通り名や
後に、源氏嫡流姓や平氏の嫡流姓で嵯峨皇子だの清和皇子の何源氏だの桓武皇子の将門筋だの・・
いろいろと、系譜が分かれていく様が、分かる。 朝廷と交渉する時は、狩猟≒戦闘の「犬養」や「鳥取」を使い、
地元では貴種の「平」、「藤原」を使えばいいな。 >>166
皇統名の安倍は、政
地元での領主として貿易商いをするときは、鳥海
源氏の場合は、戦の際には
皇統名の源で
貿易商いや水軍として働くときは、松浦を名乗ったのだろう。
渡辺は、農業? やはり当時の搾取された、関東和人化原住民に同情したんだろうなあ。
漢だな。 犬養と鳥取はもともとは狩猟に従事していて、
そこから軍事に携わるようになり
都の公家と結びついた、
でいいのか? >>169
その後を継いだのが叔父であり養子の良文なんだよな。
その良文の子孫が坂東八平氏。 丸子氏とは、大友氏の支族、つまり天孫降臨の時に先導を行った天忍日命の子孫とされ海洋民族。
丸とは日本の船舶名につけられる○○丸、
牛若丸、日吉丸などの男子の名前に付ける彦や男、麻呂と同じものだ。
丸とはマラ、チンポコ、先のとがったもの。船の穂先、つまり船長の意でもある。 >>184
久米が大伴の配下にあったのか?それとも同格だったのか?ということだな。
明智と細川、柴田と前田のように「同格ではあったが、戦場では指揮下に入った」関係もあると思う。 >>185
それもあるが、
紀記で神武天皇の東征において、土蜘蛛の八十猛などとの戦いに挑む時に、兵の士気を上げるために神武天皇が詠んだ歌が何で久米(来目)歌なのかが昔から気になって仕方がない(日本書紀では大伴氏祖の道臣が久米歌を詠む)。
天皇の覇権をかけた一戦の前に詠む歌が
「大和歌」でも「隼人歌」でも、そして「天皇歌」でもなく「久米歌」。
それでいて書紀の方では久米氏を一番下に置いている。
天皇の部下の大伴氏のそのまた部下が久米氏という位置付け(書紀では久米歌を詠むのは大伴氏。これまた「大伴歌」でも、主人を称える「天皇歌」でもなく、部下である久米氏の久米歌を歌う)。
天皇家や大和朝廷が誕生する過程において久米氏には隠された何かがあるなあと昔から思っている。 >>183
丸子氏は和邇氏族の臭いの方が強いような気がする。
東北でも海沿いの牡鹿半島に拠点を築いているし(丸子→道島連氏)。 >>188
和邇氏は軍事氏族(水軍とか陸戦隊)なのか、そうではなく交易や殖産に通じていた氏族なのかは議論が
あるのではなかったかな? >>187
久米氏は「呪術」とか「コトダマの活用」に長じていた可能性もあると思う。 >>186
現代の海軍にも「軍楽隊」があるわけで、
古代の久米氏は戦意高揚のための戦場での呪術やスローガン連呼などに長じていたのではないか?
平氏とは何か?という根源の問題にまだ誰も回答を与えていませんね。
平氏とは、「兵(つわもの)」です。
王族は自ら戦うことはしない。
>>192
聖徳太子とか天武天皇が戦場に出たことを知っているか?
神輿に乗って練り歩いただけだよ。
お腹の大きい神功皇后だって戦地に行くくらいだから。 >>194
史実としては微妙
>>196
神話だし >>197
南北朝時代には、南朝の親王が戦場に出た例があるはず。 平将門が生きている間は独立を維持できるが、その後がです 平良文流千葉氏は今も東北にたくさんいるけれど、
どいつもこいつも腰ぬけばかりで、男として情けない。
>>179
芸人ふかわりょうはちびまる子ちゃんの本名は何?というクイズに
「新丸子」と回答した。東横線の駅名を言っただけだが。 直方登場前の鎌倉郡の記録は決まって鎌倉別か丸子連氏なんだよな。
ちなみに鎌倉別というのは、氏姓制時代の相模領域では相武国造、師長国造と並ぶ三大政治勢力だったというのが神奈川県教育委員会ほか研究者の一致した見解。 ドラマの「海と風と虹と」は海音寺潮五郎だよね。
だけど原作見ると同じ海音寺の『平将門』のほうが面白い。 >>205
おいっ
>ドラマの「海と風と虹と」は海音寺潮五郎だよね。
>だけど原作見ると同じ海音寺の『平将門』のほうが面白い。
微妙に、間違えてるぞっとっ・・
「風と雲と虹と」
>>206
やっぱ、そう?おかしいなと思ったんだが、本のタイトルとドラマで
変えたのかな。DVDが行方不明になっちまってるんだ。
DVD全巻見たらすごく手間がかかりそう。総集編しか持っていない。 興世王って、実在なの?
