>>131
> 他人にいうほど論拠も証拠もない
それは、貴方の方w
張魯の天師道と遼東の公孫氏が、どう関わったから「神獣鏡は流通すれど、製造させず」と言う「事実」が生じるのか説明していない。
ライバル(直接対峙もしていないがw)だったからとかは呉の孫氏の場合と条件は一緒、臣下の墓から神獣鏡が出てくるのも一緒だ。

> >神獣鏡は確かに神仙思想の影響の元に生まれたものだが、祭器では無い(知ってると思うけど念の為)。
> 明器(死者に副葬する呪具)だ。これまで日本の考古学は無頓着だったが鏡の配列にも明確な意味がある。
トボケないで!神獣鏡を葬具として受け入れたのは倭での話でしょう。
楽浪で神獣鏡が造られるか否かの話とは直接関係無い。中国での扱いは、あくまでも世俗品。

> >だいたい呉の領袖は張角じゃないでしょ、
> 俺は「張角が呉の領袖」だとは発言していない。
> 相手の発言の誤解や誤認・認識不足によるお角違いの反論は無礼であると同時に、お前の「知的お里」が知れるだけだ。
呉での神獣鏡の扱われ方について、「張角」の太平道のメッカ」と外れたレスが帰ってきました。
それに対するレスです。自分で外しといて「お門違い」は無いでしょうw

> 孫権も神仙を信じ方仙道や黄老道の伝承者と交遊があった。
そう、張魯や張角は神仙思想集団の一派に過ぎない、神仙思想に依拠しているが、二人だけの専売特許ではない。
つまり、神仙(例えば神獣鏡嗜好)を受入れたからと言って、「中原の覇」を競う「ライバル」を受入れる必要はない。
呉の朱然の墓からも楽浪の官人墓からも他の生活用品と一緒に神獣鏡も普通に出てくる。
ともに神仙嗜好が、広く受入れられていた証であり、両者に違いは無い。

よって
>いわば、ライバルたる張魯が民心掌握の手段とした天師道(ある意味で政治手法)を、
>歓迎したり奨励することはあり得ない。遼東は天師道とは疎遠の地でもあった。
>したがって、彼らの支配した時期の遼東郡や楽浪郡で神獣鏡が造られることも絶対にない。
は、何の説明にも、論拠にも為っていない、これで為っていると思うなら、それは単なる思込みです。