本題に戻すと、上でも言われているように徳川が幕府を開いてからの近代の後づけじゃない?
そう考えると、鎌倉幕府で摂関・皇族将軍がいたこととも矛盾しない。
室町幕府以降と考えると、織田・豊臣がなりかけたことに説明がつかない。
だから、徳川幕府ができてから。それと、家綱の死後、摂関家から将軍を迎える計画があったからそれよりも後。
要は、徳川綱吉以降と考えるのが妥当。それで、じゃあ、なぜ摂家将軍じゃあダメなのかという話になって、「征夷大将軍は源氏に限る!」っていう理屈ができたんではあるまいか?