皇族のくせに、出自が不明ってw 質問です。
川尻秋生著の「平将門の乱」p75の武蔵武芝の性格という段落の冒頭近く、
「武芝の祖先は、もともと丈部直氏で、道鏡の地方豪族優遇策により、
神護景雲元年(七六七)十二月に武蔵宿禰を賜り、武蔵国造に任じられた(続日本紀)。」
とあるのですが、古い話ですが、道鏡の地方優遇策というのがわかりません。
どんな、政策をどのようなブレーンのもとで行ったのですか? 貴族の墾田をいっさい禁じたが寺院等のそれは認める等の
公縁抑圧の政策を指しているんじゃないの
知らんけど
初期の将門の同盟者、平真樹とは何者なんだ?
桓武平氏ではない可能性すら感じてすごい興味がある。
源氏でいうと、清和源氏ではない嵯峨・仁明源氏みたいな。 >>207
鎌倉別と丸子は関係あるの?
たしか平氏の鎌倉氏は桓武平氏が丸子氏に婿入りしてできた。
長尾景虎とかの“景”って丸子氏からのものなんだよな。 結果的
天皇を魔王といい将門公の末裔が頃しました。
将門公の末裔が武士本家で将門公にカラの価値観で武士を成立させ、将門公の作った日本刀を
改変して鎌倉刀を作って、元、朝鮮兵を頃rしました。
天皇が悪者、傍流で将門公にが神なのが史実なんだよ。これが主流価値として訂正されないのがおかしいの。
将門公以後、以後呪詛天皇は呪詛しかなくなり、天皇が怨霊で、それを駆除し、将門公の末裔が、武士を成立させ国家形成したが正しい 江戸時代に将門公は朝敵ではないと正式に認定されている。 なのに祭神から外したりして・・
明治政府の汚点中の汚点だと思う。
死人に鞭打つ行為しちゃだめだろ日本が。
中国のこと言えなくなっちゃう。 明治政府の宗教政策なんてそれはもう酷いもんだったから、暖色家の熊楠先生もカンカンでしたよ。 >>218
あれは幕府が朝廷に強引に頼み込んだのではなかったか? >>213
道鏡1人の政策というよりも、8世紀前半からの聖武天皇〜孝謙天皇〜淳仁天皇〜称徳天皇〜光仁天皇〜桓武天皇までの半世紀6代に渡る天皇および、その間の国政に参与した橘奈良麻呂、藤原仲麻呂(恵美押勝)、吉備真備、道鏡らの治世の総体的特徴だと思います。
この時代は渡来人系豪族や地方豪族を多く登用した時代として知られています。
渡来系豪族・坂上苅田麻呂(田村麻呂の父)や、
東国でも武蔵高麗郡の豪族だった高麗福信(亡命高句王家末裔)や、同国・足立郡の豪族丈部直不破麻呂(武蔵宿禰武芝の先祖)、同国・入間郡の豪族物部直広成、
さらには陸奥国牡鹿郡の豪族・牡鹿(のちの道嶋宿禰)嶋足などといった渡来系豪族や地方郡司クラスの豪族子弟たちの多くが中央に召されて実務官人として登用されていった時代です。
更にこの時代は橘奈良麻の変や恵美押勝の乱や道鏡の専制など激動の時代であったことも大きいです。
これらの政変や乱が起こる度に、上記の渡来系豪族や中央に抜擢された地方郡司子弟たちが鎮圧戦などに用いられて活躍し、位階を飛躍的に上昇させていくこととなったからです。
以上述べましたさまざまな要因が重なった結果、彼ら渡来系豪族や地方豪族子弟たちは異例の出世を遂げていったのです。 >>206
ドラマのタイトルを声高に言われてもなw
あんた本読んだことないのか?w 平清盛ってオウン・ゴールで将門の夢叶えたんだな
歴史って面白いね 将門様どうか貧弱ボディ&貧弱マインドの私をどうかそのスーパー怨霊霊力でお見守り下さいませ(`∇´ゞアーメン†アーメン†アーメン† 去年の10月らへん?に平将門様の怨念に憑依されたって言ったら信じる人いる?私の首はどこだ私の首はどこにあるって言ってたよ、スカイツリーがやっぱり原因なのかな >>231
自分は将門の子孫だがそんなことはないと思う。それよりそんな金稼ぎあることに驚いたwww >>224
お前自分の間違いを認めないのか?
