>>378:ひとぶた
>21世紀初頭で議論が停まってしまったとは思いますが、それは国産説の責任では無いでしょう。

そうかなあ? >>380氏の言う通りでしょう。
舶載鏡倣製鏡という区別は国産説的には首肯出来ないでしょうから(笑)、
仮に200番を境に『前』『後』としますよ。
後の鏡の図像、銘は明らかに製作者がその意味を理解出来ていないもの… で良いですよね?
すると、前の鏡との製作者の区別は、中国人と倭人て事になりますね。
ピークが早いのは当然、前の鏡。つまり複数の中国工人グループが来倭し、短期間に多数製作し去って行った。
という仮説でしょうが、さて、大量の鏡を残した工人グループ。その存在の足跡を鏡以外で 何に見ますか?