葵祭は桃太郎のエピソードと一対一対応する要素で構成された、
皇祖の大王と王権が誕生した故事を祝うものである。
そして、皇祖の大王=黄帝=東王公=東盟聖王=東照の君は、皆縄文系の血統だ。
Y遺伝子で言えばD系列になる。

日本国(ヒノモトのクニ)は、神仙が住むとされる蓬莱の伝説や扶桑信仰の国。
孔子が、道に行き詰まったら「東海に浮かぶ」と説いた、最終疎開(避難)地だ。
奈良や京都の盆地の池沼や、大阪湾などに広がる湿地帯が、
豊葦原瑞穂の国と呼ぶ状態だったからこそ、大量の帰化民を受け入れて栄えることが出来た。

しかし、渡来人が大量に帰化する以前から、高度な技術を有していた。
単に倭人文化圏の中心地が、大陸東岸から北九州や畿内に移転したにすぎず、
倭民族を主導する王族の血統は、何千年も変わっていない。

山東半島付近では、青銅器の製法を伝承するのは、
フイゴの神でもある蚩尤=兵主=天日槍を祖先の王として奉斎する集団だった。
天日槍を祖先とする息長一族から神功皇后が輩出され、
その子の応神天皇が男系の祖先の神と「名を交換する」ことで、現皇室は成立している。
男系の皇統が途絶えたため擁立された継体天皇も、皇祖の一族息長斎王家の血を引いている。

つまり、山東半島の青銅製の祭具を作る技術を伝承し、
ヤマト王権に集う諸豪族達に祭祀の用具(青銅鏡や銅鐸など)を下賜できる、
天日槍を奉斎する=息長一族が、ヤマト王権の中枢・大王家の祖なのだ。

その証拠に、奈良の纏向遺跡を見下ろす東の高台には、今も穴師坐兵主神社が残る。
この神社には古い時代、
兵主ではなく天日槍の名で始祖の大王(素戔嗚)が祀られていたことが分かっている。
奈良の宗教王国を率いていたのは、天日槍=息長斎王家に他ならない。