ドラマだけじゃない、小説のことも書いてあるだろw
小説のことはお前知らなかったんだろw
ばーか! >>234
恥さらしだなー、お前。>>205が「ドラマの…」としてタイトルを間違えてるから>>206がつっこんだんだろ。
確かにドラマの原作小説の事も書いてるけどタイトルに関しては「ドラマの…」だ。
そして、俺は>>224だが>>206とは別人だ。 >>235
事実を把握しきれてないんなら、すっこんでろ。
>>206は明らかに勘違いしたんだよ。文脈のニュアンスで判る。
>>208をよく読め。フォローの形を取っているが、>>206の勘違いをわかってて
知らんぷりしてやったんだよ。
ドラマのタイトルと小説のタイトルはちがうということをまず
ちゃんと把握しとけ、話はそれからだ。 >>236
>ちゃんと把握しとけ、話はそれからだ。
お前こそ俺のレスをちゃんと読め。そんな事は判って書いてる。 >>237
お前さんが>>206でないなら引っ込んでろ。
>>206は明らかに勘違い。>>205には海音寺潮五郎と書いてある。
ドラマのタイトルはちがっているが、別に引っ掛けるつもりで書いたわけじゃない。
要は俺がわかっていないと>>206が早とちりしたということだ。
俺はとっくの昔にビデオまで持っていたのだから。
まあ、間違いと思うのもある話だろう。図書館員に文庫本について相談した折、
ドラマのタイトルのほうで言い返されたからな。つまり俺がタイトルを間違えていると
図書館員は思ったのだ。だからそれはその時訂正してやったよ、小説とドラマのタイトルが
微妙に違っていてややこしいんだと。
実際内容的には『平将門』のほうがドラマに近いのさ。
それも案外知られていない。 >>232
(*゚∀゚)坂東武士団の人か
たくさんおる。 >>1
歴史解釈は
@唐とセットで独裁反映をほこった天皇政権は、唐崩壊でやばくなる。カオス
A天皇が東武開拓ガッポリじゃ計画をする
B将門公が初めて天皇のようは坂東派兵局くにかを滅ぼす
C将門公なくなったあと、末裔は落ち延びて将門公リスペクトの叔父よしふみがかくまう
D将門公の孫が再び天皇に戦争を仕掛ける 千葉小次郎
D将門公のひ孫が切れて千葉独立国を形成、武士団と呼ばれる勢力になる
E前後の役で圧倒的な力をだし
鎌倉形成期に個人的な恨みは少ないけど、
藤原、清盛、源、伊勢そこらぜんぶほとんど潰す
F天皇こそ魔王じゃと言ってついほう
G元叩きのめす
→つづく
こんなもんだよな。
将門公の末裔が武士団になって国家を切り開いて、武士の社会を作った。 >>240
> @唐とセットで独裁反映をほこった天皇政権は、唐崩壊でやばくなる
それは違うと思うが 呪いの力は強いけど
縁起が良い場所ではないんでしょ? >>222
9/19夜BS歴史館で平将門を取上げ、将門が従兄弟貞盛に親近感と父を殺した
負い目を抱いていたと言っていたが、当時の母系制で祖父高望が板東各地に
種撒きした腹違い父系縁者は、他人同然だったのではないか?
BS歴史館 NHKBSプレミアム 2013/09/19 20:00 -21:00
「日本最強の怨霊 平将門〜なぜそんなに祟(たた)るのか〜」
下向井龍彦,童門冬二,高橋源一郎 司会:渡辺真理
http://www4.nhk.or.jp/rekishikan/x/2013-09-19/10/3681/ >>202
村岡五郎こと秩父氏・鎌倉氏・千葉氏等の祖平良文は、兄国香と並んで
後代繁茂する板東平氏の高祖だね。
国香・良兼・良正と違って甥将門との交戦記録がないのは、勢力地相模が
遠隔地だったからか?伯父・叔父連の中で唯一将門の理解者だったからか? 良文は、謎だらけ、
八平氏は、もともとの豪族で、子孫に系図上組み込まれたものと思うよ >>249
秩父氏・鎌倉氏・千葉氏が、良文の孫とされる朝廷への反逆者平忠常の
後裔を、揃ってわざわざ詐称しないだろ?
良文とは限らぬが、地元豪族にとっては貴種である高望流の誰ぞに
女に種付けしてもらったから、高望流の後裔を名乗ったのだろう。 >>248
交戦しなかったと思うよ。だから、将門の支配地を継いでる。
仲良し。 >>250
良文流房総平氏 vs 将門討伐実績有りの常陸平氏だったんだろ、忠常の乱てのは。
私戦が、平直方が摂関家にパイプがあって、公戦にされたんだよ。
良文 vs 貞盛流
それが忠常の乱 平将門というか平氏の子孫、落人は今でもあちこちで悪さをしているからな。 今度の日曜日、岩井で将門まつりをやるらしいよ。生誕1111年記念だって!
自衛隊のブルーインパルスが来てアクロバット飛行もやるってよ 落ちるだろ〜危ないよ。
あそこは祟りで鉄道も高速も無い。
でも高速を作っているから結界が破れて危険な状態。 もうね平将門公の思惑通りに世の中が進んできたとしか思えない >>262
ということは、軍事的に守りやすかったということだろうか? 将門成功したら単に「東西朝」が始まっただけ。
終了。 >>261
国政改革が、承平天慶の乱の原因というか出発点だと?
寛平・延喜の施政の何が、原因だと? 海音寺潮五郎の平将門は傑作だな
こんなに面白い歴史小説はそうない Youtubeで将門関連の伝説が結構あるよな。面白い。 野心家なのか英雄なのか?
関東の民衆には支持されてた時もあったけど最後は見離されたんだっけ? 農作業の季節なんで返した所を攻められた、と記憶しているが間違いかも知れない。 貞盛と秀郷に攻められた時は
何時もなら一言で八千の兵があつまるものを
集まらずそのまま最後を迎えてしまった 秀郷自身は北山決戦では60代か70代のかなりの高齢出陣であり、軍団の中枢を切り盛りしたのは千郷・千常らの子息だと思われる。 >>258
岩井から遠い水戸の出身だけどさ。
茨城では「将門は英雄」「虐げられた者のために起った」と小学校で教えるんだよ。だから怨霊だの祟りだのと言われても全然ピンと来ないし、藤原秀郷に負けたのを悔しく思う。 うん、将門は朝廷に反旗を翻して独立しようとしていたわけではないと思う。
当時の関東は、まだ朝廷から過酷な植民地経営されており、
原住民はまさに半奴隷状態だったと思う。
将門は中央権門の直接支配ではなく、自分が坂東八か国の
「総督」的な立場で、朝廷とのクッションになろうとしてたんではないかな。
関東原住民を統率し苛政をやめ、税穀を増やすことで朝廷もまあ納得させる。
言葉悪いけど、満州帝国みたいなものを考えていたかも。
しかし政治的陰謀で追い詰められ、逆賊にさせられてしまった。 妙見信仰と天津甕星の関係とか前スレ前々スレで出てきた? ん?水戸史観こそが道鏡、将門、尊氏の3人は極悪非道の朝敵と断じているわけだが。 >>278
家康も70すぎて出馬しているし、
いくさのノウハウを熟知している人が
戦場にいるのといないのとでは大違いだったと思う >>282
水戸藩武士の史観ではなく、民衆の史観では、という意味でしょう。 凡てのタブーがなくなった今、将門を
「先住民解放戦争」の、不本意なリーダーとして
とらえなおすべきだと思う。 藤原氏っつっても
一から十まで 関東支配しとった訳ではないからな
実際納めてんの 現地人だろうし
いざ反乱となると
将門の支持者たちも 戸惑ったやろ
「で?誰が明日から褒美くれるの?」 >>282
将門はそうでもないな。
足利尊氏はそのとおりだけど。 祟る神、10代祟神天皇の長子 豊城入彦、三輪山の大物主系の氏族、
彼らは、蛇のように執念深く、後世まで祟ると恐れられてきた。
平将門、 弓削道鏡、菅原道真、雷を落とす雷神神社とも関係があるそうだ。
しかし、実際は、祟りを恐れるからこそ怖いのであって、死人にそんな力があろうはずがない。
つまり、大和とは、虐殺して征服した異民族を祀る文化を持った集団だった。
神社は、自分達の祖先を奉る場所ではなく、征服した異民族を祀る場所だ。
だから、秦氏は虐殺した八幡を祀り、乗っ取った賀茂を祭り、踏み潰した松尾神社を奉るのだ。
そして、その正体は、末盧国ということになる。 アラハバキの神が土着の神で将門とかんけいあるんやな 土砂崩れで1人不明=お堂つぶれ下敷き−横浜
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jiji-2014100600348/1.htm
現場のお寺は成田山新勝寺(千葉県成田市)の横浜別院。
成田山は将門封じの呪術だから、今回の土砂崩れでもし呪術が破綻すると
将門さん蘇るかも。今回の台風、やたらと千代田区に雨が集中したらしいよ。
千代田区にある将門の首塚には雨が大好きなカエルの置物が多数奉納されてる。
将門カエル(帰る) なんちゃってw >>295
知り合いが、坂東市(?)の胴塚のあるお寺で個人的に霊視してもらったって
言ってたよ。そっち系はあまり関心ないんで、内容は覚えてないが。
偽かどうかは不明。
ホームページもある霊能力者だったな。 寛平・延喜東国の乱の物部氏永も取り上げろ。
坂東平氏が関東に拠点を築く流れがよくわからん。 >>1
平将門の時代から東国武士の願いは
自分達の所領を認めてもらい朝廷とは
一線を画した政権を樹立する事
それを源頼朝を担ぎ達成した
だから源氏本流が途絶えても鎌倉幕府は
存続した >>299
> 寛平・延喜東国の乱の物部氏永も取り上げろ。
取り上げたくても、史料が少ないからなあ。 将門の乱を、東国の自立とか評価する奴が居るけど、
将門記読んでも、出てくるのは皇胤と藤原氏ばかり。文屋とか多治比とか名乗ってる奴含め、
こいつらの男系は5代遡るとみんな京都人、関西人だろうw
本物の在地豪族は武蔵竹芝のぞいて全く見られない。
戦国時代とかに、京都で食えなくなった公家が地方に下校する例があったが、子孫繁栄ということがなかったのに、
なぜこの時代の中央貴族は、地方に下ると、まるで無人の荒野をゆく如くに繁殖したのだろう?
かくも地方豪族は無力だったのだろうか? 土佐の一条氏は都から下ってきたお公家さんから戦国大名化しただろう。
伊勢の北畠氏も南北朝時代の北畠顕房の子孫だし。 >>304
単なる例外ですね。
平安時代における、清和源氏、桓武平氏、藤原各流の地方での大繁殖とはくらぶべくもない。 あけましておめでとうございます。
将門様、今年もご加護を。 >>219
なんだこの出鱈目野郎は
こいつは2chの汚点中の汚点だし、中国のこと言えないバカだな >>311
取手競輪場のあたりに砦をつくったらしい。 大河の風と雲と虹と見てた人います?
将門(加藤剛)の父役
と、
貞盛の父と嫁の父以外もう1人の叔父役
の役者さんがどなたかお分かりの方
いませんか?どうもイメージ今一で…
スレ多少ズレますがお願いしますm(__)m >>313
数年前に時代劇専門CHで「風と雲と虹と」全話放送していた
行方不明だったVTRが見つかったということだったが
かなりひどい画質だった >>313
長門裕之か蟹江敬三
それと良文役は誰だっけ? >>316
NHK大河ドラマ『風と雲と虹と』
平良文を演じた俳優:渡辺文雄 そうでした ありがとうございました
やっぱちゃんとした映像ないのですね >>309
実際、将門公は明治天皇が神田明神に行幸された時「かつて朝廷に抗った逆賊中の逆賊と対面させる訳には行かない」と神田明神の祭神から外されてますが?
ご祭神に復活したのは大河ドラマ「風と雲と虹と」で将門人気が復活した1980年頃のこと。 成田山行ってから神田明神に行ったというタブーをした明治天皇がそんなこと言うのか甚だ疑問だなぁ。
結果、その後皇室は何故か陥落してしまったけど。
それと何で連投するのか、怖い人なのかな。 >>327
> 成田山行ってから神田明神に行った
この時、一時的に将門を祭神から外していたはずだが。 妙見島と八幡の藪知らず行って来た
妙見島では如意輪観音を見落とした
藪知らずでは葛飾八幡のグッズ買えなかった
残念。葛飾八幡は本職の巫女さんもいて
正門が閉まった時に太鼓たたいてた
趣きのある伽藍だったよ >>329
葛飾八幡は重厚な雰囲気漂う神社で結構好きな神社だったので、以前(10年ぐらい前)葛飾区に住んでた時は自転車で江戸川を渡って時々参拝してた。
でも祭礼の時以外は宮司も巫女も常駐していないのが残念。
たまたま一度だけ、正月三が日に参拝したことがあったんだけどその時は巫女さんが授与所にいて、それがすごく神社の雰囲気に合っていた。
あれぐらいの規模の神社だったら神職さん常駐になって欲しいよね。 『尊卑分脈』によると、平良将(将門の父)は従四位下鎮守府将軍であり、
同じく『尊卑分脈』によると藤原村雄(秀郷の父)は従五位上河内守であるという。
つまり『分脈』の記事に従えば将門、秀郷の父は2人とも諸大夫階層(=歴とした貴族階級)に属していることになる。
通説では、寛平延喜東国の乱鎮圧で勲功を挙げた将門や秀郷の先祖たち(恐らく身分は諸大夫層)であるが、その2〜3代後には子孫は狭義の貴族層の証である五位の位を受けられず、
その不満から将門も純友も反乱を起こし、秀郷や貞盛はやはり同じ不満から鎮圧側に回った、
と説明される(つまり反乱した側も、鎮圧した側もその動機は同じ)。
将門も秀郷も自分たちのほんの一世代前の父親の代までは諸大夫層に属していたとするならば、そのわずか一代後に将門も秀郷もそこから「転落」し、その不満から暴発した、ということが言えてしまう(秀郷も将門に先駆けて朝廷に反受領闘争を起こしている前歴あり)。
これがちょっと驚き。
朝廷では、地方に留住〜土着してから2〜3世代目を以て栄爵への受爵を打ち切る決定でもしたのかという推測でもしたくなる。
これでは秀郷も将門も純友もブチギレて当然だと思うし、承平天慶の乱は正に朝廷の失策が招いた結果と断ずる他はないな。
他の勲功者たち、例えば西の首領・純友を捕らえる勲功を立てた橘遠保の父の官位などは不明だが、上の経緯から恐らく上記2人と似たようなものなのではないだろうか。 >>331
橘遠保の軍事的才能はあまり議論されることがないが、なかなかのものだったのではないか? まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった >>332
秀郷なんかと比べると、確かに橘遠保は全くといっていいほど掘り下げて言及されることがないね。
東の首領である将門を討ったのが秀郷なら、西のもう一方の首魁である純友を討った(生け捕りにしたとも)立て役者なのにね。 >>332へ
>>331は橘遠保に話題を振っている訳では無く、承平・天慶の乱の原因の一つとして
「>朝廷では、地方に留住〜土着してから2〜3世代目を以て栄爵への受爵を打ち切る決定でもしたのか」との推測を提議している
歴史を洞察する視点として鋭いと思う
この問題について議論を深めようじゃないか? 承平・天慶の乱当時の同時代史料は非常に少ない
今まで専ら「貞信公記」の引用で論じられて来たけど
現在、閲覧検討可能史料として『続々群書類従』記録部『列聖全集』『三代御記逸文集成』の宇多・醍醐朝部分と
重明親王の「吏部王記」が在るね 訂正
×承平・天慶の乱当時
↓
○寛平・延喜東国の乱から承平・天慶の乱前夜まで 古文はかなり意味不明だと思うし、漢文は送り仮名や返り点などがないと
きっとさっぱり分からないと思うナリよ 逆賊ではない。
縄文系原住民に「ゆるやかな自治」をゆるし、
自分はその総督的な立場に立って生産を増やし、
結果朝廷の税収も増やし、関東に安定をもたらそうとしたはずだ。
新皇云々は政敵の捏造。 当時の朝廷が他の誰かのことを将門だと誤認してたとか
誤認大国ジャポン 将門による縄文系先住民族の間接統治がうまく行ってたら、
多分平安時代はあと百年以上続いていたかも。
鎌倉武家政権誕生が遅れ、元寇の頃はまだ過渡期的な政権で、
日本ボロ負けだったかな。 >>337
父の代までは、名門として扱われていたのに、
自分の代からは庶民として扱わればムカつくのは仕方ない。 まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 東日本でよく「平家の落ち武者の村」ってのあるけど、
実は将門公の郎党ではないかな。
山岳に残っていいた縄文系狩猟民が、同族たる関東土着民を保護し
かくまったと言うか。 千葉氏について調べたら
将門の娘、春姫が嫁いだ先が平忠頼でその子が平忠常が千葉氏と名乗る
女系ではあるけど千葉氏そして相馬氏も将門の子孫みたいね >>352
それは解釈違うな。九州家は九州総量的な地位ではあったが、
千葉氏のていをなしてなかった
九州に赴任したのは若年の千葉公とその親類のすくない分家だけで一族のていをなさなかった
ネームバリューはあったんだけど、天皇のように力のない有名家を利用した傀儡権威政治の要素が強かった
肝心の房総本家も内紛と後北条の介入で傀儡に
実は前北条の時代も傀儡に近かった そういえば将門記なんだけど書かれたのは11世紀とされるけどこれ絶対的に
この機に将門公の戦い以降じょうりく一族が関東の官僚的な地位を80年持ったんだけど、政治の失敗と腐敗の連続で
その期に千葉将常がじょうりく一族の有力者を焼き討ちした
将門口の孫が再びじょうりくを焼き討ちした事で将門公の再現とみなされてショッキングな扱いされた
そしてこれを期に藤原(房総に派兵された藤原は将常?が餓死させる)も失墜仕掛けて
天皇が将門公を呪ったら、その政敵であったものはまとめて没落しだして
気づいていたら坂東における朝廷中央権威よりも独立勢力機運が高まり、じょうりくや藤原は衰退した
そして坂東武士団は将門公をフォローしてその
機運の中で彼らの縁故?の僧侶などを中心に将門記が書かれた
明らかに後年的に将門公の否定的な見解を崩す対抗策として彼らは将門記を書いたっぽい 将門公の時代
→じょうりく一族と藤原氏の関東官僚時代
→じょうりく没落後の所詮坂東武士団の台東と将門公をフォローして後裔を標榜
→その機運で将門記を書く
こういう経緯だったぽい あけましておめでとうございます。
将門様、ご加護を。 やった! 大吉!
将門様、ありがとうございます。(-人-) 鹿児島歴史資料センター黎明館に、平将門の息子が薩摩に逃げ込んで鍛冶を営んだという記録が残ってる
薩摩と言えば、源頼朝の息子も逃げ込んだという記録もある 村岡城
現在、藤沢市村岡東3-28に村岡城趾と伝わる場所がある。
周辺は住宅地となっており村岡城址公園という広い公園になっているが、
遺構は何ひとつ残っていない。グラウンドより一段高くなっている所に城址碑が建つ。碑文は下記の通り。
額 元帥伯爵東郷平八郎書
村岡城の地位は古来武相交通の要衡に在り、往昔従五位下村岡五郎平良文公及び其の後裔五代の居城なり、
蓋し其の築城は今を距ること約一千年前に属す。
良文公は関東八平氏の始祖にして天慶二年鎮守府将軍陸奥守に任せられ、多くの荘園を有し威を関東に振ひたり。
天慶の乱起るに及び藤原秀郷 平貞盛と共に将門を征討し、大に軍功を立てたり。
其の後裔に秩父平氏の一族渋谷庄司重国あり、其の孫実重は薩州東郷氏の祖なり。
昭和六年村岡城址を史蹟として縣廳より指定せらるる。
同七年村岡の有志相謀り鎌倉同人会の賛助を得、
城址に碑を建て以て後昆に傳ふ 村岡城址の碑と云爾。
昭和七年十月三日
海軍中将東郷吉太郎撰書
額を書いた東郷平八郎元帥は、いわずと知れた日露戦争の英雄であるが、
碑文にあるように平 良文から出た渋谷実重が「薩州東郷氏の祖なり」とされていることから、碑の額を書くことを依頼された。
碑文撰書の東郷吉太郎海軍中将は、東郷平八郎元帥の甥だから、これも平 良文の末裔ということになる。
http://homepage3.nifty.com/kurobe56/ks/ks0028.htm >>358
鹿児島歴史資料センター黎明館より
平良門=橋口正国 >>360
鹿児島歴史資料センター黎明館より
平将国=橋口正国 あなたは40代ロサンゼルス府警新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか? 成田山は平将門公を調伏していない!
成田山開山縁起は捏造
平安時代ではなく鎌倉時代に開山された。古文書で成田山が初登場するのは、江戸時代
本尊が「弘法大師空海作」も嘘。「鎌倉時代・作者不詳」で昭和39年(1964年)成田市文化財に認定された
成田市は専門家を招き講演会で明らかにしている
http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/i/wiki/17387/%90%AC%93c%8Es/60/?guid=ON&vl_sesid=10779_921844
成田市の文化財 節分に神田明神いってきたら
将門の絵馬がカッコよすぎわろた↓
ttps://pbs.twimg.com/media/CaRKm8nUsAIMIv_.jpg 興世王は面白いなあ。
何で桓武天皇の第三子、伊予親王系と記載されたのか?
興世王の父とされる時世王は桓武天皇の第十二子、仲野親王の
子であるとも記録が残っているようだし、仲野親王の子達こそ
⚪︎世王の通字を持っているのにね。伊予親王は謀略で流罪獄死
したようだから、反逆者の系譜に収めようとしたのかな?
桓武天皇の曾孫、嵯峨天皇の孫、人康親王の子は興⚪︎王の通字を
持っている子が3人居るが、興世王の父としては時代が一代古すぎ、
3人の興⚪︎王は源興⚪︎で臣籍降下してるから無さそうだ。
しかし代替わりと年代は様々だな。カツオとタラちゃんみたいなもんか
興世王のイメージは周り巻き込み系こまったちゃんで納得できる
皇族でありながら新皇宣下を許したということは明智惟任日向守光秀
より無知な下賤であるとが想像できる >>367
岩倉具視みたいな謀略公家のイメージがあるんだが。 興世王って将門の祖父の世代ぐらいの相当の老齢だったんじゃないかな?
たぶん認知症の老人が将門を新皇と仰いだんだと思う >>369
のちに朝廷出身の大江広元が源頼朝をかついで幕府を開いたが。 認知症なら地方長官に任命されないだろうし。赴任してこないだろw 徘徊老人って線も有るな
お目付け役が経基王で
前例を無視して武芝の領地に乱入してトラブルになり
認知症が発揮されてちゃっかりと一人だけ武芝と仲直りして経基がキレてしまったんじゃね? 経基がキレてしまったんじゃね?
↓
経基が浮いてしまったんじゃね? しかし、その時期に叔父の良文が陸奥守・鎮守府将軍に任じられず。相模あたりで
守・介あたりだったら、将門の関東制覇はなかったかもな。 将門記の登場人物って全員人間臭い悪人だよな
たけしの映画みたいだよ でも将門の乱終息以降、関東の本格的和人化が進んだろう。 成田山を敵視するのは判る。
では空海はどう? 弘法大師の「霊験」で調伏されたことになるけど。 >>378
千葉氏とか相馬氏は、将門と有縁の家柄ということになっているが
空海や高野山を敵視していた形跡はない。 黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!
赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。
それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。
この世で最も不浄な臭くて汚らしい穢れた遺伝子。
台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。
赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。
gm遺伝子
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/001Gmidensi_1/asiaandjp.gmidennshi.nobunnpu.jpg 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:64a812ccf8e4a0c33443d7cecf6a78f3) >空海や高野山を敵視していた形跡はない
それは妙だな。
成田山の本尊を呪うなら、信仰そのものを否定しないと。 だから成田山は江戸時代に名を上げた新しい寺だろ?
これ以上言わせんな やはり将門は関東独立なんて全く考えず、いわば総督になり、朝廷と
関東原住民のあいだでうまく調整しようとしていたと思う。
朝敵にされたのは陰謀だな。 平国香=従五位下、常陸大掾、鎮守府将軍
平良将=従四位下 鎮守府将軍
官位は弟のほうが高いということかな? >>366
川尻秋生早大准教授のことでしょ。
現在の将門研究の第一人者。 呪いってより因果関係で 叔父の良文あたりの系統が源氏の味方をした事や後のことを
みると 関東の人からすると 将門にはそれなりの大義があった事を感じるね。 明けましておめでとうございます。
将門公関係の良い本に巡り合えますように。。 平将門は武道の強さで全国的に有名な人だった。空手も剣道も全国大会常連だった。 >>388
わかっていると思うけど、
平安時代に空手は伝わってないし(空手の平安の型は船越義珍の考えた名前で関係ないよw)、
剣術も確立してない。
スレが止まっているから、一応注釈。 豊田の館跡ってところ行ってきた。
やっぱり、あの地域の中では高台にあるんだね。
当時の水浸しのあの辺がどう見えてたのか、NHKあたりで
やってほしいわ。
歴史ブームとやらなのに、南北朝と将門純友はやってくれない。 香取の海があったころは、今の水田地帯が全部湖だったってのが想像がつかない 霞ヶ浦は海だった頃、今の数倍は面積があったんだっけ?
そして海流は寒流(親潮)だから、香取海だった頃の首都圏一帯は、夏は今よりずっと涼しかったって。 >>392
???太平洋側でも親潮るの?(´・ω・`)? >>393
太平洋側でも親潮るよ。福島沖あたりが親潮と黒潮がぶつかる潮目の海になって
魚がいっぱい獲れる。 >>390
1回将門・純友は1976年にやってるからな。 茨城・千葉は中世は何気に関東の中心地で栄えていたよね。 そもそも、東海道は当時の江戸を避けて、海路房総半島へ渡り、常陸の国へ続いていた。
なぜなら、その当時、江戸は非常な湿地帯で利根川も江戸湾へ注いでいて、現在の日比谷も大きな入り江であった。 ”風と雲と虹と”の舞台も千葉から茨城でしょ。
あそこらへんで一族同士が喧嘩してた話だろ。 そんな関東を地理的にどうだったか、とかも
含めてもう一回やって欲しいよなあ。
将門と純友、あと太平記がいろいろやりにくいなんていう
政治的な背景とかもう過去のもんだろ。
戦国と幕末ばかりで時たま源平とかもうやめて
いろんなことやって欲しいな。
湿地帯の関東とかCGでそれなりに再現してとかさ。
まあ、しょうもないタレントに金かけてCGがクソショボいことに
なるのは目に見えてたりするけど >>401
政治的な背景はともかく、視聴率が取れない時代ではどうしようもない。 一般的に、幕末と戦国時代以外の時代は不人気、というか、無知だよね。 史料が少ない人もキツイ。
持統天皇とか推古天皇もキャラクラーは面白いと思うが
なにしろ史料が少ないから大河は無理だろ。
新年特番の単発ドラマならあるいは面白いかもしれないが。 戦国時代だと政治巧者の正親町天皇を主人公にしても面白いかもしれないが
基本的に皇居からは外に出ない人を主人公にするのは
絵柄的にしんどいと思う。 ( ゚Д゚)そりゃ、随分と大きな百足でしたなぁ。よぅ退治しなすったぁ。
(`・ω・´)ぃぇぃぇ、たいしたことありませんよ。ちょっとばかり大きい、
このぐらいb(・ω・)dです。鉢巻よりちょっと短い。てへっ!
( ゚Д゚)・・・ 一年保たせるのか? 龍蛇神に味方しての大百足退治の伝説は、
これとまったく同じ話が、よりによって田原藤太の故郷である両毛に行くと、何故か小野猿丸による英雄譚に変わってしまう。
小野と藤原の関係。
天慶の乱鎮圧後、秀郷は武蔵守に任じられるが、秀郷の武蔵守就任の際、その実質上の前任国司(武蔵権介)が小野諸興だったことも気になる。
大百足退治伝承の主人公の入れ替わりとも関係があるのだろうか? 大百足退治の話だけで大河は持たんでしょ。
やっぱ、史実は詳細がわからなくても、韓流歴ドラみたいな半分ファンタジーのような生い立ちとかを創作して楽しんだ方がいいかも。
チャングムなんかで批判されたけど、
創作は創作の良さがあると、俺は思うけど。 チャングムとかすごい創作力だよなぁ。ほとんど全部だから。
医女として文書に残ってるだけなのに女官時代の方がメインだもんなぁ。 日本でも数年前にNHKがアテルイ、モレを主人公にした「創作」ドラマ、作ったじゃん。
あの時も実況板では
「ほとんど創作なところがチャングムと作り込む“発想”が同じ」
とまさに同じことを散々言われていたw 歴ドラ好きの人は、史実に忠実に、というのが価値ある事だと思い込んでいる人が多いからな。
という俺もそのひとりだったけどw
でも、そもそも戦国期の人気小説だって諸説多数あるエピソードを小説家がまとめてお話にしてるわけで、それって創作とどう違うんだかって話だよね。
やっぱ、平安時代あたりだと、時代が古く、風俗もかなり異質だから、具体的なイメージが湧きにくいというのはある。
作られたものが胡散臭く感じてしまいやすいんだろうね。 >>413
能や歌舞伎の舞台には使われるんだけどね
加藤剛の将門、見る方法ないかな >>414
>加藤剛の将門、見る方法ないかな
大河ドラマのことならNHKオンデマンドに総集編だけある。
逆に言うと総集編以外は残ってない。 BSで『風林火山』終わったあと、放映してくれるよう要望出すとか。
てか、TSUTAYAで10年近く前に総集編のVHSビデオ借りて来て見たが、もうDVDに入れ替わってしまったしなあ…
自分ももう一度じっくりと見たい。 >>415
dvdあったよ、総集編じゃないやつ。
ちょっと前だけど。 >>417
おぉ(*´∀`*)ありがとう
探してみる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています